花形敬とは?素手喧嘩(ステゴロ)最強男の伝説【伝説の喧嘩師】

伝説の喧嘩師として未だ語り継がれているヤクザの花形敬さんについてご紹介します。数々の伝説を残しており、花形敬をモデルとした漫画や映画も多く存在します。そんな彼の伝説や、最期、また、力道山や安部譲二といった数々の著名人との関係をまとめました。

伝説の男といわれる花形敬とは?

伝説の喧嘩師で有名の花形敬さんは安藤組(東興業)の幹部をしていた方です。「伝説の喧嘩師」という言葉を聞くとアニメや映画で出てきそうな言葉ですね。

しかし、花形敬さんは現実の世界に実在した方で日本のヤクザ界では伝説と言われている人物です。そんな花形敬さんについてご紹介致します。

1930年生まれで、1963年に亡くなりました。僅か33年という短い人生でしたが、数々の伝説を残しヤクザ界では神と崇められているほどの武勇伝も多くあります。

前科7犯22回の逮捕歴を持つ日本のヤクザ

伝説の喧嘩師の異名で恐れられた花形敬さんは前科7犯、22回の逮捕歴を持っています。喧嘩での逮捕が多く喧嘩負けなしと言われていたことから「素手喧嘩(スデゴロ)最強」と言われていました。

素手喧嘩(スデコロ)最強と言われていた理由は、当時、刀や銃を当たり前のように喧嘩に使っていたという時代に花形敬さんは一切武器を使わずに多くの人間を素手で倒してきたことからその異名がつきました。

花形敬さんの特徴は縁なしのメガネし白のスーツ、顔には20箇所以上の刀傷があり、体全身にも多くの傷があったそうです。これだけでもかなりの威圧感ですが、その上喧嘩も強く当時は最強と言われていました。

花形敬の身長・体重や体格

花形敬さんは体格も非常に恵まれていました。1950年代に多くの伝説を残した花形敬さんは当時20代の男性平均身長が161㎝と言われていた時代に185㎝あったと言われています。

というのも正式な記録が残ってないので185㎝とはあくまでも推測ですが、当時の平均は大きく超える体格だったそうです。

体重に関しても不明でしたが、80㎏台から90㎏台だったのではないかと言われています。現代でも花形敬さんほどの体格の男性は少ないので、当時の人たちから見たらかなりの迫力だったのではないでしょうか。

素手喧嘩(ステゴロ)最強説花形敬に子孫は?娘の噂について

花形敬さんには子孫がいるのか?花形敬さんは安藤組(東興業)に在籍しており、安藤昇組長の舎弟でした。それまでの経歴の中で花形敬さんが結婚しているという経歴は存在しませんでした。

実際に結婚したという情報も見つかりませんでしたので、結婚はしていない可能性が非常に低いと思われますので子孫はいないようです。

また、花形敬さんのお墓には家族と思われる名前も刻まれていなかったので子孫はいないと考えるのが妥当なのではないでしょうか。

この事から正式なお子さんがいらっしゃらないという事になりますので子孫はいないと考えられます。しかし、噂では娘がいた。という情報もあり子孫がいる可能性もありました。

娘へのプレゼントを持って殺害された?

花形敬さんは喧嘩だけではなく、女遊びも非常に豪快でした。なので花形敬さんと関係を持った女性の中から花形敬さんと血の繋がった子孫がいてもおかしくないと考えられます。

噂では娘さんがいると言われており、花形敬さんが殺害された時に娘さんへのプレゼントを持っていたと言われています。

しかし、あくまでも噂レベルで花形敬さんは殺害される前に新宿区のクラブに訪れてお酒を飲んでいたそうです。

クラブで娘さんへのプレゼントを持って飲みに訪れるというのは考えにくいのでプレゼントを持っていたというのはガセではないかととも言われています。

当時の正式はありませんでしたが、子孫がいる可能性は限りなくゼロに近いですが、女遊びが激しかったことから実際に子孫がいる可能性もないことはないですね。

伝説の男花形敬の生い立ち

1950年代には珍しい大柄な体格で数々の伝説を残した喧嘩師花形敬さんの生い立ちについて紹介致します。記録に残っている情報は非常に少なかったのですがまとめてみましたのでぜひ、チェックしてみてください。

生い立ち

花形敬さんは幼い頃から一際大きい体格だったそうで、子供の時から喧嘩に明け暮れ不良少年を引き連れては喧嘩を繰り返していました。圧倒的な強さと大柄な体格から怪物と恐れられていたそうです。

花形敬さんが在籍していた安藤組の幹部だった、森田雅さんと石井福造さんとは同じ時代に暴れまわっていた関係で子供の頃から顔見知りだったそうです。

その森田雅さんによると、花形敬さんは第二次世界大戦まで海軍兵学校を目指して勉強一筋だったそうです。しかし、目を悪くしてしまい海軍兵学校を断念せざる追えない状況になり不良になったと語っています。

安藤組(東興業)の大幹部を務め組長の寵愛を受けていた

花形敬さんは安藤組(東興業)に在籍しており、その組長である安藤昇さん寵愛を受けていたそうです。花形敬さんは石井福造さんの仲介で安藤昇さんの舎弟となりました。

安藤組には全盛期は500人以上の構成員がいたそうですが、その中でも最も安藤昇さんが可愛がっていたのが花形敬さんだったそうです。

安藤組組長安藤昇とは?

安藤昇さんは1926年5月24日生まれで2015年12月16日に89歳で亡くなった元ヤクザです。出身は東京府豊多摩郡(新宿区)でヤクザを引退してからは、俳優、小説家、歌手として活動していました。

安藤組(東興業)の組長の安藤昇さんは昭和33年に実業家の横井英樹さんの債務取り立ての処理を請け負っていましたが、その時に横井英樹さんに激怒し組員に横井英樹さんの襲撃を命じました。

その後殺人未遂で逮捕され組長不在の時に花形敬さん安藤組組長代理を勤めたそうです。そのことからも花形敬さんは寵愛を受けていたことがわかりますね。

花形敬の伝説エピソード

伝説の喧嘩師と恐れられた花形敬さんは他にも多くの伝説を残していました。その伝説エピソードの中には現代では信じられないような出来事も多くありましたのでご紹介致します。

力道山とのエピソード

力道山さんは1924年11月14日生まれで、1963年12月15日に亡くなった大相撲出身のプロレスラーです。日本プロレス界の父とも呼ばれた偉大なプロレスラーです。

そんな力道山さんとのエピソードがありましたのでご紹介します。

そんな国民的スターの力道山さんと花形敬さんは過去に少し揉めたことがあります。それは安藤組が仕切るシマで飲み屋がオープンしました。その飲み屋は「純情」という居酒屋でした。

安藤組のシマにもかかわらず「純情」は安藤組に挨拶をせずに営業をしていたそうです。当時はヤクザが飲み屋の用心棒を務めていることが多くそのシマの組には挨拶に行かなければならないという決まりでした。

安藤組の花形敬が「純情」に出向き事件発生!

挨拶がなかったので安藤組の花形敬さんが「純情」に出向きました。すると店の奥から力道山が現れて「俺がこの店の用心棒だ」と花形敬さんに対し威勢を張りました。

しかし、花形敬さんは国民的スターに臆することなく、「てめぇ、ここを何処だと思ってやがる!てめぇみたいな奴に用心棒が務まるか!」と力道山さんに向かっていったそうです。

力道山さんは身長176㎝で体重は116㎏ありましたが、それよりも体格の大きい花形敬さんと迫力に圧倒され屈服してしまったそうです。

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