小川博・元プロ野球選手はなぜ殺人事件を?無期懲役になった原因と現在 社会

小川博・元プロ野球選手はなぜ殺人事件を?無期懲役になった原因と現在

ロッテ・オリオンズの投手として活躍していた元プロ野球選手の小川博さん。輝かしい過去も空しく殺人事件を起こして逮捕されてしまいました。小川博さんはなぜ犯罪を犯してしまったのでしょうか。借金が原因という噂は本当なのでしょうか。詳細を調べました。

目次

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殺人事件を起こした小川博とは?

奪三振王と呼ばれて華々しい活躍を見せていた小川博さんですが、2004年に強盗殺人事件を起こして逮捕されてしまいました。

婦女暴行、強制わいせつなどの罪で逮捕された元プロ野球選手はこれまでも報じられてきましたが、ついに殺人事件が起きてしまったと世間を騒がせました。

小川博は元ロッテ・オリンオンズのプロ野球選手

  • 名前:小川博(おがわひろし)
  • 出身地:栃木県
  • 生年月日:1962年4月2日(56歳)
  • 身長:178㎝
  • 体重:68㎏

全盛期は右サイドスローから放たれる最速150km/hの速球が武器で、加えてシンカーを持ち球としていた。『朝日新聞』1988年7月12日夕刊では「エース荘勝雄に次ぐ7勝を挙げている若手投手陣随一の成長株」として取り上げられ、「趣味は音楽鑑賞・サーフィン・スキューバダイビング」と紹介された。

(引用:Wikipedia)

小川博さんは元祖ドクターKとも呼ばれていました。現役時代の活躍は凄まじく、当時小川博さんが転落人生を歩むことなど誰も想像できなかったでしょう。

2004年に強盗殺人事件を起こし受刑者となった

甲子園のアイドル、ドラフトの目玉として注目を集めてきた小川博さん。現役時代はその活躍で野球ファンを魅了してきました。

しかし2004年、強盗殺人事件を起こして逮捕されてしまいます。当時は衝撃的なニュースだと話題になりました。

同様に覚せい剤所持で逮捕された元プロ野球選手清原和博さんも一時期話題となりました。詳しい内容はこちらからお読みください。

小川博が起こした元千葉ロッテマリーンズ投手強盗殺人事件とは

元プロ野球選手が起こした衝撃的な犯罪は「元千葉ロッテマリーンズ投手強盗殺人事件」として現在まで語り継がれています。

小川博さんの人生を狂わせ犯罪に走らせた原因、それはお金でした。強盗殺人事件という犯罪を起こして世間を騒がせましたが金銭的な問題を抱えていた小川博さんは事件を起こす以前から窃盗を疑われていました。

2004年11月18日3万円借りたさに逆上して気絶させる

2004年の11月18日、小川博さんは勤務していた産業廃棄物処理会社の会長の家に行きました。その日に返済しなければならない3万円を工面しようとしたのです。

しかし会長は不在だったので67歳の家政婦が応対しました。そこで、小川博さんは家政婦に金の無心をしたのです。

けれど2004年8月から会長の家が荒らされる、11月には社員寮にて50万円が盗まれるという事件が相次いでいました。

そして、状況からして社内の人間の犯行だろうと考えられていたのです。借金があった小川博さんも疑われていました。

そのためか家政婦は小川博さんの頼みを断ります。小川博さんは土下座をして3万円を借りようとしましたが家政婦はそれでも断りました。

土下座をしても応じてくれなかったため小川博さんは逆上して家政婦を突き飛ばします。その衝撃で家政婦は気絶してしまいました。

その後175万円を奪い女性を旧荒川に投げ入れ借金返済

小川博さんはその後居間で現金175万円を奪いました。そして事件の発覚を恐れて気絶した家政婦を車に乗せます。

小川博さんは現場からおよそ3km先にある旧荒川に家政婦を投げ入れました。そうして奪った現金から闇金一社の十数万円の借金を返済したのです。

2日後女性の遺体が発見され目撃情報により逮捕に至った

2004年11月20日、事件が起きた二日後に遺体が発見されました。家政婦が投げ入れられた旧荒川にて釣りをしていた男性が女性と思われる水死体を発見したのです。

警察は遺体の状況を見て殺人事件と判断、捜査を開始しました。

そののち水死体の女性の身元が判明します。加えて事件現場では体格の大きな男が車で女性を運んでいたという目撃証言がありました。二つ情報から小川博さんが容疑者として浮上したのです。

2005年9月に無期懲役判決が下される

2005年9月29日、第一審判決公判が開かれました。さいたま地裁は小川博さんに無期懲役判決を言い渡します。

裁判長は、被害者の顔面が赤紫色に変色するまで殴りつけたことについて、「犯行態様は、冷酷・悪質・残虐である」と小川を非難した。

(引用:Wikipedia)

小川博さんはこの判決を重すぎると東京高等裁判所に控訴しましたが棄却されています。

同裁判長は、判決の中で「引退後も浪費を重ねて金銭的困窮に陥ったのが原因で、動機に酌量の余地はない」と述べた。

(引用:Wikipedia)

元プロ野球選手の小川博がなぜ強盗殺人を起こしたのか

元プロ野球選手の小川博さんはなぜ強盗殺人を起こしてしまったのか、犯罪に走ってしまった理由は強盗、つまりお金が理由でした。

ですが彼にも元プロ野球選手、しかも現役時代はロッテ・オリオンズの投手として華々しく活躍していた人です。

もちろん年棒も高く金銭的に困ることはないはずでした。ではなぜそんな小川博さんがお金に困ることになってしまったのでしょうか。その原因は自身の金銭感覚でした。

最高年俸2200万円が小川博の金銭感覚を狂わせた

小川博さんの全盛期は年棒2200万円でした。この稼ぎぶりが金銭感覚を狂わせたのだと言われています。小川博さんも当時はまだ若く、大金を手にして計画的に使用するのは難しかったのでしょう。

小川博さんは現役時代から金遣いの荒さを指摘されていました。夜遊びも度々していたそうです。

慰謝料や浪費癖により借金は2000万円近くに膨らみ球界を去る

小川博さんは一時期とはいえ大金を稼いでいたので浪費癖があったと言われてきました。

肩を故障し低迷したその後球団の名称が変わり「千葉ロッテマーリンズ」となります。その頃の1992年に現役を引退、ロッテ球団トレーニングコーチとして活動していましたが浪費癖は直りませんでした。

浪費癖に加えて遊興費や携帯電話のアダルトサイトの利用料金などで借金を重ねていきました。また、金融機関のみならず知人にも金の無心をしていたのです。

そのうえ、小川博さんは離婚を2度経験しており、慰謝料や子供の養育費、住宅ローンなど支払わなければならないお金があったため経済的には大変苦しい生活でした。

2002年11月に借金返済の催促が球団にも届いてしまい、そのことが理由で解雇されることとなりました。その頃には消費者金融への借金が2000万円近くありました。

その後産廃処理会社に勤めるも闇金からの借金は膨らむ

小川博さんはその後運送会社でアルバイトなどをしていましたが、2003年1月には埼玉県にある産業廃棄物処理会社に就職します。就職後は営業部長として働いていました。

しかしなぜか金遣いの荒さは直らず借金は膨らんでいきます。2003年4月には自己破産をしました。一夜で数十万円使っていた頃があり、その時のことを忘れられなかったとのちに本人が語っています。

再婚しても一度狂った金銭感覚を戻せなかったことが原因か

再婚して自己破産をして就職もして再出発したはずでした。妻とは会社の近くのアパートで暮らしていたそうですが、いつも笑顔だと近所の評判も良かったのです。

給料も月40万円ほどもらえていました。ですが会社の飲み会の費用をギャンブルに使ってしまったのです。これをきっかけに再び闇金に手を出していきました。

そうして借金は瞬く間に100万円近くになったのです。再スタートをしたものの金銭感覚は戻りませんでした。置かれている状況は変わったというのに、小川博さんの内面は変わらず全盛期のままだったのです。

甲子園の元アイドル小川博の生い立ち

犯罪者、殺人者として有名となった小川博さんですが、殺人事件を起こしたのは生い立ちも関係しているのではないかという意見もありました。

幼い頃から可愛がられてきた小川博さんは、思春期も名声を得て順風満帆な生活を送っていました。そのためかロッテ投手として活躍していた頃から生意気だと評価されることもあったのです。

1歳で養子になり義父母に育てられた

小川博さんは栃木県で生まれました。けれど1歳の時、子供に恵まずにいた群馬県に住む夫婦の養子になりました。以降は養父母に育てられます。

養父母は大工と掃除員を行っていました。養子とはいえ夫婦が待ち望んでいた子供です。小川博さんは幼少期、溺愛されて育ちました。

高校時代からエースで甲子園に出場

小川博さんは群馬県立前橋工業高等学校入学、エースとして3回甲子園に出場しています。

1979年春の選抜では、1回戦で田辺商を完封するが、続く2回戦で川之江高の鍋島博(駒大-電電東京)に抑えられ完封負け。同年夏の選手権は3回戦に進むが、比叡山高に敗退。1年上のチームメートに外野手の高橋一彦がいた。翌1980年夏の選手権は2回戦(初戦)で、島田茂、秦真司のバッテリーを擁する鳴門高に延長12回サヨナラ負け。高校同期には投の二本柱を組んだ左腕の番場覚(前橋市役所)がいた。

(引用:Wikipedia)

甲子園のアイドルとなっていた

小川博さんはその甘いマスクと腕っぷしで甲子園のアイドルとなっていました。「群馬の玉三郎」として人気を集めていたのです。

青山学院駄句へ進学し大学でも成績を残す

高校卒業後は青山学院大学へ入学します。そこでも小川博さんは活躍していました。弱いことで有名だった青学大野球部が広く知られるようになったのは小川博さんのおかげだとも言われています。

ドラフト会議でロッテ・オリオンズから二位指名を受け入団

1984年のドラフト会議で小川博さんはロッテ・オリオンズから2位指名を受けました。両親は反対しましたが、自身の力を試したいと押し切って入団します。

青山学院大学出身のプロ野球選手は大変珍しいものでした。小川博さん自身の人気もあり、以降の野球部進出のきっかけをつくったと言われています。

1988年で推定年俸2200万円で契約更改

1988年にはオールスターに出場し、5者連続三振を奪い、伝説の10.19の第1試合ではロッテの先発投手を務めた。この年は自身初の2ケタ勝利を挙げ、両リーグ最多の204奪三振を記録し、最多奪三振のタイトル創設のきっかけを作るなどの実績があったため、翌年の年俸は2200万円に倍増した。

(引用:Wikipedia)

1988年は活躍した年でしたが翌年の1989年には肩を痛めてしまっています。小川博さんはこの故障をきっかけに低迷していったと言われています。

1992年に現役を引退しその後6年近くトレーニングコーチを務めた

現役を引退したのちもロッテ球団でトレーニングコーチを務めました。1993年から1999年まではコーチとして活動していましたがこの頃も金銭的な噂が絶えませんでした。

当時、小川博さんは離婚した元妻への慰謝料や借金を抱えていました。入団する際両親に預けた契約金や両親が稼いだ貯金などが借金返済にあてられています。

そのほか選手と賭けをして選手に借金をしていた、株の売買をしていたなどの証言もありました。

小川博の現在は?彼に未来はあるのか

小川博の犯行は非人道的だと言われています。自身の浪費という身勝手な理由で殺人事件を起こして逮捕されていますし、被害女性を殴りつけて川に投げ入れていますから非難されるのも当然です。

小川博さんは現在服役中ですが同情する声は少なく、子供に手紙を出すことも拒否されていて叶いません。唯一連絡のとれる母親も、出所後に会えるかどうか疑問です。

小川博は現在服役中

小川博さんは2006年2月23日、東京高等裁判所にて第一審と同様の無期懲役判決を受けています。よって現在服役中と考えられます。

小川博がいる刑務所は千葉刑務所?

小川博さんがいるのは千葉刑務所ではないかという噂がありました。

真偽のほどは定かではありませんが千葉刑務所の受刑者は長期刑の人間が多いため、無期懲役判決を受けた小川博さんは千葉刑務所に収監されている可能性は高いだろうと考えられます。

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