レジェンド校長「高島雄平」の現在は?家族は罵倒?事件の判決も!

レジェンド校長高島雄平と言えば、12000人以上もの女性と買春した事で知られ、ネタとしても持て囃されている存在です。とは言え、犯罪は犯罪でありその代償に多くの物を失いました。今回は校長の経歴や事件判決後の家族との関係等について迫ってみました。

高島雄平がレジェンドと呼ばれる理由

言ってしまえば高島雄平は性犯罪者であり、犯罪を犯した者は蛇蝎のごとく嫌われる事も珍しくありません。しかも、基本的にレジェンドとは好意的な意味で用いられる言葉です。

では、なぜ高島雄平はレジェンド校長と呼ばれるようになったのでしょうか?

2015年に児童売春・児童ポルノ法違反の疑いで逮捕

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フィリピン政府からの現地での日本人による買春の情報提供を受け、2014年に神奈川県警が自宅へ家宅捜索に入りました。その際、書斎に平積みにされた410冊のアルバムを捜査員は発見します。

捜査員は証拠品として押収。1年以上の時間をかけてアルバムを精査します。小児科医にも判断を仰ぎ、2014年の1月頃に撮影された写真に写る女性が13歳程度と判断され逮捕に踏み切りました。

尚、罪状は児童買春・児童ポルノ法における製造にあたり児童買春ではありません。理由は引用の通りですが、高島雄平が未成年の少女相手にみだらな行為を行った事事態は間違いありません。

女性を特定できなかったため、児童買春容疑での立件は断念せざるをえなかった。児童ポルノ製造の時効は製造の日から3年のため、他の女性についての立件も難しいという。

(引用 産経ニュース)

全国区で繰り返し報道された後有罪判決が下された

聖職者が起こした性犯罪。それも史上類を見ない規模故に当然ながら強い関心を集め、連日のように新聞やテレビで報道が繰り返し行われました。

そして、逮捕から約8ヶ月後の12月25日、横浜地裁において高島雄平への判決が下されます。判決は求刑懲役2年に対し懲役2年、執行猶予4年でした。

判決が軽すぎる、との批判の声が方方より上がっていますが、これは前述の時効や捜査の難航などの関係によって、事件として立件出来たのが3件だけだった事が原因とされます。

2014年1月まで65回の渡航と12,660人以上の売春行為

レジェンド校長高島雄平が最初にフィリピンで買春を行ったのは、マニラに赴任していた1988年4月とされます。日本に帰国後は2014年までの26年間に渡り65回渡航し、その度に買春は行われました。

捜査関係者によると、1988年当時のマニラにおける代金は1人570~860円程度であり、校長は値段の安さを喜んだとされます。また自身が他人に比べて性的好奇心が強い事も自覚していました。

尚12660人と言うのは、あくまで件のアルバムに残されていた写真から判明した数であり、写真を撮らなかった事もある事から実際の数は更に増えるようです。

県警の調べに対し、高島容疑者は「仕事のプレッシャーが強く、倫理観のたがが外れたときの解放感を味わった」「タガログ語と英語で話すと人格が変わり自分を抑えきれなかった」などと供述している。

(引用 産経ニュース)

買春にハマった理由について、高島雄平は以上のように述べましたが当然受け入れられる筈は無く、教育評論家や世間からは痛烈に非難されました。

年間で480人の女性を相手をしていた

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計算上26年間、毎日1日1人以上と行為をしていた計算になりますが、日本で教鞭を執り、名の通り校長も勤めていましたので、1年通じてフィリピンへと滞在していた訳ではありません。

調べによると、高島雄平は春夏冬の長期休暇の度に渡航。約2週間程度、現地に滞在し安宿に泊まる等して滞在費を抑えて買春に明け暮れたとされます。最低でも1日5、6人以上と行為を行っていたようです。

事実アルバムには10人以上の女性に囲まれて悦に浸る高島雄平の写真や現地の買春斡旋人から以下のような証言も出てきています。

「異常に性欲が強いのです。一日に十回することなどざらで、滞在中は毎日時間を決めてセックスしていました。私に与えられた役割は午後一時までに彼のホテルに女性を連れて行き、次々に部屋に送り込むことでした。午後三時までに何人かとセックスすると、『ブレイクタイムだ』と一旦休憩をとり、その後また数人とセックスするというパターンで、規則正しく、まるで義務のように午後五時まではセックスを続けるのです」

(引用 JCAST テレビウォッチ)

高島雄平がレジェンド校長と呼ばれるようになったのも、これらに裏付けられる並外れた性欲の強さが要因の1つとなっています。

尚、教職員は勤務地を離れる、特に海外へ赴く場合は届け出が必要であり、高島雄平はマングローブの植樹を行うボランティアの為と語り届けを提出していたと元同僚の証言しています。

驚くべきストライクゾーンの広さ

高島雄平がレジェンド校長と呼ばれる所以、その2つ目の理由が彼の持つ驚く程のストライクゾーン広さです。

下は14歳、上は70歳、内18歳以下は1割と供述しており、自分で小児性愛では無いとの言葉を証明するかの如く手当たり次第だったと言われています。

加えて、例え相手が70歳であろうとも決して邪険に扱う事は無くしっかりと抱き、料金も10代の女性と同じ金額を支払ったとされておりこのような対応も含めレジェンドと呼ばれています。

レジェンド校長の驚くべき几帳面さとは?

逮捕と決め手となった410冊ものアルバム。高島雄平はこのアルバムを我が秘密の生涯編と名付けていました。思い出の為にと作り始められたこのアルバムから几帳面な性格である事が分かります。

まず写真の総数は約14万7600枚。1ページにつき6枚の写真が貼られており、女性毎に余白に番号が振られ、女性の名前、年齢などの情報が緻密に記載されていました。

写真もまずは洋服を着た女性の写真が先頭に、2枚目以降はその女性の裸体や行為中の写真と続いていたとされます。

あまり気合の入りようとその圧倒的な量に捜査員も開いた口が塞がらなかったと言われており、家宅捜索から逮捕までに時間が有したのは膨大な量の為です。

尚、件のアルバムですが公判中に校長から警察へと処分の依頼がなされています。また冗談めかしてか、アルバムの処分を惜しむ声もネット上に存在します。

レジェンド校長高島雄平の現在は?

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初公判の際には、自身の今後のビジョンについても口にしていたレジェンド校長こと高島雄平。判決から既に4年が経過していますが、今現在高島雄平はどこで何をしているのでしょうか?

判決が降りた後自宅で引きこもっている

自宅は横浜市の高級住宅街に存在し東京湾を望める豪邸です。一説によると1億円以上はするとも言われています。校長は既婚者であり、子供も居ますが、離婚や別居には至っていません。

「ええ、本人もご家族もいらっしゃいますよ。引っ越しはされていません。でも、さんざんマスコミで騒がれたので、ほとんど外に出ない。出かけるときは車なので顔を合わせたことは1度もありません」(近所の主婦)

(引用 週刊女性PRIME)

しかしながら、犯した罪が罪故に、家族との会話はなく、逮捕後から判決後の現在に至るまで高島雄平は自宅で引きこもりのような生活をしているようです。

事件発覚後は妻から罵倒され息子からは無視

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当然ながら家族から高島雄平への風当たりも強く、妻からは叱られ、息子からは無視されるようになりました。

しかし、初公判の際には状況は変化した面もあり、妻は呆れてこそいるものの庇ってくれるようになった事を弁護士との会話で明らかにしています。

ただやはり家族関係には問題があるとも述べており、家族への贖罪の言葉も口にしており、引きこもり生活の中でも妻の負担をやわらげるべく家事も行っているとの事です。

ストレスにより不眠症になり酒に溺れたと言われている

元々高島雄平はアルコールを受け付けない体質だったそうです。

初公判で審議を終え、裁判官より何か言いたい事を尋ねられた際、事件への反省や自身の中の感情の変化を口にした上で、事件後アルコールの力に頼らなければ眠れない日もあると述べています。

レジェンド校長高島雄平の経歴

事件の内容、報道による反響の大きさから校長=レジェンド校長の図式さえ出来上がっています。校長を固有名詞にした男とも冗談混じりで呼ばれる高島雄平はいかなる経歴を歩んできたのでしょうか?

1975年に横浜市の教育委員会に中学教員として採用される

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後に世間を騒がし、レジェンド校長とも呼ばれる高島雄平が教師への第1歩を踏み出したのは1975年だと言われています。当時は24歳で受け持ちは理科でした。

スポニチの男性記者が、1982年から2年間、校長に指導を受けており、当時校長はハンドボール部の顧問でヒゲを生やしたワイルドな見た目の先生で、Hな話に割り込んできたと回想しています。

尚、その風貌などから女子生徒には不潔と思われていたようで、女子生徒からは嫌われていたと答えています。

1988年にフィリピンのマニラにある日本人学校へ赴任

その後、文科省の在外教育施設派遣資格に合格しフィリピン・マニラにある日本人学校に3年間赴任します。ここから、以後26年にも及ぶ買春人生がスタートしました。

因みに海外にある学校に赴任する為の上記資格は、推薦を受けなければ受験すら出来ず、優秀であると同時に上昇志向が強かったと当時の同僚がコメントしています。

高島雄平は帰国してから5年後、校長はマニラ赴任時に交流のあった学校に行けないスラムの貧しい子供たちについてリポートを横浜市教育研究所が発刊するJUNと言う雑誌に寄稿しました。

「物質的に豊かになったことでなくしてしまった心の中の尊いものを、持たざる彼らの中に見つけた気がした」

「学校へ来る機会に乏しい子供たちに、学校は何かしてあげられないのでしょうか」

(引用 産経ニュース)

熱心な教育者としての一面が垣間見える至極まっとうな内容ですが、既に買春を開始していた事なども判明しており、今となっては御前が言うなと非難される要素の1つに成り下がってしまいました。

1991年帰国し芹が谷中学校の経論に着任

帰国後、レジェンド校長こと高島雄平は横浜市の芹が谷中学校に着任、再度日本で教鞭を振るうようになりました。

赴任直後の印象とは異なり、穏やかで人気のある先生だった。とかつて高島雄平の授業を受けた娘を持つ主婦が取材に答えています。

高島先生を略して「タカセン」と呼ばれていたとされ、厳格な教師であると同時に気さくでもあり生徒からは慕われていたようです。

2008年から同中学で校長に就任

同中学では副校長等を務めた後、57歳の時に校長に就任しています。

朝礼や入学式や卒業式で生徒に語りかけていた高島雄平ですが、この時もフィリピンへの渡航。そして、買春は継続して行われていました。

にも関わらず、校長在任中に中学だよりを通じて以下のような言葉を発信しています。

「イメージしてみてください。世界には国や家族のためにいやおうなく働かされ、人生が自分自身のものでないこどもたちさえたくさんいるのです」

(引用 JCAST ニュースウォッチ)

2011年退職金3000万円を貰い退職

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2011年まで校長を勤め上げた後退職します。この時60歳でした。受け取った退職金の額は3000万円と言われています。

尚、横浜市教育委員会は校長の逮捕後退職金の返還を検討。これは神奈川県の退職金に返還に関する条例が存在し、売春行為が在職中に行われていた為にその条例に接触する為です。

実際に2016年の3月28日に横浜市教育委員会より返還命令が下されました。返還期限は同年4月14日でしたが、返還したかどうかについては不明なままです。

他の中学校に赴任するがその後も芹が谷中学校で過ごす

途中、中和田中学校にも赴任しますが日本での教師生活のほとんどを芹が谷中学校で過ごしています。

尚、退職後は再任用で1年間1教諭として再び教壇に立ち理科を教え、その後は公益財団法人市教育文化研究所で研究員としても働いていましたが、事件発覚を受け促される形で退職しています。

レジェンド校長高島雄平の家族について

家長である高島雄平の逮捕は家族にも暗い影を落とした事は想像に難くありません。高島雄平の現在において、妻と息子の存在には触れましたが他に家族について解説していきます。

家族は5人

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高橋雄平には妻と3人の子供がおり、内2人は息子で娘は1人とされています。

逮捕前は幸せそうに過ごしていたと近所の住人が答えており、特段問題があるようには見えなかったそうです。また町会費の集金を高島雄平は手伝おうとしており、近所からは紳士的な印象を持たれていました。

尚事件発覚時、自宅に住んでいたのは高島雄平本人と妻、そして息子の内1人であり、後に息子はインタビューで高島雄平について答えています。

現在息子たちは全員成人している

子供は3人とも成人しており、それぞれが職を持っていて内2人は独立しています。

初公判の際に裁判官は独立している子供との関係にも触れており、息子とは話はしても直接会ってはおらず、娘とは会う事はおろか話さえしていないと答えています。

レジェンド校長高島雄平の評価

教師としての評判については、途中でいくらか触れさせていただきましたが家庭や校長、買春を繰り返し行っていたフィリピンでの評価はいなかるものだったのか、ここではそれらについて触れていきます。

父親としての家族からの評価

事件後、トクダネ!が高島雄平の自宅を訪れた際に在宅していた前述の通り息子が対応しており、その際息子は丁寧に受け答えし、いい父親だったかどうかと尋ねられた際には即座に肯定しています。

同時に厳格な父親とも評しており、VTR後のスタジオでは小倉智昭や山中章子より息子への気遣いや同情の言葉が寄せられました。

校長としての高島雄平

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校長としての評価もまた厳格であり、逮捕後高島雄平が校長を務めていた際に在校していた男性が取材に応じています。

「厳格な印象を持っていたからショック。(買春の)数の多さに、あきれればいいのか怒ればいいのか分からない。『校長なのに…』と裏切られた気分だ」

(引用 産経ニュース)

フィリピンでの評判

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買春を始めた当初はフィリピンでの評判は芳しくないものだったと報じられています。しかし、逮捕直前の高島雄平への評判は非常に良く、売春を行う女性から大人気でした。

顔見知りの売春婦は高島雄平をパパと呼んで慕っており、信奉者が居た程です。高島雄平は舌技が大変上手かった事が、彼の相手をした女性の口から語られています。

更には斡旋人からの評判も高く、中には自身も売春婦であり、娘もまた売春婦にならざるを得なかった母親が娘の初めてのお客に高島雄平を指名したとも言われるのもレジェンドと呼ばれる所以です。

事件後のフィリピンでの評判

事件後の評判も変化は無く、逮捕された事に対し憤り、高島雄平の身を案じ、かわいそうと同情する声さえもあります。フィリピンへまた訪れる事を望む声も聞こえました。

紳士的で優しく、金払いも良い彼は理想的なお客さんであり、それ故に彼を悪く言う者はおらず、被害届も出されなかった為に捜査は難航したとも言われています。

「私が紹介した女のコに聞いてもらったらわかるけど、誰ひとりとして高島さんのことを悪いと言う人はいないよ。彼は刑務所に入るような人間じゃない。だから無罪になってほしい!」

(引用 livedoorニュース)

実際に高島雄平へ売春婦を斡旋した女性は取材を受けた際に、涙を流して高島雄平の写真へとキスを繰り返し行った上で引用のように語っています。

また高橋雄平のお気に入りだった女性も取材に応じており、自宅には高島雄平が撮った私服の写真を家に飾ってあると答えていました。

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