下村(中村)早苗の生い立ちと現在!元夫や家族は?【大阪2児餓死事件】 雑学・ライフスタイル

下村(中村)早苗の生い立ちと現在!元夫や家族は?【大阪2児餓死事件】

大阪2児餓死事件という残酷な事件をご存知ですか?犯人の下村早苗は子供を放置したまま遊び歩き、ブログやSNSをに楽し気な写真を頻繫に更新していました。そんな下村早苗の生い立ちや現在、彼女の父親、元旦那である羽木直樹についてまとめてみました。

目次

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下村早苗が起こした大阪2児餓死事件とは

大阪府大阪市で、まだ幼い女の子と男の子の遺体が発見されるというショッキングな事件が起こりました。犯人はその子供たちの母親である下村早苗という当時23歳の女性で、何日も育児放棄をしていたと供述しました。

この事件は「大阪2児餓死事件」と呼ばれ、可愛い我が子を放置しておいて自分は遊んでいる様子をSNSに投稿するなど、多くの人が大きな衝撃と怒りを覚える事件となりました。

事件後も犯人のブログやmixiが特定されるなど話題は尽きませんでした。今回はそんな大阪2児餓死事件についての内容と、犯人である下村早苗の生い立ちや現在についてご紹介していきます。

事件の概要

2010年7月30日未明、「マンションの一室から異臭がする」と110番に通報があり駆け付けた警察官が、幼い2人の子供が部屋の中央で裸のまま仰向けに倒れているのを見つけました。

同日の午後、警察は2人の実の母親である風俗店勤務の下村早苗容疑者を、死体遺棄容疑で逮捕するに至りました。通報したのは、この風俗店に勤務する同僚だったようです。

大阪2児餓死事件で犠牲となってしまったのは桜子ちゃん(3歳)と楓くん(1歳9か月)の2人で、事件の前年に離婚した元旦那との間に生まれた子供でした。

遺体の状態

発見されたときは死後1~2か月経過していたとされ、遺体はすでに腐敗が進み体の一部は白骨化までしていたようです。部屋の中はゴミで溢れ、まるでゴミ屋敷のようだったとされています。

はじめ死因は不明とされていましたが、外傷がなく胃の中に食べ物が全く残っていなかったことから、餓死であると判断されました。調べによると推定50日もの間何も食べていなかったとされています。

そんなにも長い間幼い子供を放置して飢餓状態にさらしたこの事件は、育児放棄の事件として前例がないほど残酷なもので、ニュースを見て涙を流した人も少なくなかったようです。

発見された当時の部屋の状態

警察によるとただ放置をしただけでなく、子共が外に出れないように玄関に続く廊下へ出るための扉を、外側から粘着テープで固定していたようです。

それからベランダや室内のゴミの山からはファストフードやお菓子の袋が見つかり、普段からそういった出来合いのものしか与えてなかったということが分かっています。

裁判の結果

死体遺棄容疑で逮捕された下村早苗ですが、「食べ物を与えないと死んでしまうことは分かっていた」と供述していることから、2012年の最高裁では懲役30年が課せられました。

有期での懲役では最長とされています。世間からは「同じ目に遭わせてやりたい」「同じように50日間何も食べずに生活するべきだ」といった怒りの声に溢れました。

最終意見陳述では、彼女は泣きながら「2人の子供をもう一度抱きしめたい」と語り、2人を背負いながら罪を償っていくということを口にしました。

ネグレクトについて

ネグレクトというのは育児、障害者、高齢者に対して世話を怠ることや無視することをいいます。暴力などの虐待とはまた違いますが、ネグレクトも相手を死に至らせる悪質な虐待行為です。

今回の大阪2児餓死事件でもそうですが、幼いころに育児放棄されていたという生い立ちを経た人は、自分もまた育児放棄をしてしまうという傾向が多いようです。

身体的虐待よりは少ないとされていますが、ネグレクトに関する児童虐待の相談件数は年々増加傾向にあり、ネグレクトによって死亡する子供も増えているようです。

下村早苗の現在

下村早苗は今回の事件で子供が衰弱していくなか自分は夜な夜な遊び歩き、その楽し気な様子をSNSに投稿するという信じられない行動をとったことで多くの批判を浴びました。

逮捕後、実の父親に身元引取りを拒否されるなど、父親の放任主義は今もなお続いているといいます。そんな下村早苗ですが、現在はどうしているのでしょうか。

服役中

懲役30年が言い渡された下村早苗は、現在も刑務所に服役中になります。元の求刑は無期懲役で、罪のない2人の子供を餓死させたのに懲役30年は軽すぎるといった意見が今もなお多いです。

彼女が出所するのは50代半ばのようですが、改姓したことも知れ渡っているのでもう普通の生活には戻れないだろうと考えている人も多いようです。

現在は中村早苗に

服役中の下村早苗は、同じ部屋だった40代の女性と仲良くなります。同部屋だったのはわずか1か月だったそうですが、下村早苗はこの女性が出所したあとも文通などして関係があったようです。

驚くことに上記でお話した40代の女性は、旦那とともに下村早苗を養子にすることを決断します。そして名前を「中村早苗」と改姓しました。

夫婦が「うちの子になる?」と聞くと早苗被告は「うん」と返答したという。(引用:スポーツ報知)

事件があったマンションの現在は?

事件が起こったマンションの部屋は、下村早苗が勤務していた風俗店の名義で借りていた部屋になります。事件の直後は多くの人によって花やお菓子がお供えされていました。

このマンションからは大阪2児餓死事件が起こった当初の住民は全員部屋を出ているらしく、現在のマンションについては特に情報が出ておりません。現在は取り壊されているとも言われています。

下村早苗の生い立ちと経歴

この凄惨な事件を起こした犯人・下村早苗の生い立ちを見ていくと、親からの愛情を受けたことがなく、彼女もまた育児放棄をされ寂しい人生を送っていたことが分かりました。

子供を餓死させて自分は楽しく遊び歩くといった最低な行動は、そんな寂しい過去があったからなのでしょうか。今回はそんな彼女の生い立ちや経歴についてまとめました。

以下の記事では、下村早苗と同じように幼いころに親の愛情を受けないで育った犯人による「酒鬼薔薇聖斗事件」という事件についてご紹介しています。

生まれや家族は?両親の離婚

彼女は1987年に三重県で、三姉妹の長女として生まれました。父親は高校教師であり、高校ラグビー界で知らない人はいないというほどの下村大介という有名な監督でした。

下村早苗の母親は、元々父親の高校の教え子だったようで、高校を卒業すると同時に結婚と出産をしました。ですがすぐに離婚をしていて、その理由は母親の不倫や父親のDVだという二つの説があります。

小学校までは優等生だが中学入学以降非行へ走る

三姉妹は父親に引き取られ再婚もしましたが、父親も再婚相手も放任主義で、育児放棄をされていたようです。そんななか中学生になった下村早苗は、悪友と関係を持つようになりました。

中学に入学して非行に走るようになった彼女は暴走族に入り、なんと14歳でバージンを卒業していて、家出をしたあと援助交際をしながらお金を稼いでいたようです。

当時、朝のニュースショーで福澤朗がスタジオから「あなたは良い家族がいて幸せ者だよ。だからきちんと家に帰るんだよ!」と声をかけるシーンもありました。

教師の実家下宿の影響で落ち着きを取り戻し就職後結婚

中学卒業後は関東の私立高校に入学し、父親の知り合いである教師の実家に下宿していたようです。最初こそ抵抗していた彼女ですが、卒業の時期には家事をしたり礼儀正しくなっていたといいます。

このときのことを振り返った彼女は、初めて人の温もりを感じることができたと語っています。

高校卒業後彼女は地元へ戻り、日本料理店に就職しています。そこで羽木直樹という人物に出会って妊娠と結婚をし、旦那の実家で同居していたようです。

2007年5月長女出産し幸せ溢れる生活を送る

下村早苗は2006年12月に羽木直樹と結婚してますが、翌年の2007年に長女を出産、さらに翌年には長男を出産しています。旦那である羽木直樹は、結婚後に大学生を辞めて就職しています。

この頃は、自分の子供や旦那への愛をSNSに投稿し「幸せになれますように」という言葉も見られました。この時が彼女の幸せの絶頂期だったとされています。

2008年長男の出産で不倫に走り離婚

彼女は旦那である羽木直樹の家族とも良い関係性だったようですが、2人目の子供を出産した直後あたりから古い友達と頻繫に連絡を取るようになりました。

朝帰りなどを繰り返していた彼女の不倫行為は、すぐに旦那と旦那家族に知れ渡ることとなり、それが原因で2009年5月に離婚しています。

実母に頼るも協力は得られなかった

子供を引き取った下村早苗はまず実の母の元を訪れますが、実の母も精神的に不安定な面があって頼れないと分かり、一人でお金を稼いで育てなければならないことを自覚したといいます。

元旦那からの養育費もない生活のなかで、実の父親は下村早苗がインフルエンザにかかったとき時ですら、育児の協力を断っていたことも分かっています。

下村容疑者は知人に「先生は東京にいるから自立しないと。周囲の愛情に甘えてはいけない。母親である以上、強くないと」と語っていた。 (引用:朝日新聞)

長男の誕生日祝いと元夫に頼むも拒否される

2人目の子供、楓くんが1歳の誕生日を迎えるとき、彼女は一緒にお祝いをしたいということで元旦那に「動物園に行かないか」と誘いましたが、お祝いの言葉もないまま断られたそうです。

結局、誕生日当日になっても誰からも祝福のメールや電話はなかったようで、彼女が周囲の人間関係から孤立していたのが分かります。

風俗への面接とホストとの恋で育児放棄へ

最初は飲食店で働いていた下村早苗ですが、風俗の方が稼ぎが良いということで2010年1月から大阪・ミナミのファッションヘルス「クラブリッチエレガンス」で働き始めました。

子供のために保険に入りたいという彼女に、風俗店主もはじめは尊敬していたようですが、出勤するといってしなかったり、勤務態度は真面目とは言えないものだったようです。

そしてそのお金でホストクラブに通いだすと、彼女は子供に食事をさせたりお風呂に入れてあげるのが面倒になり「子共なんていなければいいと思うようになってしまった」と語っています。

ホストクラブで遊び狂うように

ホストクラブで遊ぶようになってからは数人のホストと交際をしていた時期もあり、ホストクラブをはしごすることもあったようです。生活費のために始めた風俗は、いつしかホストに通うためのものとなりました。

風俗での下村早苗は顔が可愛いと人気もあったようです。加えてホストと付き合っていたこともあり、その見た目は段々派手になっていき、可愛い服を着てオシャレをした姿をよくブログやSNSに投稿していました。

行政に相談したり近隣からの児童相談所への通報もあった

彼女は自分で行政に相談もしていたようで、さらに2010年の3月頃赤ちゃんの泣き声に気付いた同じマンションの住人から、3回に渡り「子供虐待ホットライン」に通報がいくようになりました。

職員が数回に渡り部屋に訪問までしましたが、何度訪問しても不在だったようで、その時の職員の話によると特に物音や赤ちゃんの泣き声はしなかったといいます。

遺体を発見した後の驚きの行動

6月中旬から家出をしていたとされる彼女ですが、同月下旬には一度帰宅しています。そのとき、すでに息を引き取っている2人の子供を発見、しかし彼女はそのまま再び家出をしています。

遺体発見の前日にも彼女は自宅に帰っており、茶色く変色して腐敗している子供の遺体を見たあと再度家出をするという信じられない行動をとっています。

子供を尻目に遊びまわる

子供を放置し始めたころから彼女はSNSを頻繫に更新するようになっていた彼女は、遺体を発見したあとも知り合いの男性とドライブに出かけて写真を撮っており、ホテルで性行為をしていました。

さらにサッカーのパラグアイ戦を店で鑑賞し、ブブゼラを持った写真をブログに投稿しています。さらにクラブでお酒を飲んだノリで、大阪城公園に訪れた写真もブログに掲載されていたようです。

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