塩田剛三の強さの真実とは?伝説や動画もまとめ【合気道の達人】

合気道の達人として有名な塩田剛三さんは数々の伝説をも残してきています。しかし、塩田剛三さんの強さはインチキなのでは?と言われてもいるそうなのです。そんな塩田剛三さんは本当に強かったのでしょうか?塩田剛三さんの強さの秘密に迫ってみました。

合気道の達人、塩田剛三とは?

合気道の達人としてしられている塩田剛三さんは伝説とも呼ばれる人でした。そんな塩田剛三さんはどのような人だったのでしょうか?まずは塩田剛三さんのプロフィールについて調べてみました。

塩田剛三のプロフィール

塩田剛三さんは1915年9月9日生まれで東京都出身の武道家です。塩田剛三さんは小柄な体つきでしたが「不世出の達人」と非常に高い評価を持っており、「現代に生きる達人」や「生きる伝説」とも呼ばれました。

小学校時代より剣道や柔道を習っており、高校生の頃には柔道三段を取得しました。18歳の時に植芝盛平さんが営む植芝道場に入門します。その後8年間に渡り植芝さんの元で修行にはげみました。

1961年には当時最高位となる合気道九段を取得します。その後、1983年には範士号を取得し、1988年には合気道名人位を授与されています。1994年に78歳で死去しています。

塩田剛三の生い立ちと経歴

塩田剛三さんの父親は小児科医をしており、かなり裕福な家庭で育ち、不自由なことは何一つなかったそうです。新宿区立四谷第六小学校より旧制東京府立第六中学校に通い、柘殖大学に入学し卒業しています。

1956年には会派養神館合気道を立ち上げており、合気道養神会を結成しました。そして、その道場を新宿区に設立しました。1990年には国内だけではなく海外までに養神館合気道の普及を進めていきました。

塩田剛三はインチキ?本当に強かったの?

塩田剛三さんの強さは真実なのでしょうか?中には塩田剛三さんの強さはインチキだったと言われているようなのです。塩田剛三さんといえば数々の伝説を持っている方です。

塩田剛三さんは本当に強かったのでしょうか?塩田剛三さんの強さとはどのようなものだったのでしょうか?詳しく調べてみました。

塩田剛三は小柄だった、身長と体重は?

塩田剛三さんは小柄だったにも関わらず圧倒的な強さを持っていました。そんな塩田剛三さんはの身長は154cm、体重は46㎏と非常に小柄な体格をしていました。

塩田剛三さんは小柄ながらも筋肉だけはすごいつけていたそうで、体脂肪も相当ひくかったと言われています。そんな塩田剛三さんの強さはインチキだとも言われているのです。

塩田剛三はインチキだという声も

塩田剛三さんの強さがインチキだったという声もあがっています。塩田剛三さんのような小柄な体格であんなにも強さを保つわけがないという声がでているのです。小柄な体格は不利だと言われています。

塩田剛三さんは小柄な体格ながらも筋肉を鍛えておりました。そのため、ケネディさんのSPを倒したことや数々の伝説が残っています。それも真実ではないと言われているのです。

今となってはどれが真実だったのか、塩田剛三さんの強さがインチキだったのかはわからないままとなっていますが、塩田剛三さんの強さは確かなものだったことは真実と言えるのではないでしょうか。

塩田剛三の強さの秘訣は筋肉にあった?

塩田剛三さんの強さの秘訣は筋肉にあったと言われています。塩田剛三さんの筋肉は触ると柔らかいそうですが、腕の芯の奥には太い鉄心があるような筋肉だったと言われています。

塩田剛三さんの筋肉はインナーマッスルを鍛えていたのではないかと考えられています。体幹を鍛えることで、バランスも取ることができ、芯がぶれない体つきとなります。

合気道は稽古をするなかで技に必要な筋肉は鍛えられていきます。そのため、肉体改造のような筋トレは必要ないのです。本来の自分の骨格に合わない体つきとなってしまうためです。

塩田剛三の強さは真実?どのくらい強かったの?

塩田剛三さんは伝説と呼ばれるほど、数々のエピソードが残っています。中でも、ケネディさんはさんのボディーガードを倒した話や、格闘家の岩倉豪さんの左肩を瞬時に外したなどの逸話は多く残っています。

そんな塩田剛三さんの強さは真実だったのす。塩田剛三さんの伝説のエピソードの真実ついて一つ一つ詳しくみていきましょう。

伝説のエピソード①ロバート・ケネディのボディーガードを圧倒

塩田剛三さんの伝説といえば、ロバート・ケネディさんのボディガードを倒したと言われている事です。塩田剛三さんは1962年に養神館を表敬訪問したケネディ夫妻の前で武道を披露しました。

その時にケネディさんは塩田剛三さんが本当に強いのか疑問を持ちました。そのため、ケネディさんのボディーガードと手合せを申し入れました。しかし、塩田剛三さんが圧倒したのです。

ケネディさんは後日、この時の様子を「小柄な先生に立ち向かっていったところ、まるで蜘蛛がピンで張り付けられたように苦も無く取り押さえられた。」とケネディさんは語りました。

伝説のエピソード②柔道家・木村政彦が腕相撲で全敗

塩田剛三さんエピソードとして、柔道家である木村政彦さんとの腕相撲の話しがあります。塩田剛三さんの拓殖大学の後輩にあたる木村政彦さんは、柔道家としての実力から「拓殖大学最強の男」と呼ばれていました。

そして、木村政彦さんは「腕相撲では負けたことがない」と常日頃から言っていました。塩田剛三さんは木村政彦さんに腕相撲の対決を挑みます。その結果、3回対戦してうち2回、塩田剛三さんが勝利したと言います。

しかし、木村政彦さんはこれを違うといい、「実際には塩田さんと腕相撲で10回以上対戦して全敗している」と話していたそうです。これが真実と言えそうです。

伝説のエピソード③漫画『グラップラー刃牙』のモデルになった

塩田剛三さんの伝説はまだまだあります。それが漫画「グラップラー刃牙」のキャラクターのモデルにもなっていたのです。この「グラップラー刃牙」とは、板垣恵介さんが作者として知られている格闘漫画です。

地下闘技場のチャンピオンである主人公と様々な格闘家との闘いが織りなす格闘漫画となっています。その「グラップラー刃牙」に登場する柔道家の渋川剛気のモデルが塩田剛三さんだったのです。

塩田剛三さんの内弟子と板垣恵介さんが友人だったことから、塩田剛三さんとも親交があったそうです。板垣恵介さんは塩田剛三さんの強さに惹かれモデルとしたことを明かしています。

伝説のエピソード④板垣恵介が語る塩田剛三

「グラップラー刃牙」の作者である板垣恵介さんは自身の著書である「板垣恵介の格闘士列伝」で塩田剛三さんの人となりを「才気のカタマリ」や「爆笑した顔に狂気を感じた」などと語っています。

板垣恵介さんは以前に、島田道男さんと立ち合って完敗した話を塩田剛三さんに話したところ、爆笑しながら「その程度で済んで運が良かったと思え。二度と遊び半分の軽い気持ちで立ち合うな」と苦言したそうです。

これには板垣恵介さんも塩田剛三さんから狂気を感じたそうで、「俺のところに道場破りに来たら、その程度じゃ済まないぞ、ということなのだろう」と語りました。

伝説のエピソード⑤格闘家・岩倉豪が左肩を外された

大東流合気道の達人で有名な格闘家の岩倉豪さんは、塩田剛三さんと戦ったことがあるそうです。その時に、岩倉豪さんは塩田剛三さんに左肩を外されるという重傷を負いました。

その時のことを岩倉豪さんは「塩田先生は本当に強かった。インチキだというイメージがあるかもしれないですが、本物と偽物は全然違う。人体の構造を理解した技だった。」と語りました。

岩倉豪さんは塩田剛三さんのことを舐めていたといいます。しかし、岩倉豪さんが塩田剛三さんにかかっていったところ、その突進する勢いで一瞬でとばされたそうです。

岩倉豪さんは「アレは本当の技術ですね。たぶん、あのとき僕の首を折ろうと思えば折れたんじゃないかな」と塩田剛三さんの強さについて語りました。

伝説のエピソード⑥プロレスラー・前田日明も取り押さえられた

プロレスラーとして活躍している前田日明さんも塩田剛三さんの道場を訪問し、演武を見学していました。その見学をしていた時に、前田日明さんは「自分にも技をかけて下さい」と塩田剛三さんに頼みました。

その結果、前田日明さんは自分よりもはるかに小柄な体格の塩田剛三さんに取り押さえられてしまい、身動きがとれなくなってしまったといいます。

前田日明さんは身長192㎝もある大柄なのに動けなくなってしまったそうです。

伝説のエピソード⑦金魚の動きに合わせて動く訓練で体得した超人的な反射神経

塩田剛三さんは反射神経を身につけるために、水槽の中で泳いでいる金魚の様々な動きと同じように動くという練習を8年間に渡り行っていたそうです。

その訓練のおかげもあって塩田剛三さんは人間とは思えないほどの反射神経と集中力を身につけたといいます。それは、人の視界から瞬時に消える速さであると評されたそうです。

そのエピソードとして、塩田剛三さんは自動車にはねられそうになったときにも反射神経が良かったため瞬時にかわし、何事もなく無事だったという話しも残っています。

塩田剛三の強さがわかる動画はある?

塩田剛三さんの強さがわかる動画は残っているのでしょうか?塩田剛三さんが合気道を実践している動画をいくつか紹介していきましょう。

まずは、ケネディ夫妻が訪問した時に披露した武道の動画です。塩田剛三さんが突進してきた相手を軽快に投げ飛ばす動画がうつされております。

続いては塩田剛三さんが67歳の時に道場にて門下生に合気道について指導している様子です。この時、3人がかりや2人がかりで立ち向かってくる相手に塩田剛三さんが投げ飛ばす動画がうつされています。

最後に紹介する動画は平成2年の養神館合気道世界大会の様子の動画です。塩田剛三さんが自分よりも大きい相手を足だけで押さえつけたり、3人まとめて押さえつけている動画が収められています。

塩田剛三とマイクタイソンはどちらが強い?

元プロボクシングの選手として活躍をしていたマイクタイソンさん。マイクタイソンさんは巨漢な選手に立ち向かい、圧倒的な強さで勝利を幾度となくおさめてきました。

そんなマイクタイソンさんと塩田剛三さんとでは、どちらが強いのでしょうか?そして、二人に共通点はあったのでしょうか?マイクタイソンさんと塩田剛三さんについて調べてみました。

マイクタイソンのプロフィール

マイクタイソンさんは1966年6月30日生まれの元プロボクシングの選手です。身長は180㎝と大きいですがヘビー級としては小柄な体格ではありましたが、巨漢な体格の相手をなぎ倒すパンチを持っていました。

そして、他のヘビー級選手と違い素晴らしいフットワークとスピードをも持っており、相手選手の急所を的確に打ち抜くという高度な技術を持ち、さらには鉄壁のディフェンス技術を身につけていました。

1985年に18歳でプロデビューして以来、28戦目にWBC世界ヘビー級王座を初獲得します。この時、史上最年少での世界ヘビー級王者となったのです。2005年には膝の怪我の影響もあり、引退となりました。

塩田剛三はマイクタイソンよりも強かった?

数々の伝説を残している塩田剛三さんはマイクタイソンさんよりも強かったのでしょうか?いろいろな意見が飛び交っており、マイクタイソンさんと塩田剛三さんのどちらが強かったかはわかりません。

実際にマイクタイソンさんと塩田剛三さんが対戦して勝敗がついたわけではないので、真実はわかりませんが、塩田剛三さんはすごい達人だったことはわかります。

塩田剛三さんは小柄な体格からも相手を倒す技術を持っていたからです。マイクタイソンさんは塩田剛三さんの技術を知りたいと思い、養神館に見学にも来ていたそうなのです。

マイクタイソンは養神館を見学していた

それは、マイクタイソンさんが東京ドームでプロになり初黒星となった1990年2月のことでした。マイクタイソンさんは塩田剛三さんが設立した養神館を訪れていました。

マイクタイソンさんは塩田剛三さんの著書を読み、呼吸投げという技法に興味をもったようです。ボクシングでいうと、カウンターのような技で相手の勢いに合わせる技となっています。

マイクタイソンさんは合気道の中にボクシングにもいかせる技があるのではと思い、塩田剛三さんの養神館を訪れたのでしょう。マイクタイソンさんも塩田剛三さんの強さには一目置いていたのかもしれません。

塩田剛三の名言

塩田剛三さんは数々の名言を残してきているのです。合気道を教える師範として、様々な教えを残してきました。それは、合気道で強くなるためだけではなく、日ごろから身につけとく教えまでもありました。

そんな、塩田剛三さんの名言の一部をご紹介していきましょう。

名言①:「武道は、一生であり、一瞬である。」

塩田剛三の名言として有名な言葉がこの「武道は、一生であり、一瞬である」という名言です。この名言は、武道を習うものとしての心得みたいなものであることがわかります。

他の達人たちでもこのような似たような言葉を残している人もいます。この言葉は世界にも通じる名言となっているようです。

名言②:「合気道の心とはなんだ。『和』だ。『対すれば相和す』だ」

塩田剛三さんは合気道の心とは、男女として考えてみるのがいいと教えました。二つに男女を分けてしまうから、男はこうだ女はこうだと揉めてしまうのだといいます。

しかし、相手を自分として考えることでもめることはなくなるのだと語りました。相手にとって嫌なことは自分にとっても嫌なことです。そこを見据えてあ互いに尊重しあえることができれば揉めることはないのです。

そこから、塩田剛三さんの名言である「合気道の心とはなんだ。「和」だ。「対すれば相和す」だ」という言葉はうまれたのです。

名言③:「合気道で一番強い技、それは自分を殺しに来た者と友人となること」

合気道の精神が闘いや争いとは全く違うところにおいていることがわかる名言となっています。相手が誰であろうと、自分の味方にしてしまう技が一番の強さなのでしょう。

相手の心の懐に入り込み、相手を味方につけてしまうということができる人こそ最強なのでしょう。そういった精神的なことにまで塩田剛三さんは教えを説いていたのです。

名言④:「己を“無”にして、相手と一体となる」

塩田剛三さんは相手と一体となることで、合気道の技は成りたつのだと言いました。自分と相手、敵と味方など無関係なのです。そして、相手が動くままに合わせることで、自分の技が入るのだと言います。

相手の心を思いやって、相手が今何をして欲しいのかを感じ取ることで、自分の動きがわかるだといいます。「己を“無”にして、相手と一体となる」という名言がうまれました。

現代で合気道で強い人がいないのはなぜか?

昔の合気道の達人といえば塩田剛三さんやその師匠でもある植芝盛平さんがいます。そんな名の知れた合気道家がいますが、現代では名の知れた強い合気道家はでてきていません。なぜなのでしょうか?

現代では稽古の質やレベルが違う

昔の合気道というのは、一種の格闘技的存在でもありました。塩田剛三さんも柔道の高段者として知られていますし、他の入門者も格闘技をやっていたり、喧嘩が強かったりと腕自慢の強い方が多く習っていたのです。

しかし、現代では合気道の捉え方が違ってきています。合気道と聞くと護身術そいうイメージが強くある方も多くいるのではないでしょうか?喧嘩をするためではなく、護身用として強くなるために習う人が多くいます。

女性でも気軽に習える武術として人気も高いものとなっているのです。これには塩田剛三さんの思いもあったのです。

合気道は戦う武道ではない

塩田剛三さんは「(本当の意味で)戦う合気道は私が最後でよい」と語っていたそうです。これには合気道の多くの師範たちも弟子たちに格闘技系や喧嘩のためといった合気道の指導はしていないのです。

合気道は週に2~3回程、老若男女が誰でも楽しめる武道を目指したのです。これが現代の合気道の教えとなっているところが多いのです。そのため、女性でも気軽に取り組むことができるのです。

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