御殿場事件・井上さゆりと犯人の現在!冤罪確定?裁判は? 雑学・ライフスタイル

御殿場事件・井上さゆりと犯人の現在!冤罪確定?裁判は?

御殿場事件とは、被害者である井上さゆりの証言が二転三転したことから冤罪の可能性が高いとされている強姦事件です。未成年だった被害者の顔写真が公開されることはなく現在の情報は不明となってますが、今回はそんな事件の概要や裁判の判決、自殺した弟についてまとめました。

目次

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御殿場事件とは

この事件は2001年9月16日に当時15歳だった井上さゆりが「男性に襲われた」と母親に打ち明けたことから始まった事件であり、御殿場市で起きたことから「御殿場事件」と呼ばれています。

当時は、被害者も犯人とされた少年たちも未成年であったことから実名の報道もなく、顔写真なども一切公開されませんでしたが、現在では本名が明かされています。

被害女性の証言が二転三転したことから冤罪の疑惑が持ち上がり、「少年たちを守る会」まで発足されました。今現在でも少年たちは無実を主張しています。

静岡県御殿場市

この事件を検索してみると創価学会の文字が高確率でヒットしますが、静岡県御殿場市には創価学会の会館があるからで何の関係もないとされています。創価学会については以下の通りです。

創価学会(そうかがっかい)は、日本の宗教法人である。法華経系の在家仏教の団体で、国内に公称827万世帯を擁する。(引用:Wikipedia)

今回はそんな創価学会の会館がある御殿場市にて起きた、冤罪として有名な御殿場事件の概要や、被害女性とその弟、さらに少年たちの現在についてご紹介します。

御殿場事件の概要

御殿場事件は、当時15歳だった少女が「複数の男性に襲われた」と母親に打ち明けたことから強姦事件が発覚し、地元でも不良として知られていた少年10人が逮捕されました。

一度は少年たちの自白で有罪になるものの、その後彼らは警察に自白を強要されたと言い、犯行が不可能と言えるアリバイと証拠も提出しました。

ですがこの証拠が認められることはなく、少年たちは有罪となってしまいます。今現在でも冤罪が主張されているこの事件について、詳しい概要をみていきましょう。

2001年9月16日、元少女(井上さゆり)の証言から事件発覚

2001年9月16日、御殿場市に住む井上さゆりはいつもより遅く帰宅しました。何故遅くなったのか母親に聞かれると「元同級生に襲われた」と話し、警察に通報したことが全ての始まりでした。

当時15歳だった彼女が家についたのは23時を回った頃で、「駅の近くの公園で複数の男に強姦された」として御殿場警察署へ被害届を提出しました。

当初、井上さゆりは9月16日の20時頃、部活動から帰宅していたら中学の元同級生に公園まで連れて行かされ、無理矢理強姦されたと証言しました。

加害者とされた少年たちはアリバイを主張

犯人として逮捕された少年たちは、犯行が行われたとされる時間帯にはアリバイがあるので、その時間にその場所にいることはあり得ないとそれぞれ主張しています。

他の友達と飲食店にいたという少年、家族と外食していた少年、そしてアルバイトをしていた少年たちは、飲食店の伝票やタイムカードを提出しました。

ですが検察側は、これらの証拠品は捏造されたものであり、証拠としては不十分だとしました。

少女の嘘がばれるも、少年たちの自白で有罪に

その後被害者である井上さゆりが、出会い系サイトで知り合った男性と遊んでいたことが母親にバレるのを恐れて嘘をついていたことが暴かれましたが、少年たちが自白したことで有罪になりました。

自白した理由としては、取調べの際に「起訴されたら裁判になるが、自白すれば罪は軽い」と言われたことが大きいとされています。

さらに出所後のインタビューによると、暴言や暴力的な行為まであったとも言われています。

御殿場事件は冤罪だった可能性が高い

調べを進めていくうちに、被害女性である井上さゆりの証言が曖昧で状況が二転三転していることから、彼女の嘘ではないかという見方が強まりました。

ですが少年たちが動機や事件の発端まで自白していることや、全員のアリバイが立証しなかったことから、冤罪ではないことを主張する人も少なくないとされています。

被害者側が主張を取り下げない理由は、逆に名誉棄損になるから

井上さゆりの証言には矛盾点も多く、二転三転と証言を変えていることを追及されましたが、彼女は決して主張を取り下げませんでした。

その理由は、もし主張を取り下げて冤罪だということが判明したら、井上さゆり側が名誉棄損の加害者になってしまうからだと言われています。

公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。(引用:WIKIBOOKS)

事実と食い違う井上さゆりの証言

その後の調べで井上さゆりの証言が曖昧で、事実と食い違う点が複数あることが明らかになりました。それにより冤罪説が一気に加速しました。

ですが彼女はその矛盾点について指摘されると、犯行が行われた日付を間違えていたとして、訴因変更を申請する事態に至りました。

裁判側はこの訴因変更や、少女の記憶違いなどを全面的に認めるという異例の対応をとりました。

①コンビニ店員が井上さゆりの証言を否定

井上さゆりは少年たちに襲われた際、必死に助けを求めて近くのコンビニへ駆け込み、コンビニの中から親に電話をしたと証言しました。

ですがそのコンビニの店員は「そんな人は見ていない」「電話をかけてる人もいなかった」と証言しました。コンビニ店員がこの証言をした瞬間、裁判中の傍聴席は大きくざわついたといいます。

この証言に対して検察側は「コンビニ店員と少年たちが口裏を合わせている」として、信ぴょう性はないとしました。

②井上さゆりの携帯に発信記録がなかった

ここで弁護側は彼女の携帯電話に親や自宅への発信記録がないという矛盾点に気が付き追及すると、「結局電池が切れていて電話は出来なかった」と言い直しました。

③事件発生時刻に井上さゆりと遊んでいたという男性の証言

事件発生時刻に、井上さゆりは出会い系サイトでやり取りをしていた男性と富士駅で会っていたことが判明しました。実際に相手の男性も裁判で、少なくとも3時間は一緒に遊んでいたことを証言しました。

さらに「親に遅れた理由を聞かれたら誰かのせいにする」と言っていたと男性は証言し、彼女はその事実を認めましたが、事件日を間違えていただけだと主張しました。

井上さゆりは男との面識を否定するも嘘を認める

裁判でも証言したこの出会いサイトの男性について、井上さゆりは当初「そんな人は知りません」と否定していました。

ですが彼女の携帯電話にその男性の電話番号へ発信していたという履歴が残っていたことを告げられると、泣きながら「嘘をつきました」と嘘を認めたとされています。

第三回公判で、井上さゆりは事件発生日が間違っていたと訂正

上記でご説明したように9月16日の事件発生時刻に他の男性と遊んでいたことが明るみに出ると、第3回公判では9月9日だったと証言しました。

さらに無理矢理連れて行かされたのではなく自分でついていった、犯行当時は生理だったため強姦ではなく強姦未遂だったと証言を言い換えました。

このことで少年たちが自白した内容は矛盾していることになり、彼らの潔白が証明されると思いきや、裁判長は被害者が口止めされていて恐怖で言い出せなかったとして彼女の証言を支持しました。

事件発生日の変更で新たな矛盾が浮上①天気

事件発生日が9日に変わったことで、新たに天気の矛盾が浮上しました。当日は台風が接近していて大雨警報なども発表されているような状態で、市内では一日45ミリ以上の降水量だったと記録されています。

しかし井上さゆりは「傘は差してなかった」と供述し、さらに芝生に押し倒されたはずなのに「服が濡れた記憶はない」としています。他にも「霧のようなものが顔にかかった」などと曖昧な証言をしました。

事件現場のすぐ近くで3ミリ程度の降水量が記録されていましたが、検察側は現場から約700メートル離れた市役所や、約1,250メートル離れた場所では0ミリだったとして彼女の証言は間違っていないとしました。

事件発生日の変更で新たな矛盾が浮上①現場の工事の状況

当初の事件発生日が16日とされていた頃、少年たちは「公園の東屋に張られていた立ち入り禁止のロープの横で犯行を行った」と供述しています。

ですが犯行日が9日になり、御殿場市の工事業者に確認したところ、9日の時点ではまだロープを張っていなかったことが分かりました。

このことで少年たちの供述が作り話、つまり自白を誘導させられたという可能性を高めました。

裁判所の偏見?少年達に対しての厳しい姿勢

当時、地元でも札付きの不良だったと言われる少年たちへの姿勢は厳しいもので、少なからず裁判所の偏見もあったとされています。

少年たちとその家族が懸命になって探したアリバイや証拠も、全てが価値のないものとして認められませんでした。

加害者少年B・河合裕二さんのアリバイが認められない

少年たちのうちの一人「河合裕二」は、事件発生時刻にアルバイトをしていた証拠としてタイムカードを提出しました。

そのタイムカードでは20時24分まで勤務していたこととなっていて、20時頃に襲われたという井上さゆりの証言とは矛盾していることを示しました。

ですが検察側は「タイムカード自体が捏造されたものであり、証拠としての価値はない」として、タイムカードは証拠として認められませんでした。

加害者少年C・堀内聡太さんのアリバイが認められない

もう一人の「堀内聡太」も、事件発生時刻には父が経営する寿司屋を手伝っていたとして、友達や利用客の目撃証言を提出しました。

ですがこれに対しても、検察側は「家族と友達が口裏を合わせているだけであり、アリバイとしての価値はない」としてアリバイとして認められることはありませんでした。

検察側が証言妨害し、証人が出廷できず?

もう一人の少年は、事件発生時刻に友達と居酒屋にいたとして「次回の公判では接客をした店員を証人として出廷させます」と告げました。

ですが次の公判でその証人は出廷せず、彼のアリバイも認められませんでした。これについては、店員が検察側に出廷しないように脅されて怖くなったと発言していたとも言われています。

高橋洋子裁判長は井上さゆりの事件発生日変更を容認

井上さゆりが事件発生日を変更したあとの第4回公判で、当時の裁判長だった高橋祥子は検察側の訴因変更を認めるに至りました。特に事件が発生した日付が変更されることは異例の事態で、大きな話題となりました。

検察官が公判の途中で、起訴状に記載した事実の範囲内で該当する罪名を変更したり追加したりすること。(引用:コトバンク)

この日付の間違いが事実だとしたら、井上さゆりは強姦未遂をされた一週間後に出会い系サイトで男性と遊んでいることになります。この点について「あり得ない」と非難する人も多いです。

2009年4月、最高裁は上告を棄却

少年たちは飲食店で予約した際の名前が残っていたことや店長の証言などを提出しますが、裁判所は「予約した名前はよくある苗字である」としてアリバイを否定しました。

さらに天気の矛盾については、事件現場の付近2カ所の雨量計が0ミリであったことから、必ずしも現場で降水があったとは言えないとしました。

2007年8月22日、控訴審判決において主犯格とされる4人に懲役1年6ヵ月の実刑判決が下され、その日に上告しましたが、2009年4月13日に櫻井龍子裁判長は上告を棄却し、有罪判決を下しました。

加害者とされた少年たちの捜査の流れと逮捕に到るまで

では、そんな少年たちが逮捕に至るまでの流れと、捜査内容について詳しくご説明していきます。

10人の少年全員に対して事件への関与が確定されて、検察官送致、少年院送致、保護観察処分などの処分が科せられました。

少年達は不良だった

10人もの少年が逮捕されたのは、一人の少年が「いつも遊んでいる仲間の名前を言え」と取り調べで言われ、10人ほどの名前を言ったことが始まりだとされています。

少年たちは地元でも不良として知られていて、未成年でタバコを吸う人や暴走族に所属していた人、さらに暴力団と関係があった人までいたといいます。

我々は喫煙や散々悪さばかりしていた程の札付きの不良少年だったがこの事件は絶対にやっていないと断言する。それでも我々が不良だったので聞いて貰えなかったろうか」(引用:Wikipedia)

2001年11月26日、高校1年のAが警察から任意同行を受け取り調べ

2001年11月26日に警察からの任意同行により取り調べを受けたAという少年は、被害女性について聞かれて「知らない。顔も思い浮かばない」と証言しました。

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