宮野裕史(横山裕史)の現在の住所は?結婚して娘がいる?<コンクリ事件>

コンクリート事件で主犯格だった宮野裕史は出所後に養子縁組をして横山裕史に改姓しました。2013年には詐欺事件で再逮捕されたり、結婚が噂されたりと現在でも話題に上がる彼ですが、今回はそんな宮野裕史(横山裕史)の家族関係や現在の住所などについてまとめてみました。

「コンクリート事件」の主犯、宮野裕史(横山裕史)の現在は?

宮野裕史(横山裕史)とは、戦後最大級の少年犯罪として注目を集めた「コンクリート事件」の主犯格です。この事件は1988年11月から翌年1月の間に行われた鬼畜・残忍極まりない凶悪犯罪です。

被害者を救えたはずの大人達に批判が集まったこの事件ですが、犯人達が未成年だったことから当時はアルファベットを用いて表現されていました。ですが現在は全員の本名が明かされています。

今回はそんなコンクリート事件の概要、そして主犯格で現在では改姓している宮野裕史(横山裕史)の家族や現在の住所や結婚の噂について詳しくご説明していきます。

宮野裕史(横山裕史)が起こした「コンクリート事件」とは?

11月25日、埼玉県三郷市にて少女が拉致され、東京都足立区にある湊伸治の自宅2階に監禁されました。強姦に加え暴行も受けましたが、あとで帰してやるという宮野裕史の言葉を信じた少女は抵抗を諦めました。

ですが犯人達の行動は激しさを増していき、陰部に鉄筋やガラス瓶を挿入したり、シンナーやタバコを強要したり、揮発性のオイルを使って火を付けたりと、想像することすら恐ろしい暴行を繰り返しました。

翌年1月4日、宮野裕史は麻雀で負けたイライラを発散する為、小倉譲・湊伸治・渡邊恭史とともに弱り切っていた少女を2時間にわたり激しく暴行しました。拉致から40日後のこの日、少女は死亡したとされています。

少女の死と、逮捕

1月4日の夜、少女が息絶えていることに気付いた宮野裕史は、少女の遺体をドラム缶に入れてコンクリートを流し込み、小倉譲・渡邊恭史とともに東京都江東区の埋立地に遺棄しました。

遺棄から約3か月後の1989年3月29日、別件の婦女暴行やひったくりなどの罪で取り調べを受けていた宮野裕史と小倉譲が警察に全てを自供したことで犯人達の逮捕に至りました。

1991年7月12日の判決公判では、主犯格の宮野裕史に懲役20年、小倉譲に懲役5年以上10年以下、湊伸治に懲役5年以上9年以下、渡邊恭史には懲役5年以上7年以下が下されました。

宮野裕史(横山裕史)の生い立ち、コンクリート事件が起こるまで

宮野裕史が上記のような凶悪事件を起こしたうえで必ずと言っていいほど語られるのは、小学生で不良少年と呼ばれた壮絶な生い立ちや、高校での体罰についてです。

さらに家族との関係性についても良いものではなかったといいます。特に母親のしつけが異常に厳しかったとされていて、母親との間には大きな確執があったとも言われています。

では、彼はどのような幼少期・学生生活を過ごしていたのでしょうか?事件を起こすまでの経歴や家族関係について詳しくご紹介していきます。

小学生から家庭は崩壊、問題行動も

宮野裕史は1970年4月30日に東京都葛飾区で生まれました。両親ともに仕事で忙しく放置される毎日だったのに対し、妹に対しては愛情を注いでいたため、家にいるのが嫌だったといいます。

一度、宮野裕史が母親が大切にしていた花を抜いてしまったことがありました。その時、母親は靴ベラで彼のことを繰り返し叩くなど、気性の激しい一面もありました。

そんな家族との良くない関係性から彼は非行に走り、小学生では素行の悪い不良少年と言われ、万引きや校内暴力などを繰り返しました。彼は「悪いことがかっこいい」と思っていたとのちに語っています。

小学6年生の卒業文集で「少年院の院長になりたい。」

小学6年生になった宮野裕史は勉強が好きな友人と仲良くなり、徐々に不良行為は落ち着いていったとも言われています。そんな彼は卒業文集にて「将来は少年院の院長になりたい」と書いています。

自分自身が素行不良で、喧嘩も万引きも悪いことばかりやってきたから非行に走る気持ちが分かるからだと、卒業文集には書かれていました。

「オレなら非行少年と呼ばれてる連中を立ち直らせてやれる。オレに向いてるのはそういう仕事だと思う」(引用:BrandNewS)

中学から柔道を始め、都で2位に

小学校を卒業して足立区にある東綾瀬中学校に入学すると、柔道部に入って部活動に励みました。身長160センチで周りと比べると小柄だった彼ですが、体つきはガッシリとしていたといいます。

そして3年間真面目に柔道に取り組んだ甲斐もあり、中学3年になると都大会で2位という好成績を収めて東海大附属高輪台高校に推薦入学できることが決まりました。

高校で体罰を受け、非行にはしる

柔道という夢中になれるものを見つけた宮野裕史は高校でも柔道部に入りますが、都大会2位という強さもあり、それを良く思わなかった部活の先輩や顧問から酷い体罰を受けるようになってしまいます。

ライターの火を殺虫剤スプレーで吹いてその火を浴びせられたこともあったようで、宮野裕史の父親が裁判所に対して訴えを起こすほどでした。その憂さ晴らしもあり街中での喧嘩は増えていきました。

そしてこの頃、在学中に体罰を受けていた復讐として東綾瀬中学校に「殴り込み」をし、窓ガラスを割るなどして補導されるという事件を起こしています。未成年だったことから保護観察処分で済みました。

高校を中退し、タイル工になる

真面目に取り組めるものを見つけた彼でしたが、体罰のせいで高校を中退せざるを得ませんでした。そして街中で事あるごとに喧嘩を繰り返したり、父親や母親に暴力を振るったりと再び不良少年に逆戻りしました。

家の中で暴れまわって物をよく壊していたという彼ですが、家庭内暴力はかなり酷かったとされていて、母親がろっ骨を骨折するほどの怪我を負ったこともありました。

その後は、当時同棲をしていた同級生の彼女と結婚するために、タイル工として先輩に使い走りされながらも1年半は真面目に仕事に取り組んでいました。

暴力団員と知り合い、シンナーも始める

タイル工を真面目に頑張っていたころ、免許を取るための自動車学校の合宿場にて暴力団員だという人物と出会い交流をするようになりました。この出来事が宮野裕史の不良行為をさらに加速させます。

彼はその暴力団が経営しているという店の手伝いを始めて、さらに不良少年達を集めて「極青会」という参加組織を設立しています。それもあって彼は店の手伝いをなかなか辞めることができませんでした。

この時期から彼はたびたび性犯罪を犯すようになっていて、結婚しようと約束していた彼女とも別れました。そして現実逃避をしたいという願望からシンナーを吸い始めるようになります。

1988年コンクリート事件を起こす

そして1988年、18歳になった宮野裕史はあのおぞましいコンクリート事件を起こします。この事件には様々な憶測や噂がありますが、タレントの故・飯島愛との交際疑惑まで持ち上がっています。

1992年にセクシー女優としてデビューした飯島愛ですが、コンクリート事件の主犯格である宮野裕史と10代の頃に付き合っていたという情報がホステス時代の友人により暴露されました。

それをネタに大金をゆすられていたという情報もありますが、確かな証拠はなくあくまでも「都市伝説的な話」だとも言われています。そんな飯島愛ですが、2008年12月24日に肺炎により死亡しています。

宮野裕史(横山裕史)は2009年に出所、3年半後に詐欺で逮捕

宮野裕史には懲役20年の判決が下され千葉刑務所に収監されましたが、2009年には刑期を終えて出所しました。ですがその後更生するどころか、2013年には振り込め詐欺で再逮捕されています。

そして出所後には養子縁組をして名前が変わっているので、新しい名前についてや振り込め詐欺の詳細についてみていきましょう。

宮野裕史(横山裕史)は2009年に出所

2007年に仮出所、そして2009年に刑期満了で完全に出所した宮野裕史は、関西地方に住むという保護司と養子縁組をして「横山裕史」という名前に変わりました。

保護司は、保護司法・更生保護法に基づき、法務大臣から委嘱を受けた非常勤の一般職国家公務員で、犯罪や非行に陥った人の厚生を任務とする。(引用:Wikipedia)

2013年に振り込め詐欺で逮捕

2013年1月10日、無作為に個人宅に電話をして「パチンコ必勝法がある」などと言い現金を騙し取るという詐欺行為をしたとして、詐欺グループの末端要員だった宮野裕史(横山裕史)が逮捕されました。

当時42歳だった彼は取り調べで詐欺について一切口を割らなかったため、不起訴として釈放されました。ですが彼がコンクリート事件の主犯格だったことはすぐに広まり、ニュースなどで取り上げられました。

さらに宮野裕史(横山裕史)は知人に対して、「東京の詐欺グループのほとんどは知り合いだ」「暴力団に知り合いがいる」と自慢げに語っていたといいます。

宮野裕史(横山裕史)の現在は?

2013年の振り込め詐欺での再逮捕以来、特に目立った情報が出てきていなかった宮野裕史(横山裕史)ですが、2017年には実話誌で有名な「実話ナックルズ」にスクープされています。

彼の弟分的な存在だったという人物が情報を提供したようで、LINEのやり取りなども流出させています。では、そんな宮野裕史の現在について詳しくみていきましょう。

キックボクシングのジムに通い、多くのブランド品を身に付けていた

宮野裕史(横山裕史)はキックボクシングのジムによく通っていて、「実話ナックルズ」という雑誌にスクープされた際にも鍛えられた肉体の写真が掲載されていました。

上記でご説明した詐欺行為とマルチ商法にも手を出していたことによって儲けていた彼は、多くのブランド品や高級腕時計を身に着け、高級外車を乗り回していたといいます。

流出したLINEのやり取りでは、マルチ商法を他の人にもしつこく薦めていたことが分かります。マルチ商法とは、知人を新規会員として誘って、誘われた人が更に新規会員を誘うという連鎖型の販売形態のことです。

正体がバレて、姿を消した

「実話ナックルズ」に情報を提供したという宮野裕史の弟分的だった人物は、コンクリート事件の主犯格Aであることを問い詰めると、彼は急に青ざめたと証言しました。

そこから自分の身の回りでコンクリート事件の主犯格だったという話が広まり、さらに雑誌の取材などが来るようになったため宮野裕史(横山裕史)は突如姿を消したといいます。

現在は行方がわからない

2017年には「実話ナックルズ」に取り上げられて近況について掲載されていましたが、2019年現在はどこでどのように暮らしているのか、不明となっています。

ですが上記の情報提供者によると彼が名乗った名前のイニシャルは「K」だと証言していて、横山裕史から更に改姓している可能性があるとされています。

宮野裕史(横山裕史)の現在の住所は?

宮野裕史(横山裕史)は出所後は栃木県小山市に住んでいたり、埼玉県川口市に移り住んでいたり、詐欺行為で再逮捕された時は東京都多摩市に住んでいたりと、住所を転々としていることが判明しています。

出所後、川口市の宮内解体工業所で働いていた

出所したあと2か月半の保護観察を終えた宮野裕史(横山裕史)は、住所を栃木県小山市に移して派遣社員として働いていました。その後は埼玉県の新座市、川口市と住所を転々としています。

川口市では宮内解体工業所という有限会社で働いていたといいます。ちなみにこの工業所は今現在でも経営していて、口コミには「コンクリート事件の主犯格が働いていた会社」と投稿されています。

現在は未だ川口市にいる可能性も

詐欺容疑で再逮捕された時は東京都多摩市に住んでいましたが、その後は解体業をやっていた川口市にまた移り住んだのではないかと言われています。

ですが現在の彼の住所について確かな情報がなく不明となっています。ネット上では「法で裁けないならネットで裁こう」と、彼らの個人情報の流出を望む声が多くあります。

宮野裕史(横山裕史)の家族構成は?

そんな宮野裕史(横山裕史)の家族についてですが、証券会社勤務の父親(当時47歳)、ピアノ講師の母親(当時47歳)、妹(当時11歳)の4人家族で生活していました。

事件後、両親ともに仕事を辞めています。そして自宅を売却してまでお金を集め、コンクリート事件の被害者遺族に対して慰謝料5,000万円を支払いました。

その後の家族の行方や現在の住所は不明で、母親は宗教にのめり込んでしまったという情報や、父親は愛人の元で暮らしているなど、様々な噂が流れていますが、どれも真偽不明となっています。

宮野裕史(横山裕史)は結婚して娘がいるのか?

コンクリート事件の共犯者で監禁場所を提供した湊伸治は、出所後に結婚していて娘がいるとされていますが、宮野裕史(横山裕史)には結婚のしたという事実は今のところありません。

ですので湊伸治の結婚の情報と入り乱れて広まってしまっただけであり、宮野裕史(横山裕史)は現在の時点では結婚していないということになります。湊伸治の現在に関してはこのあと詳しくご説明します。

湊伸治は殺人未遂を犯していた!

1972年12月16日に生まれた湊伸治は事件当時16歳で、兄の湊恒治とともに少女の暴行に加わりました。父親・母親・兄との4人家族で、父親からは相当な家庭内暴力を振るわれていたといいます。

出所後はライト級のムエタイ選手として活動していたようで、試合に出場した際には「コンクリ!コンクリ!」とブーイングが起こっていたといいます。

そして先ほども触れましたが、彼は2006年にルーマニア人女性と結婚して娘を一人授かっています。このあとご説明する事件で逮捕された際には一人暮らしだったようで、すでに別居か離婚をしているとされています。

2018年、殺人未遂で再逮捕

2018年8月19日、トラブルになった相手を警棒で殴ったうえに首を刃物で刺したとして、埼玉県川口市に住んでいた45歳の湊伸治が逮捕されました。

「殴ったり、刺したりしたことは間違いないですが、殺すつもりはなかった」と殺意は否認しているということです。(引用:BrandNewS)

この事件に対して世間からは、「結局更生していない」「少年法で守られた結果だ「社会に出ないよう無期懲役にすべき」と厳しい批判の声が相次ぎました。

事件の犯人だと中傷されたスマイリーキクチ事件

スマイリーキクチ事件とは、お笑いタレントとして活躍していたスマイリーキクチが「コンクリート事件」の実行犯であるとして10年にもわたる長いあいだ誹謗中傷され続けた事件のことです。

残忍な事件から年月が経った1999年、スマイリーキクチへの中傷が始まりました。しかも確たる証拠もなく「彼らと同じ世代」「元不良」「生まれ育った住所が足立区」という曖昧な理由でした。

事件の犯人達が当時未成年で本名などが公表されていなかったことが大きく、さらに「出所したうちの一人がお笑いのコンビを組んだ」といった情報が出てきたことにより、中傷はより激しくなりました。

2008年に一斉検挙

2000年からたびたび警察に相談していたスマイリーキクチですが、当時は今ほどインターネットが普及がしていなく、その膨大な誹謗中傷の書き込みから犯人を割り出すことは簡単ではありませんでした。

2008年9月にようやく警察は一斉検挙に踏み出しました。特に悪質だとされる書き込みをした人物を19人検挙し、起訴できると判断した7人を書類送検しました。ほとんどが普通の主婦や会社員だったといいます。

この一斉検挙に加え警察が「スマイリーキクチは事件と何の関係もない」と発表したため、誹謗中傷は激減するに至りました。その後スマイリーキクチは「二度とこんなことが起きないように願う」と発言しました。

出所後も犯罪を繰り返した犯人達

コンクリート事件の主犯格だった宮野裕史(横山裕史)は小学生の頃から不良少年で、20年の刑期を満了して出所したあとも詐欺事件を起こして再逮捕されていました。

現在の住所や家族の行方については不明となっていますが、結婚に関しては、当時の共犯者だった湊伸治が結婚したという情報と入り乱れていたという説が濃厚です。

「戦後最大級の少年犯罪」とまで言われた残忍なこの事件ですが、犯人達のほとんどが詐欺・監禁・殺人未遂などで再逮捕されています。彼らが事件のことを心から反省する日はやって来るのでしょうか。

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