傾国の美女とは?中国・日本の歴史を動かす美人女性と言われた人物まとめ

傾国の美女という言葉を聞いたことがありますか?これは国の存命すらも脅かしてしまうほどの美人という意味で、日本や中国の歴史上の人物にもいたとされています。今回はそんな傾国の美女を一覧にしてみて、その生い立ちや美人エピソードについてまとめてみました。

傾国の美女とは?

「傾国の美女」とは君主や皇族などの権力者がその美しさに夢中になるあまり、自分の国をも滅ぼしてしまうほどの美人という意味です。

日本にも多くいるとされ、美人を武器に政治に介入して国を滅ぼしたケースと、その気はないのに美しさに夢中になった権力者が国を滅ぼしてしまったケースがあります。

傾国の美女の語源や由来は?

もともと中国の漢書が由来とされていて、漢の武帝という王のために美しい女性を探していた李延年(りえんねん)が下記のように詠ったことが語源だと言われています。

一度の顧(ながしめ)は人の城を傾け、二度の顧は人の国を傾く(引用:ピクシブ百科事典)

今回はそんな美人たちの一覧を、中国・日本・その他の国に分けてご紹介していきます。

実在した傾国の美女たち!中国の主な傾国の美女一覧

まずは、中国史における傾国の美女の一覧をまとめましたので、その美人エピソードを交えてご紹介していきます。

贅沢と暴虐を尽くした妲己(だっき)

妲己は、中国の王朝・(いん)の王様・紂王(ちゅうおう)の姫君にあたります。紂王の堕落に拍車をかけた人物だとされ、今現在でも悪女の代名詞と言われてます。

正体は九尾の狐だった?帝辛の寵愛を受けた美女

当時、多くの無礼を行っていた紂王を懲らしめるために、中国史における女神・女媧(じょか)が彼女を送り込んだと言われ、美しい妲己を愛しすぎたせいで殷は滅亡したとまで言われてます。

そして妲己は、実は女の姿をした妖怪であり、九尾の狐だったとされています。

三国無双のゲームでもお馴染みの貂蝉(ちょうせん)

「三国志演義」という小説において絶世の美女として描かれた架空の人物であり、実在しないものの中国の四大美女として数えられるほどの美しい女性だったとされています。

貂蝉は幼い頃に孤児として市で売られていましたが、後漢の司徒とされる王允(おういん)に引き取られて、歌舞などを学びながら大切に育てられました。

その美貌で男たちの仲を壊して争わせた

歌舞が得意な美しい女性でしたが、王允は暴虐だった董卓(とうたく)を懲らしめるために貂蝉を利用して、董卓とそれに仕えていた呂布(りょふ)の仲を壊す計画を立て、見事成功しています。

三国無双シリーズでも妖艶さがある甄姫(しんき)

甄姫はお嬢様だったようで、高い等級を表す「二千石」という官史の家に生まれています。三国無双シリーズでも妖艶に描かれていて、その美しさを「肌は玉の如く、美貌は花の如し」と讃えています。

のちの皇帝に見初められて妻となる

始めは袁煕(えんき)という武将の妻でしたが、他の武将に攻め入られたときに、曹丕(そうひ)というのちの皇帝に見初められて彼の妻となりました。

のちに2人の子供も産んでいますが、曹丕が魏の初代皇帝となるとだんだんと愛されなくなっていき、に対して恨んでいると発言したため、曹丕は使者を利用して彼女を自殺させるという悲しい結末を迎えています。

古代中国四大美人とも言われている楊貴妃(ようきひ)

世界三大美女の楊貴妃は李瑁(りぼう)の妻でしたが、彼の父である玄宗(げんそう)という皇帝が楊貴妃を愛してしまいました。玄宗は息子の妻と分かりつつも美しい楊貴妃を寵愛しました。

美しさの虜になった皇帝により王朝衰退

楊貴妃の美しさに溺れた玄宗は、皇帝でありながら政治を顧みずに彼女との時間を優先しました。そんな中で楊貴妃のいとこである楊国忠(ようこくちゅう)と安禄山(あんろくざん)が安史の乱を起こします。

楊貴妃や楊国忠は、安史の乱の原因を作ったとして兵士たちに殺害されてしまいます。玄宗は最後まで楊貴妃を庇っていましたが、殺害という悲惨な結末を迎えました。

魚も見惚れる西施(せいし)

施夷光(しいこう)が本名で、中国四大美女の一人である彼女には、川で洗濯をしていたらあまりの美しさに魚たちが泳ぐのを忘れて見惚れてしまったという俗説まであります。

呉を滅ぼすための作戦に利用された

呉越が争っていた時代、呉の王・夫差(ふさ)に復讐するために、越の王・勾践(こうせん)は美しい女性を差し出して戦意喪失を狙おうとしてました。このとき献上されたのが西施です。

この復讐は成功し、皇帝であった夫差は西施の美しさに溺れてしまい呉の勢力は衰退化し、滅亡を迎えました。。

雁も落ちる王昭君(おうしょうくん)

元帝(げんてい)が皇帝だった前漢の時代、呼韓邪単于(こかんやぜんう)という匈奴(きょうど)の君主に差し出されたのが中国四大美女とされる王昭君でした。

皇帝が惜しんだほどの美女

当時、元帝は王昭君の顔を見たことがありませんでした。似顔絵師に賄賂を贈って美人に描いてもらうことが流行っていましたが、王昭君は賄賂を払わなかったため醜く描かれていました。

匈奴に妻として差し出す時の別れの式で初めて彼女の顔を見た元帝は、あまりの美しさに驚き、匈奴に差し出すのを躊躇するほどでした。

物語の題材にもなる夏姫(かき)

夏姫は「夏姫春秋」という宮城谷昌光の代表作でも主人公として描かれていて、彼女に関わった人は次々と死んでいったことから絶世の美女であり男を狂わせる女とも呼ばれています。

夏御叔(かぎょしゅく)と結婚し子供を産みますが、夫が死亡すると、陳の霊公(れいこう)と孔寧(こうねい)と儀行父(ぎこうほ)の3人が彼女に近づき、無理矢理肉体関係を結びました。

最終的に王朝同士の争いに発展

夏姫を襲った3人は、これを指摘した洩冶(せつや)を殺害しました。そして襲われた場面を目撃していた夏姫の一人息子である夏徴舒(かちょうじょ)は霊公を殺害しました。

楚に逃げた孔寧と儀行父、それを追った夏徴舒は、楚の王・荘王(そうおう)によって殺害されています。そして夏姫は荘王の家臣である巫臣(ふしん)の妻となりました。

これにかつて夏姫を妻に欲しがった荘王の弟が激怒し、巫臣の一族を皆殺しにし、この復讐のため巫臣は呉の協力を得て楚を侵攻しました。彼女が発端となり、王朝同士の争いにまで発展しました。

名乗らなかった息姫

陳で美女だと噂されていたある女性は、嫁ぎに行くために息という国に向かっていました。その道中、蔡という国で休憩していたところ蔡の君主に顔を見られてしまいました。

当時、結婚前に花婿ではない男性に顔を見せることは恥辱だとされていて息の君主は怒りを覚えますが、勢力が劣っていたため楚という大国の文王(ぶんのう)に攻め込んでもらうように頼みます。

2つの国を滅ぼさせた

蔡に攻めこんだ文王は見事に衰退させましたが、文王は息姫の美貌に見惚れてしまい、息にまで攻め込み滅ぼしてしまいました。その後文王は息姫を拉致して後宮に住まわせました。

拉致された息姫は、文王と会話することを拒否して一言も口を利きませんでした。「何故口を利かないのか」と聞くと彼女は「私の敵だから」と答え、文王は大きなショックを受けたといいます。

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