痰壺とは?現在はある?設置理由や昔の常識、まつわる怖い話について

昔の日本では、駅や電車内など人が多く集まる場所で痰壺を置いていました。ではいつから痰壺を置くようになったのでしょうか?それはどんな理由からなのでしょうか?さらに痰壺にまつわる怖い話がありますが、それはどんなものなのかを調べてみました。

ひと昔にあった痰壺とは?

昔は駅や電車内に痰壺が置かれていて、平気で痰壺に痰を吐き捨てていた人が多かったそうです。なぜそんなものが置かれていたのか、今では想像もできませんが、いつからどんな目的で置かれていたのか調べてみました。

壺痰が駅や電車内に置かれていた理由は何だったのか

駅や電車内に置かれていた痰壺とはどんなものだったのでしょうか?また、どんな理由で置かれていたのでしょうか。

それは駅構内の空気が今と違って悪かったり、道路がまだ舗装されておらず、土埃などによって痰が絡みやすい環境だったことがあげられます。

電車も当時は蒸気機関車でしたから、空気が悪くて痰がでやすかったのです。電車の中から外に痰を吐くのは危険ですから、そのために痰壺が必要でした。痰壺はホームの柱や、列車内の洗面台の横に設置されていました。

昔は今より衛生状態が悪かった

痰壺を駅や電車内に置いていた頃は、今よりも衛生状態がかなり悪かった時代でした。子供は鼻を垂れている子供が多かったり、年配者がよく痰がからんだり咳込む人が多かったのは不衛生だったことが原因でした。

昭和40年代までは、日本ではまだ汲み取り式の便所が大半でしたから、色んな場所で堆肥を使用していました。そんな環境でしたから、雑菌やウイルスが蔓延していたことが容易に想像できます。

そんな雑菌によって、鼻が垂れたり痰がでる人達が多かったのでしょう。

結核防止法により痰壺設置は義務化されていた

日本では1904年に、「結核は喀痰(かくたん)によって伝染する」という学説に基づいて、人が集まる場所には痰壺を設置し、痰壺以外では痰や唾を吐いてはならないという「結核予防規則」が施工されました。

1918年は結核による死亡者が最も多い年で、人口10万人あたり257人が死亡しています。当時の行政機関は、栄養摂取や公衆衛生の重要性をポスターなどで広めていました。

昔は地面に痰を吐くのが当たり前だった

当時の田舎では痰や唾を地面に平気で吐いていました。現代のようにポケットティッシュなどもありませんでしたし、そんなことをしても誰も注意する人がいなかったようです。

そんな人達が都会に出てきて、いつものように駅や地下道で痰を吐いていましたから、「肺結核予防規則」によって駅や電車内に痰壺を置くようになりました。

ホテルや映画館などにも設置されていた

当時は駅や電車内ばかりでなく、ホテルや映画館でも痰を吐く人がいましたから、そういう場所にも痰壺を設置していました。

痰壺はいつ設置されいつ消えた?

明治時代の「鉄道法規類抄」という鉄道関係の法規・規則が載せてある書籍には、「肺結核予防規則」という省令を定めていました。明治末には、肺結核による死者が10年間で平均7万3,000人も出ていました。

当時の日本政府は、肺結核の罹患者を減少させるために、痰壺を設置することを義務付けるようにしましたが、それはいつから始まったのでしょうか?

設置されたのは明治年末頃

不治の病とされた肺結核の罹患者を減らすために、明治37年、日本政府は人が集まる場所には結核菌の温床となる痰や唾を巻き散らかさないように「痰壺」の設置を義務付けました。

痰壺は平成に入ってから消えた模様

痰壺は駅などに置かれていましたが、平成になるとほとんど姿を消しています。平成4年に駅の構内で、誰かがこの痰壺を見かけて写真を取っていますが、当時はそれくらい珍しいものだったといえるでしょう。

痰壺の謎の文字「エ」とは?

駅構内の痰壺には「エ」という文字が赤色で記されていましたが、あれはどんな意味があるのでしょうか?一見カタカナの「エ」に見えますが、鉄道省の前身である工部省の「工」だということです。

都市伝説あり!痰壺に纏わる怖い話

痰壺にまつわる話で怖い話がありますが、どこまでが真実なのでしょうか?そのほとんどが都市伝説の類ですから、噂話程度だという認識で見て行きましょう。

検索してはいけない言葉とも言われるストローおじさん

昔、映画館などに置いていた痰壺に関する信じられないような記事がありますので紹介します。

「ストローおじさん」って知ってる?
昔、映画館とかに置いてあったタン壺(みんながカ~ッペ!とタンを吐く壺)に
ストロー突っ込んで全部飲み干すらしいよ。ゴックンゴックン!
ストローが透明だから飲んでるのが丸見え!
たまにハナクソが詰まるらしいけど、思いっきり吸って食べるらしい。スッポン!
ちなみにストローは絶対に洗わない方針だそうです。

(引用:【閲覧注意】ヤバすぎる俊伝説「すとろーおじさん」)

どんぶりおじさん

続いてどんぶりおじさんの話の記事がありましたので紹介します。

あれは、昨年の11月・・・。
夕方小腹がすいたので牛丼店へ。
客は学生2人と浮浪者。
私は気にせず席についた。
そして、並と卵を注文して食べていた。
前の席の学生が、辛そうな顔をして浮浪者を見ている。
私は浮浪者が嫌なだけと思っていた。
浮浪者も並と玉子を食べていた。
白身が口からダラリ出ている。・・・何度も、白身を口から出してはごはんに掛けて・・・。
と思っていたが・・・いや、待て、玉子の器が無いではないか!!
しかも、浮浪者からは時折、「カーッ」と聞こえる・・・。
そう、あれは紛れも無く、”痰”をメシに掛けながら食べていたのだった。

(引用:【閲覧注意】ヤバすぎる俊伝説「すとろーおじさん」)

女の子に痰壺を飲ませた話

痰壺にまつわる話はどこまでが真実なのか分かりませんが、誰かが小学校5年の頃に当時いじめていた女の子がいて、ある日写生会で一緒に動物園に行った時の話です。

電車の中でいろんな色の物体が入っていた痰壺の中身を、当時一緒にいじめていた仲間が、その女の子に飲ませてみようということになりました。

「これを飲んだら今日はもういじめない」というと、その女の子は、まるで生卵を飲むように一気に飲んでしまったという話です。

痰壺婆

これも都市伝説ですが、当時30代の会社員だった人が、自宅付近の駅で毎朝奇妙な行動をしている老婆の姿を見ました。その老婆は駅のホームでストローを持って徘徊していました。

彼は駅のホームで佇んでいたのですが、「ずずーっ ずずーっ」という何かを吸う音が聞こえてきました。彼は音のする方に顔を向けると、その老婆が痰壺にストローを突っ込んで中のものを吸っていたという話です。

痰壺とろろの都市伝説

長野県にあった痰壺とろろという話があります。一夜の宿を探していた旅人が一件の寂れた家で泊めてくれるように頼みました。そして夕ご飯の時に「とろろ」という食べ物が出ました。

あまりのおいしさに全部食べつくしたと言います。しかしその「とろろ」とは、長芋をすりつぶしたものではなく、その宿主の「痰」だったのです。

今での衝撃のひと昔前の常識?まとめ

昔は常識でも、現在では信じられない衝撃的なものを紹介してみます。年代によってその捉え方は違ってくるのではないでしょうか。当時は当たり前のように使っていたものも多くあります。

カメラのフィルムを冷蔵庫保存

昔はフィルムを使用するカメラが一般的でしたが、そのフィルムを保管するのに一番適した場所が冷蔵庫で、フィルムの劣化を防ぐと言われていました。

苺用スプーンで苺潰し

以前、苺を潰すための専用のスプーンがありました。そのスプーンの底は平らで、細かな凸凹がついていましたから、苺を潰すのに役立っていました。しかしこのスプーンもいつの頃からか見かけなくなりました。

そろばんでローラースケート

昔は家の廊下などで、2つのそろばんを使ってローラースケートみたいにして、遊んでいた人もいたようです。今でもそろばんをする人は多いはずですが、こんな遊びをする人は今では少ないようです。

テレビの音楽をカセットテープに録音

昔は、テレビがあってもビデオデッキなどの録画機能がありませんでしたから、テレビの音楽番組などを直接カセットテープに録音していたそうです。当時は好きな音楽をカセットに録音して聞いていたようですね。

有名な都市伝説にはどんなものがある?

もうすでに何十年も前の都市伝説ですが「口裂け女」というのがありました。都市伝説のはしりといえるかもしれません。その口裂け女は、夏でも真っ赤なロングコートを着て大きなマスクをしていました。

女が下校中の小学生に「わたしきれい?」と問いかけます。マスクはしていましたが、きれいだったので、「うん。きれいだよ」と答えると、「これでも?」と言いながら、マスクを取ると女の口は耳まで裂けていました。

トイレの花子さん

この話も有名ですが、ある学校の校舎の3階にあるトイレで扉をノックして「花子さんいらっしゃいますか?」と言いながら手前のトイレから順番に、3回ずつノックしていきます。

手前から3番目のトイレの前までくると中から「はい」というか細い返事がありました。扉を開けるとおかっぱ頭に白いブラウス、赤い吊スカートをはいた花子さんが立っていてトイレに引きずり込まれてしまいます。

当時の都市伝説は学校にまつわる奇怪な話が多かったのですが、日常的に起こりそうな話だったことが、聞く人の恐怖感を高めて広まっていったのではないでしょうか?

肺結核の蔓延と治療薬

肺結核は、結核菌に感染することによって発症する肺の感染症のことです。肺結核の主な症状は長引く咳や痰などですが、中には倦怠感がある程度といったこともあるため、結核と気づかず診断が遅れることもあります。

結核菌の発見と治療薬

そんな結核を激減させてのが、BCGワクチンと抗結核薬の登場でした。1882年にはコッホが結核菌を発見し、1931年にカルメットとゲランが結核に有効なワクチンである「BCG」を開発しました。

そして1944年になると、ファクスマンらが抗生物質であるストレプトマイシンを発明しましたが、その薬によって結核は死の病ではなく、完治が可能な病になりました。

2010年現在の結核による死亡者は、人口10万人あたり1.7人ですから、最も死亡率が多かった1918年の257人からすると大幅に減少しています。しかし結核で死亡する人が現在でもいることに驚きです。

肺結核が完治できる病気になったため痰壺もなくなった

昔、駅や電車内など人が大勢集まる場所には痰壺を設置していましたが、これは当時流行っていた肺結核の予防や衛生上の理由で、政府が義務付けていたものです。

現在では考えにくいのですが、それだけ当時の衛生環境が悪かったということが分かります。肺結核もその後、1944年に抗生物質であるストレプトマイシンが誕生したことによって、ほぼ完治可能な病気となりました。

痰壺にまつわる、信じがたいような都市伝説もありますが、そんな時代の事を知っている人達も年々減ってきて、それが真実なのかどうかも分からなくなってきました。