「ノーパン喫茶」とはいつ流行った?歴史と現在について【昭和の風俗】 社会

「ノーパン喫茶」とはいつ流行った?歴史と現在について【昭和の風俗】

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ノーパン喫茶の復活を願う男性は多い

昔を懐かしむモノとしても「ノーパン喫茶」の復活を待ち望む人は多いようです。

若かりし頃の思い出の一つが無くなってしまって、寂しいという意見が多く見受けられます。もし法律に引っかからないようにやったとしても…

これだけインターネットが発展し、風俗業界があの手この手でお客さんを取り合っている時代に「ノーパン喫茶」で利益を出すのは難しく、現実的には厳しいようです。

トップレスに寛容だった時代

「ノーパン喫茶」が流行した昭和の時代はトップレス。女性が「胸」を出していることにとても寛容だった時代でした。

「ノーパン喫茶」が生まれた理由も、そこにあったのかも知れません。昭和の性的な表現への規制はどうだったのでしょうか?少しだけ覗いてみましょう!

おっぱいがテレビ画面に映っていた

今の若い世代の人からすると信じられないことかも知れませんが、昔はテレビで普通に裸の女性が映っていました。深夜に限らず、小さい子が見られる時間帯に放映されていました。

お笑い芸人の「ナインティナインの岡村」さんも「バカ殿」でお馴染みの「志村けん」さんも、裸の女性の「胸」を触るシーンが当たり前のように撮影されていました。

これが80年代・90年代のTV番組でしたが、コンプライアンスの問題から”00年代”には、テレビで女性の胸やお尻が映ることは無くなりました。

ノーパン喫茶誕生以前の風俗史

「ノーパン喫茶」が誕生した1978年よりも遥か昔から、日本の風俗文化は始まっていました。

「ノーパン喫茶」は「ファッションヘルス」の先駆けだと言われています。ですが日本には他にも、興味深い風俗の歴史があります。その一部を覗いてみましょう!

ピンサロの原点「エロ喫茶」とは?

「エロ喫茶」は1932年に 小説家「永井荷風」が『摘録 断腸亭日乗(上)』(岩波文庫)の中で紹介されました。

「女給テーブルの下にもぐり込み、男の物を口に入れて気をやらせる由評判あり」喫茶店の店員が性的なサービスを行っていた描写がされています。

そしてこの「エロ喫茶」が「ピンサロ」の始まりだったとされているのです。「ピンサロ」=「ピンクサロン」は男性客に女性店員が「フェラチオ」を行う風俗店の事です。

ソープランドの原点「トルコ風呂」とは?

「トルコ風呂」は1960年に日本で急増した個室付きの「サウナ風呂」の事を意味しています。トルコ等の中等の都市で見られる公衆浴場「ハンマーム」の事を日本では「トルコ風呂」と呼びました。

サウナの中では、性的なサービスが行われ、最初は手を使った性的なマッサージが基本でしたが、徐々に「本番サービス」が行われるようになりました。これが「ソープランド」の原点です。

元々は「トルコ風呂」と呼ばれていましたが、1984年に「トルコ人留学生」による講義を受け、現東京都知事の「小池百合子」さんも力を貸して「ソープランド」と改名されました。

インターネットの普及で消えていった性文化

「ノーパン喫茶」が流行した時代には「スマホ」はもちろん、見たい時に見たいものが見られる時代ではありませんでした。

バブルで一気に時代は加速して、やがて弾けた時に、不要なものを切り捨てなければならない時代が到来しました。

その荒波の中「ノーパン喫茶」もひっそりと姿を消しました。「ノーパン」一つにも「夢」があった時代でした。「何もなかった時代に現れた男性たちのオアシス」それが「ノーパン喫茶」なのです。

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