「ノーパン喫茶」とはいつ流行った?歴史と現在について【昭和の風俗】 芸能人

「ノーパン喫茶」とはいつ流行った?歴史と現在について【昭和の風俗】

裸の女性が店内をウロウロ?「ノーパン喫茶」とは一体なんなのか?始まりはいつなのか?その歴史や現在の様子!さらに「ノーパンしゃぶしゃぶ」では官僚の汚職事件が起きていた?!ノーパン喫茶の風俗女王「イヴ」が語る「ノーパン喫茶」の実態についてまとめていきます!!

目次

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ノーパン喫茶とは?

「ノーパン喫茶」という言葉を分解して「ノーパン」と「喫茶店」のように分けたそのままの意味です。

店員が下着を履かない喫茶店の事を「ノーパン喫茶」と言います。

何かの隠語や比喩表現ではなく、とってもストレートです。普通の喫茶店ではありません。「風俗店」の一種として営業していました。

ノーパン喫茶の歴史は?起源や流行の時期は?

「ノーパン喫茶」の事を今の若い世代の人はほとんど知らないと思います。言葉ぐらいは聞いたことがある。そういう物があることは知っているという人が多いと思います。

「風俗店」ですから、未成年の人が関わる機会が無いのは当然です。ですが、自分が生まれる前の事を知るのは楽しいモノです。

それでは、いつの頃に流行して、どこが発祥の地なのか?分からない事だらけの「ノーパン喫茶」の歴史を見ていってみましょう!

誕生したと思われるのは1978年・1981年

「ノーパン喫茶」の誕生は今から41年前。日本でディスコブームが起きた「1978年」だと言われています。生誕の地は「京都府西賀茂」。この、京都市からもすぐ近くの小さな街で生まれました。

世界初の「ノーパン喫茶」は西賀茂の「ジャーニー(ジャニー)」というお店から始まったとされています。

これから見ていく「ノーパン喫茶」についての歴史は、いわゆる「バブル景気」と呼ばれる少し前からの時代のお話です。

始まりには諸説がありその後爆発的に増えた

物事の始まりには「著作権」や「特許」のような、明らかなスタート地点が見えない場合が多々あります。「ノーパン喫茶」も、そういう部分があります。

諸説ある発祥の地を時系列順に並べてみました。

  • 1978年10月:「ジャーニー」:京都府西賀茂
  • 1979年:「ピンク喫茶」:福岡県博多
  • 1980年:「あべのスキャンダル」:大阪府
  • 1980年には東京にも「ノーパン喫茶」があった。

有名な映画監督「山本晋也」さんは発祥の地を大阪か福岡だと公言しています。

博多の「ピンク喫茶」が飛び火して、東京にもお店が出来たという記録もあります。また「ジャーニー」が出来たのは1981年だという見方も有るため、様々な諸説があります。

「あべのスキャンダル」は開店後、営業利益を伸ばしていき「ノーパンラーメン」や「ノーパン牛丼」など手広く展開していきました。このように日本全国に爆発的に増えていったのです。

1985年に風俗営業法の改正が施行されノーパン喫茶は姿を消した

「ノーパン喫茶」は惜しまれながら「1985年」に姿を消しました。理由は「風俗営業法」の改正です。

1945年に出来た「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」略称「風俗営業法」の内容ではセーフだった「ノーパン喫茶」ですが、「1985年」の改正で営業停止となりました。

この大幅な改正では「インターネットでのアダルトビデオ送信営業」や「無店舗型の営業」さらには一部の「社交ダンス」なども規制の対象となりました。

ノーパン喫茶で実際に行われていたサービスの内容とは?

1978・1981年に誕生したとされる「ノーパン喫茶」。そのサービス内容とは、どのようなモノだったのでしょうか?

実際に、現在の大人の男性が体験した、とっても変わったサービス内容について詳しく見ていってみましょう!

基本的な接客スタイル

「ノーパン喫茶」の店員は、上半身は裸で下半身はスカートを着用しているというのが一般的なスタイルです。首に蝶ネクタイを付けたり、ウサギの耳を付けているお店もありました。

女性に触ったりすることは、通常のサービス内容では禁止とされています。

裸に、スカートと靴だけを履いた女性がコーヒーなどを運んできてくれる喫茶店を想像していただければ、間違いありません。店員さんは全員「女性」です。完全に男性向けの喫茶店ですね。

当初はノーパンにパンティーストッキングだった

「週刊現代」の記録によれば一番最初の頃は、下着を履かずに「パンティーストッキング」だけを履いている店員さんが接客をしていました。

下着を履いていないので「ノーパン」に偽りはありません。ですが、実際に体験したお客さん達は「パンティーストッキング」しか見えない事が、殆どだったそうです。

「ノーパン喫茶」の始まりは「少しだけ男性の心をくすぐる」だけの喫茶店でした。

過激化し正真正銘のノーパンという店舗が出てくる

何かが流行れば、誰かが真似をして、競い合う相手がいればサービスの内容も変化して行きます。ラーメン激戦区のラーメンが美味しいように「ノーパン喫茶」も進化を始めます。

お店に通うお客さんは「パンティーストッキング」しか見えない所に不満を抱えていました。そこで、下着もパンストも履かせない「本物のノーパン喫茶」が誕生していきます。

お店の床も鏡張りで、より見やすくしたり、剃毛をして、より細部まで見やすくしたりと趣向を凝らした、色んなスタイルのお店が各地で人気を博しました。

射精に至るサービスも加わりファッションヘルスが産まれた

徐々に、お客さんにとって「ノーパン喫茶」はコーヒーを飲むだけの場所では無くなっていきます。

喫茶店の中に個室を作るお店が出来たのがきっかけで、より、風俗的なサービスを行う所が増えていきました。

個室の中では、男性の「性的絶頂」である「射精」まで女性の店員が対応していました。これにより喫茶店から「ファッションヘルス」が生まれました。

普通の喫茶店がノーパン喫茶に変わるという現象も起こる

何かが流行れば、誰かが真似をして、競い合う相手がいればサービスの内容も変化して行き、それに乗っかる人たちが出てきます。

当時の喫茶店の数は、今の倍近く存在していました。1996年に「スターバックス」の日本一号店が銀座に誕生しましたが、それより前は当たり前のように喫茶店を利用していたのです。

ですが当然、うまく行っていない喫茶店もありました。そういったお店が「ノーパン喫茶」に変わって、流行に乗ろうとしたのです。女性客が少ない地域で多発しました。

陰毛論争も起きていた

「ノーパン喫茶」で働く女性の「陰毛」について、真面目な論争が起きていました。「ノーパン喫茶店」VS「警察・法律」の闘いです。

当時はまだ「ヘアヌード」も登場していない時代でした。「陰毛」を公然で露出することは、禁止されていたのです。

そのため「ノーパン喫茶」は「陰毛」を処理して、この禁止をかいくぐろうとしました。それに対して警察は「陰毛は3日もすればすぐに生えてくる、処理をしたとて認めない」と論争になったのです。

ノーパン喫茶のあと出てきたノーパンしゃぶしゃぶとは

1978年に「ノーパン喫茶」が京都で誕生して以来、その人気にあやかり、様々なモノが誕生していきます。

「ノーパンしゃぶしゃぶ」も、その代表的な例です。なにが「ノーパン喫茶」と違っているのでしょうか?同じなのでしょうか?ただ「コーヒー」が「しゃぶしゃぶ」に変わっただけなのでしょうか?

一風変わった「ノーパンしゃぶしゃぶ」について、それにまつわる事件から、ノーパン喫茶界のアイドルのコメントまでじっくりと見ていってみましょう!

ノーパンしゃぶしゃぶとはエンターテインメント・レストランの一種

「ノーパンしゃぶしゃぶ」とは「エンターテインメント・レストラン」つまり「人々を楽しませるレストラン」という枠付をされています。もしくは「風俗店」にも分類されています。

下着を履かずスカートだけで接客をする。床が鏡張りになっている。「ノーパン喫茶」とほぼ同じです。お酒が高い台の上に置いてあり、お客さんにスカートの中を見やすくする工夫もありました。

「しゃぶしゃぶ」も隠語ではなく、お肉をお湯に通してタレにつけて食べる普通の「しゃぶしゃぶ」です。結局の所「コーヒー」が「しゃぶしゃぶ」に変わっただけですね。

大蔵省接待汚職事件でノーパンしゃぶしゃぶが話題となる

「ノーパンしゃぶしゃぶ」を全国的に広めるきっかけとなったのが、この「大蔵省接待汚職事件(おおくらしょうせったいおしょくじけん)」です。通称「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」です。

この事件で官僚7人(大蔵省4人、大蔵省出身の証券取引等監視委員会の委員1人、日本銀行1人、大蔵省OBの公団理事)が逮捕・起訴されました。

その舞台となったのが、東京・新宿にあった、高級ノーパンしゃぶしゃぶ「ローラン」だったのです。

【舞台となったノーパンしゃぶしゃぶ店「ローラン」】

その責任を取り「三塚博大蔵大臣」と「松下康雄日本銀行総裁」が引責辞任して、財金分離と大蔵省解体の要因の一つとなったのです。

「ノーパンしゃぶしゃぶ」が後の日本に大きく影響を与えました。

ノーパンしゃぶしゃぶは飲食店なので領収書を落とせた

「大蔵省接待汚職事件(おおくらしょうせったいおしょくじけん)」の舞台に「ノーパンしゃぶしゃぶ」が使われたのは「領収書」が落とせたからです。

「風俗店」では落とすことが出来ない「領収書」を「飲食店」としてなら落とす事ができたのです。

そのため官僚の接待に使われることになりました。

マツコ・デラックスが語るノーパンしゃぶしゃぶ

「肉頼めば頼むほど、お姉さんもこう(お尻を)突きだしてやってくれるのよ」

(引用:TV番組「怒り心頭」マツコ・デラックスさんのコメント)

人気タレントの「マツコ・デラックス」さんも「ノーパンしゃぶしゃぶ」に行ったことがあるそうです。

TV番組「怒り心頭」の中で熱く語っています。「マツコ・デラックス」さんが行った「ノーパンしゃぶしゃぶ」は、お肉を頼むと、セクシーな女性がお尻を客さんの方に突き出してくれるそうです。

そのままお肉をお湯につけて「しゃぶしゃぶ」を食べさせてくれたりもするみたいです。

ノーパンしゃぶしゃぶは現在もあるのか

特殊なサービスでブームにもなった「ノーパンしゃぶしゃぶ」ですが、現在は絶滅してしまっているようです。

風俗文化の発展と「デリヘル」の登場。さらにはネットの普及によって、スカートの下を覗かなくても、何でも見られるようになったことが原因とされています。

ノーパン喫茶に比べると客の年齢層は高めだった

比較的リーズナブルな「ノーパン喫茶」に比べると、高級店が多かった「ノーパンしゃぶしゃぶ」の利用層は高齢の男性が多かったそうです。

これには時代の流れも関係しています。この「ノーパンしゃぶしゃぶ」が登場した時代に若者は有るモノに夢中になっていました。それが「インベーダーゲーム」です。

日本で初のアーケードゲームが誕生しました。若い人は皆ゲームセンターに通って「インベーダー」を狙っていた時に、年齢の上の方々は「ノーパン」狙っていたのです。

ノーパン喫茶の女王イヴが語るノーパン喫茶とは

「ノーパン喫茶」が話題になると、TVなどでも沢山取り上げられるようになりました。

そこでは今で言う「アイドル」のような存在が居たようです。ここからは「ノーパン喫茶」の表も裏も熟知しているプロのコメントから。その実態を見ていってみましょう!

ノーパン喫茶の女王イヴとは

「ノーパン喫茶」がTVに出るようなった時に現役の店員として登場したのが「イヴ」さんでした。「イヴ」は源氏名です。新宿歌舞伎町の「ノーパン喫茶」「USA」というお店で働いていました。

本名は「神代弓子」。自然発生的にファンクラブが出来るほどの人気でした。写真集に歌まで出していた、まさに「アイドル」です。「風俗嬢」として紹介されることが多かったようです。

その圧倒的なルックスで多くのファンを持ち、「ノーパン喫茶」の個室の中で、多い日は40人もの相手をしていた伝説の「カリスマノーパン喫茶アイドル」。それが「イヴ」さんです。

明石家さんまとのスキャンダルもあった程の美女

日本人ならば誰もが知っている超有名人「明石家さんま」さんが当時、31歳の頃に惚れ込んだ女性が、22歳の「イヴ」さんだと言われています。

かつてバラエティ番組の一時代を築いた伝説のお笑い番組「オレたちひょうきん族」のスタジオでも「明石家さんま」さんと「イヴ」さんは出会っていました。

「風俗嬢」という仕事をしているため誤解されがちですが「イヴ」さんは身持ちが固く、清楚なタイプの女性でした。納得の美貌もそうですが、そこが人気の理由の一つでもありました。

ノーパン喫茶のお客さんについて

「イヴ」さんが語る「ノーパン喫茶」のお客さんの印象についてまとめてみました。

  • 基本的に「ノーパン」を見ようと必死
  • 手鏡を持参したり、ジッポライターを鏡代わりに使ったり、とにかく一生懸命
  • 床の鏡に写っている「ノーパン」を見るためにまるで「ワカサギ釣り」のような目線と姿勢
  • ずるずると椅子に座った状態で下を覗けるように下がっていく

男性が、がんばって「ノーパン」を見ようとしている姿を「イヴ」さんはかわいいと思いながら優しく…

『そこまでしなくても見えるんじゃないかなぁ?』という風にソフトに注意してあげていたそうです。

「ノーパン喫茶」の基本的なルールはシンプルです。そのため中には、必死になり過ぎて注意されてしまうようなお客さんもいたようですね。

時給3000円

新宿歌舞伎町「USA」で働いていた時の「イヴ」さんの時給は「3000円」だったそうです。今でも高額ですが、当時で考えればもっと高額です。

1983年から「ノーパン喫茶」で働き始めた「イヴ」さんは、あっという間に大人気店員になって行きました。

元々静岡県に住んでいた「イヴ」さんが、東京に新幹線で通って、往復の交通費代とそれを上回るお給料を貰えていたぐらいに、高給なお仕事だったようです。

1杯1000円のコーヒーに長蛇の列

「USA」の店内には「イヴ」さんを見ようと大勢のお客さんが来店していました。

「コーヒー」一杯で「30分」店内にいるために「1000円」を払って見に来ていました。席には限りが有るので、席があくまでお店の外にもズラァーと長蛇の列が出来ていたそうです。

形は違いますが感覚としては「会いに行けるアイドル」の先駆け「AKB48」を見に行くファンと近しいモノがあります。

ノーパン喫茶は現在もあるのか

このように「ノーパン喫茶」は「風俗業界」の初期時代に深く関わる”新たなジャンル”が生まれるキッカケでした。

その中には、様々な歴史があります。いつ頃に出来たのか、詳しい記録は残念ながらあまり残っていません。先に述べたように残念ながら「ノーパン喫茶」は絶滅してしまっています。

それでももしかしたら出会えるかも知れない場所があるようです。ちょっとだけ見ていってみましょう。

イベントなどでなら見かけることは出来るかもしれない

「ノーパン喫茶」をやっているお店はもう存在していないようです。さらに改正された「風俗営業法」によって完全に消滅しました。

「ノーパン喫茶」を見られる場所は「イベント」などで、「一回きりの復活」をするなどの限られたタイミングだけのようです。

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