名張毒ぶどう酒事件の概要、真相は?奥西勝は冤罪?真犯人は会長説? 社会

名張毒ぶどう酒事件の概要、真相は?奥西勝は冤罪?真犯人は会長説?

名張毒ぶどう酒事件をご存知ですか?イケメンと噂だった奥西勝には美人の愛人がいて、痴情のもつれが動機の殺人だとして逮捕されました。会長が真犯人だという説もあるこの事件について、概要や真相など、夜這いが横行していた村の背景も合わせてご紹介します。

目次

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名張毒ぶどう酒事件とは

名張毒ぶどう酒事件とは1961年3月28日、三重県名張市の公民館で行われた「三奈の会」という総会に参加した人々が、次々に毒物の中毒症状を起こしたとする集団中毒事件です。

地区に住む奥西勝が逮捕されましたが、彼は冤罪であり、真犯人は「三奈の会」の会長だったという説が多く持ち上がっています。今回はそんな事件の真相や犯人の家族についてご紹介しています。

日本の三大毒殺事件の1つ

この事件は帝銀事件や和歌山カレー事件と並んで「日本三大毒殺事件」と呼ばれている事件の一つです。名張毒ぶどう酒事件は「第二の帝銀事件」とも言われています。

帝銀事件とは、1948年1月26日に東京都豊島区の帝国銀行で起こった毒物による殺人事件です。12人もの人が毒物の中毒症状で亡くなっていますが、冤罪だという説が今でも多く囁かれています。

和歌山カレー事件とは、1998年7月25日に和歌山県和歌山市で夏祭りで配られていたカレーに毒物が混入されていて、67人もの人が中毒症状を起こした事件です。うち4人が死亡しました。

名張毒ぶどう酒事件の概要

この事件は名張市葛尾地区という人口100人ほどの集落で起こった毒物による大量殺人事件で、三角関係のもつれが動機だとして地域に住む奥西勝(当時35歳)が逮捕されました。

お酒の席で振る舞われたぶどう酒に農薬である劇薬が混入されていたことが原因だとされ、この事件で17人の女性が被害にあい、うち5人が死亡しています。

奥西勝は冤罪だとされていて、彼が獄中で亡くなったあとも妹などによって裁判の再審請求が10回以上繰り返されてきました。果たして何が真相だったのでしょうか。

名張毒ぶどう酒事件はぶどう酒に毒物が混入された事件

17人もの女性が集団中毒を起こしたこの事件ですが、清酒を飲んでいた男性は誰も中毒症状を起こしてませんでした。このことを怪しんだ警察は女性に振る舞われていたぶどう酒について調べました。

結果、ぶどう酒にはニッカリンという劇薬が混入されていたことが判明し、ぶどう酒による大量殺人事件として、「名張毒ぶどう酒事件」と呼ばれるようになりました。

逮捕された奥西勝は冤罪逮捕の可能性も

警察による取り調べの結果、奥西勝が自供したことにより逮捕されましたが、物的証拠もなく村人の証言が二転三転したりと、冤罪の可能性が高いと言われています。

年月が経過してからの弁護側の調査では、彼が無実だとする証拠が複数出てきたり、警察が彼の子共を盾に自白を強要していたなどの事実が持ち上がっています。

名張毒ぶどう酒事件の経緯

犯人だとされる奥西勝は村で噂のイケメンで好青年だったとされていて、若くして結婚し2人の子供も授かりました。順風満帆だった彼がなぜ逮捕されてしまったのでしょうか。

今現在でも冤罪を訴える人々が多いこの事件ですが、事件の発生から裁判での判決が至るまでの経緯を詳しくご説明しています。

1961年3月28日の夜、三重県名張市葛尾地区の公民館で毒物混入事件が発生

3月28日の夜、葛尾地区の公民館で「三奈の会」という総会が行われていました。これは農村生活改善クラブと言い、生活改善を目的とするいわばサークルのような懇親会のことです。

葛尾地区という集落では当時娯楽といったものがほとんどなく、このような宴会などが楽しみの一つだったと言われています。この日も、人口100人のうち男性12人と女性20が参加していました。

女性だけが苦しみ始め、5人が死亡、12人が中毒症状を起こした

合計32人もの人が集まった懇親会では、会長が発注して会場に運び込まれたというぶどう酒が振る舞われました。

しかし懇親会が始まった直後に、17人もの女性が突然もがき苦しみ始めたためすぐに医者を呼んだそうですが、うち5人が死に至るという最悪な結果となりました。

当時ぶどう酒を飲んでいたのは女性のみ、ぶどう酒からニッカリンを検出

少し前にご説明したように、清酒を飲んでいた男性全員は中毒を起こさず無事でした。なぜ女性ばかりぶどう酒を飲んでいたかというと、当時ぶどう酒が女性にとって最高の嗜好品であったからです。

警察は清酒を飲んでいた男性全員と、ぶどう酒に口を付けていなかった女性3人が無事だったことから、このぶどう酒に中毒の原因があるとみて捜査を進めました。

結果、ニッカリンという劇薬が混入されていたことが判明しました。ピロリン酸テトラエチルとも呼ばれ、害虫などの殺虫剤として使われる劇薬で、現在は農薬としての使用が禁止されています。

重要参考人として三人の男性が呼ばれる

警察は懇親会の参加者が怪しいと見て、重要参考人として3人の男性を事情聴取しました。この3人とはぶどう酒の発注をした会長、会長宅に届けた男性、会場に運び込んだ奥西勝の3人です。

そのうち2人は犯行への関与を否認しましたが、会場にぶどう酒を運び込んだとする奥西勝だけが事件への関与を認め、「自宅から用意した農薬を混入した」と自白したようです。

混入された農薬であるニッカリンは、当時農家を営んでいる人なら簡単に手に入ったとされていて、それも合わせて奥西勝が犯人で間違いないとされたようです。

動機は奥西勝の愛人との関係のもつれ

奥西勝には妻がいるにも関わらず村で美人と噂の愛人がいたとされ、その妻も愛人も両方が殺害されていることから、三角関係のもつれが動機であるとされて奥西勝は逮捕されました。

奥西勝は村の中で噂されるほどのイケメンだったようで、2人の子供がいるにも関わらず、妻以外の女性と体の関係を持つことがしばしばあったようです。

そして美人だというこの愛人の女性は「三奈の会」の会長とも愛人の関係であり、3人が言い争っているところを見たという目撃証言もありました。

警察は奥西勝を自供で逮捕、奥西勝は公判で犯行を否認

重要参考人として話を聞いたときに「ぶどう酒のフタを歯で開けて農薬を混入した」と自供をした奥西勝を、警察は三角関係を一気に清算することが目的とする殺人の容疑で逮捕しました。

ですが公判では「自供は警察に強要されたもの」として犯行を否認し、「自分の妻が真犯人である」と発言したり、自白は二転三転する事態になりました。

第一審で無罪になるも最高裁では死刑判決に

取り調べで自分が農薬を混入したと自供した奥西勝は死刑を求刑されていましたが、警察による自白の強要があったとする証言や、お酒のフタの状況に矛盾があったことから無罪になっています。

しかし第二審では村人の証言の移り変わりなどがあったりして、逆転死刑判決が下されました。裁判に関しては、後半でもう少し詳しくご説明しています。

名張毒ぶどう酒事件の真相、真犯人は会長?

そしてこの事件に対して、会長である奥西樽雄が真犯人であるという説が多く持ち上がっています。彼もまた妻がいるのにも関わらず美人だと噂の愛人がいたので、動機は十分にあります。

実際に会長の奥さんと愛人は両方とも殺害されていますし、さらにぶどう酒を発注したのは彼であったため、毒物を混入する機会が十分にあったとも言われています。

真犯人は会長説を強める村の不可解な点

奥西勝の自供に基づき、毒物を混入する際は歯でぶどう酒のフタを開けたとされていますが、歯型の鑑定で使われたフタは同じ箱に入っていたはずの別のぶどう酒とは異なる形状だったといいます。

さらに一審と二審では村人の証言が移り変わり、ぶどう酒が会場に運び込まれた時間が二転三転するなど、不可解な点が多くあったとされています。

村人の供述が2時間で変化

この懇親会で振る舞われたお酒は、奥西樽雄から発注を受けた人物が会長宅に運び込み、そのあと会長宅にあったぶどう酒を奥西勝が公民館に運び込みました。

最初は運び込まれた時間が16時頃だと証言していたのにも関わらず、なぜかあとから17時頃だったと変えています。これにより17時頃に農薬を混入できたのは奥西勝だけだとされてしまいました。

上記の証言の移り変わりは、たった2時間の間の出来事でした。事件直後は16時頃と言っていたのに、事件からわずか2時間後には1時間のズレが生じました。果たしてなぜでしょうか。

奥西勝が犯行を否認した途端に奥西勝の家族に村八分の扱い

逮捕されてすぐは、犯人である奥西勝の家族を集落の皆でサポートしていこうとしましたが、奥西勝が犯行を否認して再審を請求したとたん家族に対する扱いは豹変しました。

集落ぐるみで奥西勝の家族を差別・迫害をし始め、奥西勝家の墓を地区の共同墓地から出すなどして村八分の扱いになりました。村を追われた家族は市内へ移り住むことを余儀なくされました。

村八分(むらはちぶ)とは、村落の中で、掟や秩序を破ったものに対して課される制裁行為であり、一定の地域に居住する住民が結束して交際を絶つことである。(引用:Wikipedia)

村人は真相が明らかとなるのを望んでいなかった

葛尾地区の村人達は奥西勝の死刑を望んでいたとも言われています。それはなぜかというと、もし彼が本当の犯人ではなく他に真犯人がいるとしたら、村の和が乱れてしまうと思ったからです。

冒頭でもご説明したように葛尾地区は人口わずか100人ほどしかいない小さな集落でした。その中に真犯人がいるとなれば、村人同士の関係が乱れて波風が立ってしまうと考えたからです。

名張毒ぶどう酒事件は物的証拠のない事件だった

当時は今ほど捜査の技術も進歩していなく、防犯カメラなども普及していない時代だったため、奥西勝の自供だけが逮捕の決め手となっていました。

物的証拠や指紋の検出もなく、ぶどう酒のフタを歯で開けたと自供した奥西勝に対して、フタに残った歯型とは9割一致していなかったという結果も出ています。

取り調べ中は彼の子供たちにも24時間監視がついていたため、彼はこの状況からすぐにでも逃げ出したいという思いがあって自供してしまったとも言われています。

名張毒ぶどう酒事件の背景に夜這いの風習

当時の集落の中では夜這いが習慣的に行われていたとされ、愛人を共有するということが横行していたといいます。奥西勝と会長には美人の愛人がいましたが、この女性は同一人物です。

夜這い(よばい)とは、夜中に性交を目的に他人の寝ている場所を訪れる事。国文学関係の研究者の間では、一般には夜這いは古代に男が女の家へ通った「よばう」民俗の残存とする考え方が多い。(引用:Wikipedia)

娯楽がほとんどないとされるこの地区では、夜這いも一種の楽しみだとされていたといいます。しかしあくまでも合意のうえでの夜這いが横行していただけで、合意なしの夜這いは禁止されていたようです。

奥西勝はイケメンだった?

奥西勝の名前を調べていると、「イケメン」というワードがヒットすることがあります。どうやら彼は端正な顔立ちをしたいわゆるイケメンだったという噂もあるようです。

イケメンだったために多くの女性と関係を持っていたのではないかとされていて、時が経った今でもネット上では「嫉妬した村人に嵌められたイケメン」とも言われています。

奥西勝の動機と言われたのは愛人・北浦ヤス子との関係のもつれ

奥西勝が殺人を犯した動機としては、村で美人だと噂だった愛人・北浦ヤス子との痴情のもつれであると言われています。実際、奥西勝の妻と愛人はどちらも死亡しています。

ですが先ほどもご説明したように、この村では夜這いが横行していました。なので、結婚相手以外に愛人がいることは珍しくない世界で、痴情のもつれは起こりにくいのではとも言われています。

名張毒ぶどう酒事件の関連人物

では事件に関わった関連人物について詳しくみていきましょう。真犯人説の会長・奥西樽雄や美人だと噂の愛人、そして村からバッシングを受け続けた家族、子共たちについてご説明していきます。

三奈の会会長・奥西楢雄

真犯人説が囁かれている「三奈の会」の会長は奥田樽雄という男性で、何年も前から役職者という立場であり、趣味やクラブ活動などにとても精力的に取り組むような人間だったようです。

彼は逮捕された奥田勝とは愛人を共有するような関係だったようです。二人の愛人は美人と噂の北浦ヤス子で、彼女は「奥田勝とは関係を切るから奥さんと別れてほしい」と迫っていたことも分かっています。

奥西楢雄と奥西勝の美人愛人・北浦ヤス子

愛人である北浦ヤス子は村の中でも美人だったとされていて男性にもモテていたらしく、子供がいるような男性とも体の関係を持っていたといいます。

村でイケメンと噂だった奥田勝とは映画を見に行ったりするなど、かなり仲のいい関係だったとされています。ですがのちに奥田樽雄を選んで奥西勝を捨てる、といった内容の話をしています。

奥西勝の妻・奥西千恵子

奥田勝と奥西千恵子は1947年1月に一部の親族に猛反対されながらも何とか説得して結婚するに至り、1948年には長男、1954年には長女を授かりました。

ですが妻である奥西千恵子は1960年10月に、愛人とみられる北浦ヤス子が旦那と仲良さげに歩く姿を目撃します。このことがあって以降、夫婦の仲は冷めきっていったと言われています。

奥西勝の母・奥西タツノ

奥西タツノは奥田勝の母親であり、息子が自供して逮捕された当初は村人たちからサポートされるという動きがあったものの、息子が犯行を否認してからは迫害を受け続けました。

市内への転居を余儀なくされるだけではなく、共同墓地を追われたり、自宅に村人が駆け寄り土下座を強要されたこともあったようです。さらには身体的暴力まで受けていたとされます。

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