眼球に瞳が2つある「重瞳」とは?原因や有名人【閲覧注意】

重瞳とは一つの眼球の中に二つ以上の瞳がある目を指しています。医学的には多瞳孔症と呼ばれます。中国の偉人に多いとされ、歴史上の有名人にも重瞳だと伝わる人物が数多くいます。ここでは重瞳の原因や見え方、重瞳の珍しい動物などを含め詳しくまとめていきます。

奇病と言われる重瞳とは

重瞳とは一つの眼球の中に瞳が二つある状態の目を指し、奇病であると言われています。歴史的資料にも登場し、現代の漫画や映画などのフィクションの登場人物にも目が重瞳として描かれている人が登場します。

重瞳とは?医学的な呼び方は「多瞳孔症」

医学的には「多瞳孔症」と呼ばれます。多瞳孔症は先天的症状である場合と、事故などを原因にして後天的にそうなってしまう場合の大まかに分けてふた通りの症例があると言われます。

重瞳の画像

上の画像が重瞳だと言われる目です。ネットで「重瞳」や「多瞳孔症」で画像検索すると重瞳の症状がある瞳の画像がたくさん見つかります。

中にはPhotoshopなどの画像編集ソフトで加工して作られたものも多くありますが、実際の多瞳孔症の画像も多く見つかります。神秘的にも不気味にも見える不思議な印象の瞳です。

カラコンがずれると重瞳に見える?

多瞳孔症はれっきとした病気なのですが、それ以外の重瞳に見える原因としてはカラコンがずれると「重瞳」のように見える場合があります。これが原因で重瞳であると勘違いされる有名人などもいるようです。

重瞳はどう見える?見え方や原因について

不思議な雰囲気を持つ目「重瞳」ですが、ここでになるのが、重瞳の人は一体、景色がどのように見えているのか?という見え方の点と、何が原因で重瞳になってしまうのか?という点です。

重瞳の視界は物が二重に見える

重瞳は医学的には「多瞳孔症」と呼ばれるれっきとした病気であると紹介しましたが、重度な多瞳孔症になると見え方が二重に見えます。この見え方となると日常生活に支障をきたすため、外科的な治療が必要です。

先天的の場合がある

重瞳、「多瞳孔症」の原因としては生まれついての先天性の場合もあります。先天性であってもそのままにしておくと目の見え方に深刻な障害が出てしまう可能性が高いため、原因が先天性であってもすぐに治療されます。

後天的の原因は事故などによる虹彩離断

また後天的に「多瞳孔症」になるケースとしては事故や打撲などでの外部からの衝撃などが原因となる場合が多いです。見え方が二重になるだけでなく、最悪の場合失明に至る恐れがありすぐ治療をする必要があります。

これは虹彩離断と言い、衝撃が原因で虹彩が引っ張られて歪な形状になり、それが引き千切られる事で二つにわかれ重瞳と言われる様な瞳が二つに分かれたような状態になり見え方にも障害が出ます。

虹彩離断の治療方法は?

二重に見えるなど見え方にも障害が出る虹彩離断は、軽度のものであれば自然治癒する場合もありますが、重度な症状となると虹彩縫合という外科手術が必要になります。自分で判断せずに、必ず眼科医と相談しましょう。

重瞳だったと言われる日本の歴史上の人物

見え方に障害が出るなどれっきとした病気である重瞳ですが、その神秘的な印象から、特別な存在として見られる事が多くありました。貴人の相であると言われ、歴史上の有名人の中にも重瞳だと伝えられる人物がいます。

日本でも重瞳は貴人の相と考えられていた

中国をはじめとする東アジアでは重瞳の相は偉人に現れる相であると信じられていました。日本でもまた、平安の時代から戦国期に至るまで、重瞳は貴人に現れる相であると伝わっていました。

豊臣秀吉

重瞳だと伝わる日本の歴史上の有名人の中で代表的な人物が、農民の出で天下人となった偉人豊臣秀吉です。真相は不明ですが、下賤の出であった秀吉は貴人の相と言われる重瞳であると宣伝したのかも知れません。

平清盛

平家の棟梁であった平清盛もまた、重瞳であったと伝わる歴史上の有名人です。平清盛も凄まじい権勢を誇った人物でした、また、その平家を滅ぼした源義経も重瞳であったとの説があるようです。

中国の偉人に多かった!海外の重瞳だったと言われる有名人

中国の歴史上の有名人、偉人とされる人物に多く重瞳だと伝わっている人物がいます。ここでは中国の歴史上の有名人をはじめ、海外の重瞳だったと言われる有名人を紹介します。

重瞳は中国の偉人に多いと言われている

重瞳だと伝わる歴史上の有名人は中国の人物が非常に多いです。中国では歴史的に重瞳が偉人の相であると信じられていた事に起因するのでしょう。

「楚の重瞳」項羽

「項羽と劉邦」で描かれる、秦を滅ぼした楚の猛将項羽も中国の歴史上の有名人で重瞳であったと伝わっている人物です。後の史家が書いた漢詩では常に「楚の重瞳」の名で記されました。

蒼頡

蒼頡(そうけつ)は漢字の創始者ともされる中国の伝説上の人物です。蒼頡の肖像画は目が四つある人物として描かれ「重瞳四目」と称され、その鋭い観察眼、洞察眼を表したものであるとされます。

虞舜

虞舜(ぐしゅん)は中国の伝説上の王で重瞳であると伝わります。中国後漢の時代に書かれた思想書「論衡」16巻に「虞舜は重瞳」という記載が見られます。

顔回

顔回は孔子の10人の弟子「孔門十哲」の中の一人で、その中でも最も秀才であったと言われる人物です。この顔回もまた重瞳であったとの資料が残ります。

王莽

王莽(おうもう)は古代中国新朝の皇帝で政治家です。前述した思想書「論衡」の中に「虞舜は重瞳、王莽も亦(ま)た重瞳」と記されています。

黄初平

黄初平(こうしょへい)晋代中国の仙人で、仙道を極め、重瞳の力によって罪人の霊魂を探索する力を得たとの伝説が残ります。

呂光

呂光(りょこう)は中国五胡十六国時代の国の一つ「後涼」を建国した人物です。同時代の「前秦」の国の宰相王猛が呂光に会った際の事を、両目が重瞳の異相であったと記しています。

沈約

中国南北朝時代、南朝の代表的な文学者であった沈約(しんやく)は歴史書「梁書」の中の「沈約伝」で「約左目重瞳子」の記載があり、左目が重瞳であった事が伝えられています。

智顗

顗(ちぎ)は中国南北朝時代から隋代にかけての高僧で天台宗の開祖としても知られている人物です。生まれつき双眸に二つの瞳孔があったと伝えられています。

魚倶羅

魚倶羅(ぎょぐら)は中国、隋の時代の猛将で身長は8尺、常人を遥かに超える膂力を持っていたと伝わります。隋代の歴史書「隋書」の64巻に「隋魚俱羅目有重瞳」の記載が見られます。

劉崇

西暦900年代を生きた、五代十国時代の国「北漢」の初代皇帝劉崇もまた重瞳の持ち主であったと伝わっています。

朱友孜

朱友敬(しゅゆうけい)は五代十国時代最初の王朝「後梁(こうりょう)」の初代皇帝朱全忠の末子です。歴史書「新五代史」に「康王友孜、目には瞳子を重ね」の記載があります。

李煜

李煜(りいく)は五代十国時代の南唐の最後の国主で、歴史書「新五代史」に「一目瞳子を重ぬ」の記載が見られ、これが片目が重瞳であった事を指しているとされています。

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