傾国の美女とは?中国・日本の歴史を動かす美人女性と言われた人物まとめ

名乗らなかった息姫

陳で美女だと噂されていたある女性は、嫁ぎに行くために息という国に向かっていました。その道中、蔡という国で休憩していたところ蔡の君主に顔を見られてしまいました。

当時、結婚前に花婿ではない男性に顔を見せることは恥辱だとされていて息の君主は怒りを覚えますが、勢力が劣っていたため楚という大国の文王(ぶんのう)に攻め込んでもらうように頼みます。

2つの国を滅ぼさせた

蔡に攻めこんだ文王は見事に衰退させましたが、文王は息姫の美貌に見惚れてしまい、息にまで攻め込み滅ぼしてしまいました。その後文王は息姫を拉致して後宮に住まわせました。

拉致された息姫は、文王と会話することを拒否して一言も口を利きませんでした。「何故口を利かないのか」と聞くと彼女は「私の敵だから」と答え、文王は大きなショックを受けたといいます。

日本の傾国の美女と言われる美人女性

次に、日本史における傾国の美女を一覧にまとめましたので、その美人エピソードとともにご紹介していきます。

額田王(ぬかたのおおきみ)

額田王は飛鳥時代の有名な歌人であり、元は大海人皇子(天武天皇)の妻でしたが、のちに夫の実の兄である中大兄皇子(天智天皇)の妻にもなっています。

大海人皇子との親密さを歌った「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」という歌は今でも有名です。

2人の天皇に愛され嫉妬を生んだ

中大兄皇子の死後、大海人皇子は実の兄の子供である大友皇子を壬申の乱にて滅ぼしました。さらに中大兄皇子の死にも大海人皇子が関わっているとされています。

こうした実の兄にも容赦のない行動は、愛していた美しい額田王を奪われた嫉妬の気持ちが少なからずあったからではないかと言われています。

常盤御前(ときわごぜん)

常盤御前は源義朝の妻であり、今若・乙若・牛若という3人の子供を産みました。牛若というのはのちに武将となる人物で、かの有名な源義経のことです。

平清盛が寵愛した美女とも言われていて、彼は源氏を破滅に導いたのち、常盤御前を愛人を意味する妾(めかけ)とします。

平清盛に歴史を動かす決断をさせる

平清盛は源義朝と3人の子供たちを殺害する予定でしたが、常盤御前の必死の抵抗により、彼らを殺害することなく許してしまいました。

このとき源義朝を殺害しなかったことは「平清盛最大の失敗」とまで言われているように、打倒平氏を掲げた源義朝はのちに平氏を滅亡に導いています。

さらにこのとき命を救われた源義経(牛若丸)は、平清盛の死後「源平の戦い」にて勝利に大きく貢献しました。もし平清盛が常盤御前の話を聞かずに殺害していたら、源氏の勝利はなかったとも言われてます。

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