深浦加奈子の死因はガン?座ったまま絶命するまでの闘病生活【名脇役】 エンタメ

深浦加奈子の死因はガン?座ったまま絶命するまでの闘病生活【名脇役】

深浦加奈子さんはテレビドラマや映画などで名脇役として活躍した女優でした。座ったまま息絶えるほど、その闘病生活は壮絶なものだったと言われますが、その死因の病気は何だったのでしょう?彼女の葬儀の様子、また、結婚していたのか、夫や子供はいたのかについてまとめました。

目次

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名脇役として知られる深浦加奈子とは?

役どころはほぼ脇役だった深浦加奈子さんでしたが、印象が強く残るいい演技で「主役じゃないけどしっかり存在感のある役者」といってもいい魅力的な女優でした。

深浦加奈子のプロフィール

深浦加奈子さんは、東京都出身、様々な役柄をこなし名脇役と名高い彼女は、2005年まではシス・カンパニーに所属し、2008年8月48歳で死因S状結腸癌のため亡くなりました。

生年月日 1960年4月4日
没年月日 2008年8月25日(48歳没)
出生地 東京都
国籍 日本
民族 日本人
血液型 A型
職業 女優
ジャンル 演劇、映画、テレビドラマ
活動期間- 2008年

(引用:ウィキペディア)

深浦加奈子の学歴

深浦加奈子さんの最終学歴は明治大学文学部演劇学科卒です。明大時代に演劇研究部で川村毅さんと出会います。

昭和55年第三エロチカ創設に参加し女優の道を切り開いていくことになります。

深浦加奈子の代表作

あまりにも有名な作品が数多くあります。TVドラマの出演がこんなにあったのですね。その中のいくつか代表作を紹介すると、下記のとおりです。

主な出演にテレビドラマ「夏子の酒」「スウィート・ホーム」「真昼の月」「家なき子」「秀吉」「ホテル」「ハートにS」「雲霧仁左衛門」「ナースのお仕事」「海まで5分」「私の青空」「女子アナ!」「美女か野獣」、映画「千里眼」「サトラレ」「AIKI」「たそがれ清兵衛」「ぼくのおばあちゃん」(遺作)などがある。

(引用:コトバンク)

風変わりな性格だった?

プロレスラーのザ・ロックの熱狂的なファンで、来日の時サインを求めました。ザ・ロックとは、アメリカのプロレスラー、本名はドゥエイン・ダグラス・ジョンソンです。

俳優としても活躍されていますね。祖父・父とプロレスラーで名門のメイビア家アノアイ・ファミリーの3世レスラーでレスラーのサラブレッドです。

プロレス好きの意外な一面がありました。一般女子が求めるものとは少々違ったものを求めるタイプであったと思われます。

小学校からの友人である湯山玲子によると、テレビから出てきたような美少女が転校してきて、その子が深浦加奈子でした。長いまつ毛に彫りの深いその容姿から、体育館裏で付けまつ毛をしていると噂が立つほどでした。

公務員の親を持ち、成績優秀なのに、世の中を斜めに見る皮肉屋なところもありました。当時は女の子受けしなかった「天才バカボン」に一緒にハマるなど、風変わりなタイプでした。

(引用:Luupy)

深浦加奈子は創価学会?

噂はデマである可能性が高いでしょう。多くの芸能人が創価学会会員と言われておりますので、もしかしたら深浦さんもと思いましたが、特に関連のある記事が少ない彼女は関係ないのではないでしょうか。

まず、深浦加奈子についてのwikipediaのページを確認したところ、創価学会に関する記載はありませんでした。
次に、深浦加奈子と創価学会の関係を各メディアの記事から調べましたが、これもやはり関連のある物が見つかりませんでした。

(引用:Killy)

深浦加奈子に夫や子供はいたのか?

「恋人は仕事」と言っていた仕事人間ですので、結婚、夫、子供がいる可能性は低いと思われるのですが、一部で俳優高橋克美さんと結婚していたという噂があるようです。

ですが葬儀の喪主が父、深浦英助さんですので、未婚で間違いないでしょう。家族の深い愛と、たくさんの素敵な友人に囲まれながらギリギリまで仕事をされていました。ご冥福をお祈り致します。

死因は病気?

死因は病気で間違いありません。S状結腸癌(大腸がん)で闘病生活の末、亡くなりました。

生前、闘病中であることはごく一部の関係者にしか知らせていなかったそうです。親しかった芸能人などにも迷惑や心配をかけさせたくなかったことから秘密にしていたと言います。

2002年深浦加奈子にガンが発見される

2008年に亡くなるまで関係者はガンであることに気がつかず、本当に周囲を驚かせました。この時はまだ、ガンとの闘病生活が壮絶であると深浦加奈子さん本人や周囲の方々は思いもしなかったでしょう。

脇役としてとても評価が高い彼女の演技は、視聴者からも定評があり、よくTVドラマに出演していました。本当に人気女優でしたね。ガンが発見された当時を振り返ります。

「美女か野獣」の撮影時に見つかったガン

「美女か野獣」は2003年フジテレビで放送されました。人気絶頂期の松島菜々子さん、不動の人気俳優福山雅治さん主演のドラマでしたが、脇役としての深浦さんの存在感が好印象でありました。

撮影をしていた2002年の冬、深浦加奈子さんは激しい腹部の痛みに襲われます。初めは重い生理痛かと思って様子を見ていたようです。

しかし、症状は一向に良くならず、病院搬送されるという事態になります。そこで診断されたのが、S状結腸ガン(大腸ガン)でした。

ガン死亡率トップ3内に入るS状結腸ガン(大腸ガン)とは?

S状結腸は、その名の通りアルファベットのS字のように屈曲・蛇行している臓器です。S状結腸ガンはやや男性に多く、50~70歳代に多く見られます。

直腸とともに肛門に近い部位であり、出血の症状が痔に類似していて「痔の出血だろう」という自己判断で見過ごされやすいのが特徴です。なかなか発症に気付けず、ガン死亡率トップ3内に入っています。

■繰り返す「下痢」と「便秘」
もともと便秘気味という場合は別として、下痢と便秘を繰り返すようなケース。
■「血便」
便の表面に血液が付着していたり、便の中に血の塊が混じっていたりするようなケース
■細い便しか出なくなる「便柱狭小」
細い便しか出ていないようなケース。がんによる腸の内腔の狭小化に伴って見られる。

(引用:AllAbout 健康・医療)

もちろん、良性疾患の可能性もありますから心配しすぎることはありませんが、気になる人は、医療機関を受診し、便の潜血反応のチェックを受けることをお勧めします。

深浦加奈子の闘病生活

家族の存在が彼女を強く支えたでしょう。重い病気ほど一人で乗り越えられるはずはありません。

深浦加奈子さん本人はとても精神の強い方ではありましたが、家族の支えがあったからこそ闘病生活ができたのでしょう。ここで、家族愛を感じるエピソードをご紹介します。

周囲に公表せず仕事に専念するプロ意識の高さ

深浦加奈子さんの病気のことを知っていたのはごく一部の人だけでしたので、訃報が報じられた後の周囲の反響は大きいものでした。

周りに迷惑をかけたくないという責任感と、女優であるという強い信念に、プロとしての意識の高さを感じます。

最後の舞台で演じた「新しい橋」の水商売の女性も癖が強い役でしたが、彼女が好んだ役どころでした。深浦さんの父親には”これからは舞台をやりたい”という気持ちを打ち明けていたと言います。

「仕事は恋人」なので減らそうとはせず

病気が発覚した際、家族を含め周囲の人間は治療に専念するよう勧めたと記されています。しかし、深浦加奈子さんは頑なにそれを拒否し、周囲に闘病生活を隠しながら仕事に打ち込みます。

普段から何事もなかったかのように振舞っており、病気であることを気づかれないようにしていたのです。

肝臓、胃、肺などに転移し入退院を繰り返す

発見当初の検査で転移は認められなかったものの、手術で開腹すると症状は深刻でした。手術は成功し、現場復帰を果たすのですが、その後ガンが肝臓、肺、胃と他の臓器へ転移していき、再度手術を繰り返すのでした。

闘病記では、ガンによって激痛が走り、モルヒネを打って痛みを和らげては、よく母親から背中をさすってもらっていたようです。肺に転移し肺ガンも併発したときは呼吸困難にもなりました。

酸素吸入器で呼吸しなければならないほど壮絶な状態に陥っていました。

酸素吸入器で呼吸を維持しモルヒネで痛みを緩和

深浦加奈子さんの症状は肝臓にガンが転移したことで、毒素が全身に回り、胃や肺にも転移し、どんどん悪化していきました。

身体の激痛はモルヒネを打ち、呼吸困難になっては酸素吸入器で呼吸するという日々はとても涙ぐましく思います。周囲の方々も悲しみを堪えて深浦さんとともに戦っていました。

終末医療を頑なに拒否した理由は?

病気は悪化、ガンは転移をし、全身の痛みと戦う日々は見るに堪えがたいものだったそうです。とうとう医者からも終末医療を勧められたということでした。

しかし深浦加奈子さんは、これを頑なにこれを拒否をし、生きる道を諦めなかったそうです。

女優としてまだやりたいことがあったでしょうし、強い精神の持ち主ですから、ガンを克服する道を諦めず、他の治療法を探すことになります。

副作用に苦しみながらも自ら治療法を探す

深浦加奈子さん自らもガンを学び、インターネットで治療法を見つけ出し、放射線治療に挑むことになります。2度目の肝臓ガンになり、手術が不可能な状態の中選んだ治療です。

闘病記には副作用で吐き気や嘔吐に苦しんだ様子が記されています。抜け落ちてしまった髪の毛を悟られないように、病院へ見舞い来る人に対して、ウィッグを被り心配させないようにしていました。

こうして、がんの再発・転移と治療による小康状態を繰り返すのでした。

家族総出でバックアップ

深浦加奈子さんの闘病生活を家族は献身的に支えています。これ以上の迷惑をかけることができないと、所属事務所の退所の決断をします。

彼女のため、母親は会社を辞めて彼女の栄養管理に徹し、姉は加奈子さんのマネージャーとなり、義兄は、開業医なので病院選びから治療方針の決定まで医療全般のサポートをしました。

加奈子さん本人は父親の経営する会社へ入社し、芸能活動を続けることになります。

家族の為に手製のプレゼントを贈る

闘病記には深浦加奈子さんが家族に対して、それぞれの誕生日に手製のプレゼントを贈っていたとあります。加奈子さんの思いが家族の絆を強くし、加奈子さんの存在が家族一丸となった理由ということです。

手製のプレゼントは自分のため支えてくれる家族に何かしたいというささやかな気持ちだったそうです。

深浦加奈子の最期

深浦加奈子さんの母親は”もっと話してほしかった” “あなたの生き方に教えられた”という言葉を残しています。自分の病状が絶望的でも諦めず、”深浦加奈子”いう女優としての生き様に心打たれるものがあります。

深浦さんの葬儀は密葬で、身内だけで行われました。

2008年8月ベッドに座ったまま息絶える

深浦加奈子さんが亡くなる最後数週間、身体もとうとう限界の状態でした。肝臓は機能が低下し、肺も半分ほど潰れてしまい息をするのもやっとだったそうです。喋ることもできなくなります。

そして2008年8月、ベッドに座ったまま息絶えました。家族に看取られながらこの世を去ったといいます。最後まで女優としての復活を目指し、ガンと戦い続け諦めませんでした。

葬儀は9月2日に都内でしめやかに行われたそうです。

戸田恵子は深浦加奈子が亡くなる2日前に会っていた

戸田恵子さんは、古くから深浦加奈子さんと親交のあった友人の一人です。同じ劇団出身で、苦楽共にしたことが多くあったことでしょう。

彼女は深浦さんが亡くなる2日前に面会に訪れていたといいます。深浦さんが小さな声で「ありがとう」と言い笑顔を向けたそうです。

ベッドに座ったまま息絶えるほどにガンと闘っていたのですが、戸田さんの前では出来る限りの元気な姿を見せていたということでしょうか。やはり最後まで素晴らしい女優でした。

「気丈に優しい笑顔を見せてくれた。小さい声だったけど声が聞けたし。ちゃんと意識はあった。あったどころかしゃんとしてた。ニコニコ『ありがとう』って言ってた。」と感謝の言葉を受け取った。

(引用:40代主婦Life Change)

深浦加奈子の訃報に世間の反応は?

深浦加奈子さんの訃報に驚きを隠せないという声が多く挙がっています。大物脇役としての評価がとても高いということもよくわかります。

女優の深浦加奈子さん死去、残念です。時代劇でよし、現代劇でよしの名脇役でったと今更ながらに、その早すぎる死が悔やまれますね。人情に厚い役、善人、悪人どれを演じても、ピリッとしていて、決して主役級の美人ではないが、さわやかな印象を与える独特な雰囲気を持つ素敵な女優さんだっとと思います。とりわけ、男にだまされる役がうまかった。若いころは単にだまされる役、30代ころからは、だまされると承知で男に裏切られる悲劇の女性を実に味わい深く演じていたように思う。( mixiユーザー)
うそ~・・・信じられない。 俺よりも若く亡くなられた。最近、どうもテレビドラマに出演されていなかったので・・・ 気になっていました。残念です。ご冥福をお祈り致します。私のローソクの炎もいつ終わることやら・・・!!
合掌。ご冥福をお祈りします。( mixiユーザー)

(引用:mixi)

一般の方も驚きを隠せないというコメントを多く残していますが、後日行われたお別れ会でも、同じく関係者を驚かせています。

深浦さんが「一番好きだった」(関係者)というプロ野球ヤクルトの古田敦也前監督も駆け付け「病気のことは知らなかった。ショックだった」とあいさつしたそうです。

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