プチエンジェル事件の真相は?顧客名簿には皇族が?少女の現在も!

都市伝説のように語られているプチエンジェル事件。犯人の吉里弘太郎の死をもって事件は終わりを迎えましたが未だに多くの謎を残しています。大物政治家の名前もあったとされるプチエンジェル事件の顧客リストとは?被害者である少女たちのその後は?謎の解明に挑みました。

プチエンジェル事件とは?

プチエンジェル事件とは小学6年生の少女たち4人が誘拐及び監禁された事件です。事件は2003年7月、赤坂のウィークリーマンションの部屋で起こりました。

犯人は死亡、少女たちは保護されたものの不可解な謎が多く残っており闇が深い事件と言われています。

プチエンジェル事件の犯人・吉里弘太郎について

プチエンジェル事件の犯人は吉里弘太郎という男性でした。事件の舞台となったデートクラブ「プチエンジェル」の経営者です。

「プチエンジェル」は未成年者デートクラブであり非合法でした。また、このほかわいせつビデオも販売しており巨額の利益を得ており、預金額は35億円あったと言われています。

吉里弘太郎の生い立ち

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吉里弘太郎はエリートの子だったと言われています。裕福な家庭で育ち、東京芸術大学を卒業したのちデザイナーとして働いていました。

大学時代には複数の女性と交際してヒモ男のような生活を送ります。吉里弘太郎は整った顔立ちだったと言われています。そのためヒモ生活が許されたのでしょう。

また、吉里弘太郎は若い頃ニューヨークやパリなどの海外を転々としていました。そのため外国人の友達が多かったと言われています。

吉里弘太郎はそののち、ホストクラブで2年間アルバイトを経験しています。けれど吉里弘太郎はロリータ趣味でした。

そのため当時はロリータ専門のデートクラブに入り浸っていて顔なじみになっていたのです。

そうして吉里弘太郎は非合法の買春斡旋を開始しました。ですが最初は人妻相手であり児童ではありませんでした。

その後、吉里弘太郎はロリータクラブ「プチエンジェル」を開業。莫大な利益を得るようになったのです。

吉里弘太郎の家族について

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犯人の吉里弘太郎の父親は元警視庁のキャップ、元朝日新聞の幹部社員でした。その後転属して西部本社社会部長になっています。

キャップとは取材グループのまとめ役のことを言います。つまり警察庁の取材において現場責任者という立場だったのです。

父親の経歴が華々しかったので事件と同様に世間を騒がせました。なお、吉里弘太郎の父親は1993年、難病指定されてる頭頸部ジストニアを発症しています。

ジストニアとは、脳や神経系統の何らかの機能異常により、筋肉が異常に緊張してしまった結果、無意識に異常な姿勢や動きをしてしまう症状のことをいいます。例えば、顔・頭・首などの体の一部がさまざまな方向にねじれる・口が開閉できない・体全体が歪んでしまう・手足が震えるなどの症状が持続して現れます。

(引用:メディカルノート)

生死に関わるような病ではありませんが、本人には非常に負担がかかる不快な症状が現れるのです。

その後1996年、吉里弘太郎の父親は自殺しました。この病気を発症し苦しんだためではないかとも言われています。

その3年後、1999年には吉里弘太郎の兄が自殺しました。嘆き悲しんだ母親も2001年に自殺を図ります。

しかし自殺は未遂に終わり、そののち出身地である沖縄県に移住しました。プチエンジェル事件後の母親の行方や詳細は不明です。

また、吉里弘太郎の弟は精神病院にいるという噂が流れています。

吉里弘太郎の前科

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吉里弘太郎には前科がありました。過去、女子高生2名の買春容疑で逮捕されたことがあるのです。執行猶予中だったそうなのですが2002年3月に中学二年生の女子の買春容疑で指名手配されていました。

吉里弘太郎がプチエンジェル事件以前に運営していたのは主婦の売春組織だと言われています。この時すでに警察にはマークされていました。

プチエンジェル事件の被害者について

プチエンジェル事件に関わった人間は多くいるだろうと言われています。もちろん被害者の数も多いと思われますが代表的な被害者は4人の少女たちです。

そして彼女たちのほかにも被害者だったのではないかと言われている人物がいます。それが事件を追っていたフリーライターです。

監禁された少女4人

プチエンジェル事件の被害者4人は当時小学6年生でした。稲城市の小学校に通っていた生徒ではないかと噂されています。

そのうちの1人は茶髪で学校でも目立つ存在だと言われていました。また、クラブ社長と知り合いだったのではないかと指摘されています。

少女たちのうち2人は都営住宅に住んでいたと言われています。数年前に引っ越してきており、隣に住んでいました。

事件を追ったフリーライター染谷悟

プチエンジェル事件は事件の不自然さが話題となっていますが、事件に関わった人間が亡くなっていることでも注目を浴びています。

有名なのはフリーライターの染谷悟です。当初は本名の染谷悟で活動していましたが柏原蔵書というペンネームも使うようになりました。

新宿の歌舞伎町に潜入、暴力団関係者や中国人犯罪グループの関係者達を取材してその犯罪手口や裏事情をまとめた本、「歌舞伎町アンダーグラウンド」を出版しています。

しかし染谷悟はトラブルが絶えない人物でした。暴力団関係者や半グレの人間相手に金の貸し借りをしていたとも言われています。住んでいたアパートの家賃も滞納していました。

また、執筆した記事に関しても問題となったことがありました。取材中も嫌がらせが妨害があったと記しています。

染谷悟さんはその後プチエンジェル事件を追っていました。しかし取材を続けていくうちに「中国人マフィア」に命を狙われていると周囲に漏らすようになります。

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そしてプチエンジェル事件から2ヶ月後、2003年9月、東京湾に染谷悟の遺体が浮かびました。背中をめった刺しにされて潜水用に使う重りと体に巻き付けられた鎖の重みで沈められていたと見られています。

なお、大手出版社の編集員は染谷悟がプチエンジェル事件を追っているうちに「中国マフィアの尻尾を踏んだ」と語っていたことを告白しています。

このことから染谷悟はプチエンジェル事件を追っている最中、中国マフィアと日本ヤクザによる児童売買の実態、その核心に迫りすぎのだと編集員は考えていました。

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染谷悟はプチエンジェル事件の名簿に記録されている児童愛好家の政治家の名前を知っていたと言われています。

公表されることを恐れた政治家や関連人物、その他の大物が染谷悟の殺害事件に関係しているのではないかとも見られています。

しかし染谷悟を殺害した犯人は「歌舞伎町アンダーグラウンド」に自分に前科があるのだとわかる記述があったた殺害に及んだと話しています。

裏社会と繋がりがある人間なためプチエンジェル事件とは無関係なのかどうか不明ですが、犯人は個人的な恨みで殺害したことを告白しているのです。

また、プチエンジェル事件にはヤクザのほかに「関東連合」も関わっていたという噂もありました。

プチエンジェル事件の詳細

プチエンジェル事件は4人の小学生が拉致、監禁されており犯人は亡くなっているという事件です。ですがそれは表向きの話です。

事件の詳細を調べていくと不可解、不自然な点がいくつも発見できます。そして背景には大物の存在があっただろうことが想像できるのです。

亡くなっている関連人物も多いほか、事件を追っていたジャーナリストまで死亡しており、触れてはならない闇の深い事件とされてきました。

デートクラブ「プチエンジェル」とは

犯人は無店舗型の非合法の未成年者デートクラブ「プチエンジェル」を経営。女子高生数人をスカウトとして雇い、渋谷や新宿で「カラオケ5,000円、下着提供10,000円、裸体撮影10,000円」などと書かれたチラシを配ってローティーンの少女を勧誘し、男性客に斡旋、その他わいせつビデオの販売も合わせて多額の利益を得ていた。

(引用:Wikipedia)

犯人の吉里弘太郎は繁華街で遊んでいた女子高生を雇って少女たちを勧誘していたと言われています。取材をしていた記者によると少なくても14人の女子高生がアルバイトをしていたそうです。

そして彼女達の話を聞くとおよそ120人の小学生が勧誘に応じてアルバイトをしていたことが明らかになりました。

また、プチエンジェルはデートクラブとされていましたが実際は違ったのではないかと言われています。

下着などを売るだけではなく、売春も行っていた可能性が高いと見られているのです。

記者が客を装いプエンジェルに問い合わせたところ、「少女とセックスできる」と言われたと語っています。

プチエンジェルに在籍していた少女たちの中には家出をしている者も多かったと言われています。

家出少女たちはプチエンジェルを宿代わりに、バイトをしてお小遣いを稼ぎ生活していたのでしょう。

①渋谷で少女を勧誘

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2003年の7月上旬頃、少女たちのうちの1人が渋谷で吉里弘太郎に勧誘されました。少女は吉里弘太郎から「会ってくれたお礼」として1万円をもらっています。また、連絡先も交換しました。

犯人からは「いつでもおいで」といわれており、以降も携帯電話で連絡を取っていた。

(引用:Wikipedia)

のちに被害者となるこの少女は吉里弘太郎と密に連絡を取り合っていました。吉里弘太郎は少女に「友達を連れてくればお金をあげる」と誘惑したためだと言われています。

少女は友達を連れて再度渋谷に訪れました。この際、吉里弘太郎が雇っていたスカウトの女子高生に会い、アルバイトをしてお金を貰ったのです。

スカウトの女子高生は少女に翌日の仕事も紹介しました。少女たちは他の友人たちにも「渋谷にいいアルバイトがある」と勧めていたと言います。

報じられた証言者の話によると小学生を紹介する度に3万円の報酬が貰えるというシステムだったそうです。

②時価2,500万円相当のフェラーリを売却

2003年7月11日、吉里弘太郎はフェラーリを二台売却しました。そのうちの一台は時価2,500万円相当だと言われています。

同じ日にプチエンジェル事件の犯行現場である赤坂のマンションを別人が契約しました。

マンション名は「インターナショナルプラザ赤坂No.1」。その1101号室を「ヤマザキ」という人物が契約したのです。

しかし契約金を払ったのは吉里弘太郎です。この「ヤマザキ」の正体は不明ですが、六本木の大物クラブ経営者ではないかという説が浮上しています。

関連してプチエンジェル事件の背後には関東連合がいるのではないかという噂も流れています。

③犯行に使用する道具を購入

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2003年7月12日、吉里弘太郎は誘拐、監禁事件に使用するための道具を購入したと見られています。

翌12日、犯人は都内の量販店でポリタンクや鉄アレイを購入。この際に練炭や七輪も購入したとみられている。

(引用:Wikipedia)

以上のことからこの時すでに犯行の計画は立てられていたと考えられています。そして練炭や七輪も購入していることから犯行がバレてしまった際に自殺しようとする意思もあったのではないかと言われています。

④犯行当日

2003年7月13日、少女たちは地元稲城市の京王線稲城駅から渋谷にやってきました。時間は10時頃、渋谷のモヤイ像前で吉里弘太郎と待ち合わせをしていたのです。

吉里弘太郎は少女たちに「1万円で部屋の掃除をして欲しい」と持ちかけます。吉里弘太郎は先に二人の少女をタクシーに乗せて監禁先のマンション「インターナショナルプラザ赤坂No.1」に向かいました。

遅れて残りの二人の少女も、もう一人の男とともにタクシーに乗りマンションに向かったのです。

マンションで掃除を始めると「ここに来た意味わかるよね」と犯人の態度が豹変。手錠と目隠しをされて監禁された。2人が逃げようとするが失敗、手錠にポリタンクや鉄アレイを付けられて逃げられないようにされスタンガンで脅された。同日深夜 家族から警察に捜索願いが出される。

(引用:Wikipedia)

多摩中央署出された捜索願いにより、警官の聞き込みが開始されました。捜索願が出された4人の少女たちが通う小学校の同級生、保護者達に話を聞いたのです。

そうしているうちに、捜索願いが出されている少女の一人から渋谷でいいアルバイトがあると誘われた女児を見つけました。女児は母親に相談していたので保護者の間でも噂になっていたのです。

警察は誘拐事件だと考えます。そして、渋谷で少女を狙いアルバイトに誘う男、吉里弘太郎に心当たりがあり捜査が始まりました。

その後2003年7月15日、少女が行方不明になったことをマスコミが報じます。

被害者の少女たちが未成年であり性犯罪の被害者である可能性が高かったため、事件当初から少女たちの実名は報じられませんでした。

⑤逮捕状請求、吉里弘太郎は風俗店に電話

16日午前、警視庁は犯人の逮捕状を2002年3月に中学2年の少女を買春した容疑で請求。捜査員が犯人の住所付近で聞き込みを始める。

(引用:Wikipedia)

プチエンジェル事件とは別の件で逮捕状を請求しています。

しかし未成年者が行方不明の場合は即日情報が公開されるのが通例でした。だというのに16日の夜になっても公開捜査に至りませんでした。

そして16日の午前11時から12時頃、吉里弘太郎が都内の風俗店に電話をしました。

「赤坂のマンションにめいっ子とその友人の少女たちもいる。性行為をしているところを見せたいので女の子を派遣してほしい」という依頼です。

依頼内容は本番行為を示唆するものでした。違法行為にあたるので店長は断りを入れます。

しかし吉里弘太郎は惜しみなく出費することを強調して頼みました。「今日しかない」とも言っていたそうです。

何度も電話をかけ続けた吉里弘太郎は諦めず、最後は「店長の彼女でもいい。二人で部屋に来て少女たちにプレイを見せてほしい」と願っています。

店長はその依頼も断り、店の営業時間は終了を迎えます。店長はその出来事を変な客がいたとして友人に話していました。

そして翌日、ニュースを見た友人から店長へ電話が入ります。「お前の言っていた変な客が死んだ」という連絡でした。

⑥吉里弘太郎の自殺

犯人はリビングでテント状にしたビニールの中に入り、七輪で練炭自殺を図り死亡した。

(引用:Wikipedia)

吉里弘太郎は2003年7月16日の深夜から明け方にかけて、監禁するための道具と一緒に購入していた練炭と七輪を使用し自殺を図りました。

椅子を軸にして張ったビニールテントの中に入り、テントと床の境目を目張りして椅子の下に2つ七輪を置き練炭自殺をしたのです。

⑦少女たちを保護

2003年7月17日、脱衣所に監禁されていた少女の一人が手錠を外すことに成功します。声や物音がしなくなったため脱衣所を出ました。

他の3人の少女は手錠が外れませんでした。そのため少女は外へ飛び出し、マンションに隣接している花屋に助けを求めに行ったのです。

花屋の店員は少女の話を聞き110番しました。駆けつけた警察官には少女が事情を説明しています。

警察は手錠を外せずにいた残りの3人の少女の身柄を確保、学校へと連絡を入れました。そして吉里弘太郎の遺体を発見します。死後十数時間経過しているだろうと思われる状態でした。

少女たちは病院へ搬送されましたが、自分の名前も言えないほど混乱していた少女もいました。病院で手当を受けているうちに落ち着いた少女たちは16時半に警察へ移動し家族と対面しています。

その後18時に少女たちは自宅に戻りました。吉里弘太郎は急性一酸化炭素中毒になり死亡、少女たちは保護した時着衣に乱れがなく、性的な暴行を受けた形跡は無かったと報道されました。

NEXT ⑧顧客リストを押収