伊藤リオンの現在は沖縄で事件?死亡説や伝説と関東連合、山口組破門まとめ 雑学・ライフスタイル

伊藤リオンの現在は沖縄で事件?死亡説や伝説と関東連合、山口組破門まとめ

元関東連合のメンバーで市川海老蔵暴行事件で一躍有名になって伝説的不良伊藤リオン。死亡したとも沖縄に移住したともされましたが、2018年、沖縄の地元暴力団関係者と乱闘騒ぎを起こし現在再び注目をあびています。その妻についてや生い立ちなども合わせてまとめていきます。

目次

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伊藤リオンの現在

関東連合所属グループの元メンバー伊藤リオンは少年時代から喧嘩が圧倒的に強い伝説的な不良であり、これまでも何度も暴行や傷害での逮捕された経歴を持ち、関東の不良の世界では名の知られた存在でした。

2010年11月25日に起きた、歌舞伎俳優市川海老蔵への暴行事件で、市川海老蔵氏に暴行を加えた本人として連日ニュースでその名が報道され、一般にも名前が広く知れわたりました。

現在は、長く表に名前が出なかった事で、死亡したとも噂されていましたが、2018年に入ってから沖縄で乱闘騒ぎを起こし、その様子がYouTubeにアップされ、現在、伊藤リオンは再び世間を賑わせています。

伊藤リオンは現在沖縄、松山で旭琉會系組員と乱闘事件に

伊藤リオンは市川海老蔵暴行事件で実刑判決を受けて服役後、関東で警察に目をつけられるのをかわすため、よく沖縄を訪れて行動していた様です。そんな中、2018年5月30日に那覇市松山で乱闘事件を起こします。

この乱闘騒ぎは伊藤リオンとその仲間が飲食店から出てきた所を沖縄の暴力団旭琉會系の組員4人が金属バットやスタンガンなどで襲撃、リオン側も牛刀を出して応戦するほどの事態に発展しています。

この騒ぎは、沖縄に来て派手に遊ぶ、伊藤リオンの振る舞いに対して、地元組織である旭琉會関係者はよく思っていなかった事が伏線になっていると言われています。

伊藤リオンは現在沖縄には住んでいない

伊藤リオンは海老蔵暴行事件で服役後に、沖縄に移住しているとの噂も一部から流れていましたが、これは移住していたわけではなく、前述の通り東京では警察のマークが厳しいため、沖縄に度々訪れていたとの事です。

伊藤リオンと市川海老蔵の現在の交流は

伊藤リオンは2010年の市川海老蔵暴行事件の暴行実行犯として逮捕された事で一躍有名になりました。その後、海老蔵氏側が被害届を取り下げなかった事で、懲役1年4ヶ月の実刑判決を受けています。

その後、伊藤リオンは2012年3月19日に出所、被害届を取り下げなかった海老蔵氏に対して恨みを持っており、何らかの報復行動に出るのではないか?との懸念も持ち上がっていました。

しかし、伊藤リオンは特に報復的行動に出る事もなく、出所に際しては当事者の1人であり、先輩である石元太一のブログを通じて反省の気持ちも表明しています。現在は海老蔵氏との交流などはない様です。

「予定よりも約4ヶ月も早かったです。こんな短い刑期で、これだけの仮釈がもらえるのはやっぱり珍しいのかな。あの事件であんなにも世間を騒がしてしまった事、リオン共々反省をし、今後二度とないように心掛けたいと思います」

(引用:石元太一公式ブログ)

伊藤リオンは山口組から破門される

伊藤リオンは市川海老蔵暴行事件での服役後、仙台市に本拠を置いている6代目山口組大同会系傘下の暴力団の構成員となりますが、2014年11月7日に破門されています。

山口組系の暴力団に加入した理由については六本木クラブ襲撃事件以降弱体化していく関東連合の中で、暴力団の後ろ盾が無ければこれまで通りのシノギを続けていくのは難しかったためだと言われています。

山口組を破門された理由

破門理由についてははっきりしませんが、一部の噂では「行動が子供染みていて言い訳や泣き言が多いため」などと言われています。また、暴力団構成員としての資質が無かったとも言われます。

これまで自由に振る舞ってきた半グレとしては規律を重んじる暴力団組織の水には合わなかったのでしょうか。波紋の理由について日刊SPA!が関係者に取材し、以下のコメントを掲載しています。

リオンはX會の看板を抑止力として利用しながら、組には貢献しようとしなかった。
そもそも行動が子供染みていて言い訳や泣き言が多く、冷ややかな目で
見られていましたよ。ヤクザとしては使い物にならなかったとの評判です

(引用:日刊SPA!)

伊藤リオンには死亡説も

伊藤リオンは現在も生存していますが、これまで何度か死亡説が流れています。市川海老蔵襲撃事件からしばらくの間表に名前が出なかった事で最初の死亡説が流れています。

その後、破門された事が明らかにされた2015年から現在世間を賑わせている沖縄旭琉會系組織構成員との乱闘事件までの間にも一時死亡説が流されていた様です。

伊藤リオンはその風貌やこれまで起こした傷害事件の多さからかなり凶暴なイメージがついており、何者かから命を狙われてもおかしくはないというイメージから死亡説が度々出てくるのでしょう。

伊藤リオンが関わった事件

これまでに伊藤リオンが関わったとされる凶悪事件についても詳しく触れてみたいと思います。まずはリオンが少年時代に起こした暴行死亡事件について、続いて市川海老蔵暴行事件についても詳しく解説します。

2000年5月、東洋ボール殺人事件

2000年5月13日午前1時頃、東京都の大田区池上にあるボウリング場「トーヨーボール」の駐車場で友人とダンスの練習をしていた少年が、車と単車に分乗した20数名のグループに襲撃されました。

伊藤リオンもこの襲撃メンバーの中におり、被害者少年を集団で暴行し、頭髪をライターで焼く、舌をハサミで切るなど壮絶な暴行を加えています。

やがて、動かなくなった被害者を車の荷台で慈恵医科大学の看護婦寮前まで運んで放置して逃げ去ります。通行人が通報し病院に搬送されますが、14日午後9時半ごろに死亡脳挫傷とクモ膜下出血により死亡。

主犯格は石元太一

この事件の主犯格は関東連合に所属する暴走族グループのリーダーで、伊藤リオンの先輩だった石元太一だとされます。被害にあった少年達は関東連合と抗争中の不良グループメンバーだと勘違いされ襲撃されたそうです。

ただ、石元太一は「自分のしでかした人生最大の過ち」としながらも、被害少年を勘違いで殺害したことは認めておらず、あくまでも当時関東連合と抗争を繰り広げていた敵対するグループのメンバーであるとしています。

2010年11月、市川海老蔵暴行事件

続いては、関東連合と伊藤リオンの名前を一躍全国的に有名にした11代目市川海老蔵暴行事件についてです。事件が発生したのは2010年11月25日でした。

午前5時頃から6時頃の間、市川海老蔵氏は西麻布のバーで飲食中、同席した石元太一や伊藤リオンらとトラブルになり、伊藤リオンからの暴行を受けて顔面全体に骨折などのひどい怪我を負います。

市川海老蔵の石元太一への暴行が原因で事件に発展

当初は、市川海老蔵氏が一方的にトラブルに巻き込まれて暴行を受けたと報道されていましたが、その後の証言によって泥酔した市川海老蔵氏がリオンの先輩であった石元太一に暴行を働いた事が原因との話が出てきます。

具体的には、市川海老蔵氏が石元太一に「灰皿にテキーラーを注いで飲ませようとした」、「髪を引っ張って頭を叩くなどの暴行を働いた」などの証言が出てきています。

これについて市川海老蔵氏は、酔っていて何も覚えていないとしていますが、裁判所は市川海老蔵氏の行動が事件を誘発した事は否定できないとしています。

伊藤リオンは市川海老蔵の石元太一への態度が我慢できなかった?

その後の関東連合のメディア対応やマスコミの報道などにより、事件にあった飲食店の店長が日頃の市川海老蔵氏の酒癖の悪さなどを暴露しており、市川海老蔵氏の方にも落ち度があったとの雰囲気が強まります。

こういった経緯から、事件時石元太一の後輩として同席していた伊藤リオンは、先輩に対する市川海老蔵の横柄な態度や理不尽な暴行を受けた事に我慢ができなかった事が暴力行為に及んだ原因だとされました。

こういった、先輩のために自分が体を張るという行動はアウトローの世界では賞賛されるため、この事件は不良達の間では伊藤リオンの伝説の一つとして現在でも語られています。

市川海老蔵は死亡寸前のボコボコに

ただ、この時の伊藤リオンの暴行はあまりにも度を越しており、市川海老蔵氏は左頬陥没骨折や左目の内出血、鼻、顔全体の腫れ、前歯の損傷など顔面全体に大けがを負っています。

幸運にも脳への損傷や視力の低下などの後遺症もありませんでしたが、下手をすれば死亡していた可能性もあるほどにボコボコにされていました。

裁判所の見解としても「被害者に相当量の出血があり、意識不明に陥った場合は窒息死する可能性もある、危険な犯行だった」との認定がなされています。

初公判では伊藤リオンの妻が出廷

この事件の法廷に伊藤リオンの妻が出廷して弁護人の質問に答えています。この妻の証言によって、リオンの意外な人物像などが明らかになりました。

妻によるとリオンが何度も傷害や暴行で逮捕されている事を知った上で結婚した事、その理由は自分(妻)に対する接し方を見て本来は優しい人間であると判断して決めた事などを証言しています。

さらに、妻の立場から見た伊藤リオンの性格を質問され、人見知りする性格だが仲良くなれば優しく、面倒見の良い人間であるとも語っています。

伊藤リオンは1年4ヶ月の実刑判決に

伊藤リオンは市川海老蔵暴行事件の判決として2011年3月14日に懲役1年4ヶ月の実刑判決を受けています。実はそれ以前、2010年12月には市川海老蔵側と伊藤リオン側とで示談が成立していました。

しかし、市川海老蔵側が被害届を取り下げなかった為、伊藤リオンは法廷で裁かれる事となりました。この為懲役を受けたのは市川海老蔵氏のせいであると恨みを持っていのでは?との懸念が持ち上がります。

伊藤リオンが出所した後には市川海老蔵への報復行動に出るのではないか?とも心配されましたが、伊藤リオンはその後反省の姿勢を示しており、心配されていた報復行動などは行われてないようです。

伊藤リオンの生い立ちと経歴

妻が法廷で語ったように、伊藤リオンをよく知る周囲の人物は、本来は優しい人間とリオンの事を語っています。そんな伊藤リオンの本来の姿を少しでも知る為、その生い立ちや経歴についてもまとめていきましょう。

伊藤リオンの生い立ち

伊藤リオンの生い立ちは、1983年頃誕生し、東京都杉並区で育ったとされています。父親は中米パナマ人、母親は日本人のハーフとして生まれますが、両親は離婚しており母子家庭で育っています。

親・兄弟との関係は?

ハーフで母子家庭と少々特殊な生い立ちですが、母親との関係は幼少時までは良好であったようです。次第にリオンが不良の道に進むと次第に折り合いが悪くなったとされています。

ただ、裁判所に出廷した母親はリオンの供述に涙ぐむ様子なども見せていた為、現在の母親との関係は良好であると思われます。また、兄弟などの情報は見つからず、おそらく一人っ子であろうかと思われます。

伊藤リオンの現在までの経歴、サッカーが上手い

さらに伊藤リオンの生い立ちを語る上で欠かせないが、中学時代までやっていたサッカーについてです。伊藤リオンは中南米系の黒人の血が入ったハーフであり、ずば抜けた身体能力を持っていました。

伊藤リオンは、小学校5年生頃に当時のヴェルディ川崎の下部チーム、ヴェルディ・ジュニアに入団します。中学に進みジュニアユースに入るとFWのレギュラーを獲得し将来を嘱望される若手選手となります。

しかし、この頃から次第に不良の道へと入り込んでいきます。当時を知る友人は、伊藤リオンのサッカーの才能についてと当時からやんちゃな少年であった事について以下の様に語っています。

「伊藤リオンは運動神経が良すぎて練習なんかしなくてもサッカーがうまかった。練習中にゲームボーイをしてたぐらいです。でも当時から、よくノーヘルで原付に乗って環八通りを走っていたんです。

(引用:週刊文春)

黒い狂犬の異名を持つ、伊藤リオンの喧嘩が強い伝説

中学生の頃、伊藤リオンは石元太一と出会います。リオンが原チャリでノーヘルで走っている事を聞いた石元太一は、リオンに自身が所属する世田谷を本拠地とする暴走族に誘いました。

そのころ『暴走族に興味があるのか?』と声をかけてきたのが、今回最初に海老蔵さんに髪の毛を掴まれたと言われているT先輩なんです。それでT先輩の所属していた世田谷を本拠地とする有名チームに入るようになったんです」

(引用:週刊文春)

伊藤リオンの身長は175cmほどですが、その体格は筋肉に覆われており首の太さもパッと見してまるで格闘家の様です。リオンは中学時代から喧嘩に滅法強く「黒い狂犬」の異名で伝説的に恐れられる様になります。

伊藤リオンは筋の通ったワル?

伊藤リオンは不良の道で名を上げ、伝説的不良となっていきますが、その性格面では筋の通ったワルとして周囲からも一目置かれる存在でした。

一般人には決して理由なく喧嘩を売らず、その暴力は常に自分たちと同じアウトロー達に向けられたものであったそうです。この点も伊藤リオンが現在でも伝説的に語られる理由なのでしょう。

また、驚くべきことに、リオンが暴行に関わった東洋ボール殺人事件の被害者の父親もリオンには一目置いているかの様な発言をしています。

『申し訳ないことをした』『(亡くなったAさんが)毎晩夢に出てくる』っていって、とても反省してるといっているって聞いたよ。

彼はそんなに芯から悪い人間じゃないと思いますよ。ワルはワルなんだけども、筋は通っている。警察や検事の供述書類を見ても、きっちりと事件のことを振り返って正直に話している。他の暴行犯の証言と比べてもあの男だけは正直だった。素直な感想もいっていたしね。

(引用:女性セブン)

また、この被害者遺族に対する損害賠償金についても、伊藤リオンと石元太一の両親だけが、取り決め通りの500万円をきっちり支払ったとも語っています。

こういったエピソードから見ても、伊藤リオンは筋道をしっかり通す人間である事が推察できます。生い立ちを振り返っても真っ当な道を進んでいれば、ひとかどの人物となった様に思われ惜しまれます。

伊藤リオンは近所の評判が良い少年だった

伊藤リオンの少年期の生い立ちについて書いてきましたが、実は伊藤リオンは地元近隣住民からの評判はとても良い様なのです。海老蔵事件を知った近隣住人は一様に驚いた様でした。

「あの子がそんなワルとは初めて知った」とIを知る商店主や住民は一様に首をひねる。

「あなた、ちゃんと取材しているの? 海老蔵さんの方をよく調べなさい! Iは暴力を振るうような子ではなかったけど、殴ったのであれば、それなりにワケがあるはずよ」とは幼いころからIを知るスナックのママ。実家周辺ではIの「正当防衛説」や「無罪説」を唱える声が多い。

(引用:zakzak)

また、少年期の伊藤リオンを知る近隣の住人達は、伊藤リオンとの多くの優しげで真っ直ぐな人物像が垣間見えるエピソードを持っており、メディアで報じられる凶暴なリオンのイメージとは少し異なります。

Iが小中学生時代に通った理髪店店主は「大人になってからは久しく来なかった。3年ぐらい前に駅前でばったり会った直後、散髪に来てくれた。なんて義理堅い子なんだろうと思った。言葉遣いも丁寧で、子供のころは友達をかばうような素振りも見せていた」と振り返る。

(引用:zakzak)

さらに、大人になってから地元を訪れたリオンに対しても地域の住人達は決して悪い印象で語ることはないのです。

近くの書店店主は「確かにグレた時期はある」というが、「ここ数年、別の場所で暮らしているようで8月に実家に戻ってきた。最近も店に来て漫画や雑誌を買っていったが礼儀正しかった」。

近所の主婦は「夜中に会った時、野良猫をなでていた。『猫、好きなの?』と聞くと『はい』と答えた」と気の優しい一面も明かす。

(引用:zakzak)

この様な生い立ちや、エピソードから考えても本来の伊藤リオンはとても優しい真っ直ぐな人間であるのかも知れません。これまでの凶暴な行動がにわかには信じられないほどです。

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