松永太と息子の現在!北九州監禁殺害事件を起こした天才的ペテン師 雑学・ライフスタイル

松永太と息子の現在!北九州監禁殺害事件を起こした天才的ペテン師

2002年に発覚した北九州監禁殺害事件。マインドコントロールによって、自分の手を汚さずに7人もの人物を殺害させた犯人松永太死刑囚の現在や事件の概要を詳しくまとめていきます。恐ろしいペテン師が行なった悪行だけでなく、犯人の息子の様子にも注目します。

目次

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天才的ペテン師、松永太が起こした北九州監禁殺人事件とは

北九州監禁殺人事件は、天才的ペテン師と呼ばれた松永太が自分の手を汚さずに起こした事件でした。マインドコントロールと卑劣な行為で人を従わせ、監禁や虐待、暴力や殺人を行いました。

松永太による北九州監禁殺人事件は2002年に事件は発覚しましたが、この犯罪は長きに渡って行われました。洗脳下にあったとも言われている内縁の妻・緒方順子のことも共にこの事件を紐解いていきます。

2002年3月、監禁から脱出した少女が警察に助けを求め発覚

北九州監禁殺人事件が発覚したのは、2002年3月のことでした。事件に関わった少女が監禁から脱出、祖父母のもとに逃げ込んだことがきっかけとなり警察へ通報されたことで事件が発覚したのです。

松永太死刑囚の逮捕は少女の監禁だけでなく、恐ろしい殺人事件の発覚へとつながっていきます。そして天才と言われ自分の手を汚さずに起きた事件は、あまりにも多くの犯罪が入り混じり起きていたのです。

7人が監禁、殺害された

北九州監禁殺人事件は、福岡県北九州市で7人が監禁・殺害された事件でした。ある一家6人と松永太死刑囚の知人の男性が犠牲となりました。

首謀者松永太は自ら殺人を行わず死刑に

松永太死刑囚は、自ら殺害を行わなかったにも関わらず死刑判決を受けました。自らの手を汚さずに他の人に殺害させるという驚くべき事実は恐怖そのものでした。

自分で殺しをしていないのにも関わらず死刑判決となった理由とはどんなものだったのでしょうか?天才でイケメンと言われた松永太死刑囚の裁判にも注目していきます。

北九州監禁殺害事件の経緯

2002年3月に発覚した北九州監禁殺人事件は2人の犯人によって起こされました。ここからは事件の経緯を追っていきます。

上の画像は加害者被害者の相関図です。被害者が加害者でもあった複雑な事件のため、参考にしてみてください。生い立ちについては後ほどご紹介しますが、まずは犯人である2人の簡単なプロフィールをみてみましょう。

加害者①

  • 名前:松永太(加害者X)
  • 1961年4月28日生まれ(当時37歳)
  • 事件の最重要人物。虐待などで人を脅し、自分の手を汚さずに他の人に殺人を実行させた
  • 容姿はいわゆるイケメンの部類

加害者②

  • 名前:緒方純子(加害者Y)
  • 1962年2月25日生まれ(当時37歳)
  • 松永太の内縁の妻
  • 事件の最重要証人
  • 内縁の妻ではあったがマインドコントロール下に置かれていた

犯人の松永太と緒方純子は指名手配されていた

犯人である松永太死刑囚と緒方純子は、北九州監禁殺人事件で逮捕される以前からすでに指名手配犯として警察に追われる身となっていました。

2人は1992年7月に詐欺罪と脅迫罪の2つの罪で指名手配となっており、この罪に関しては1999年に公訴時効が成立しています。

公訴時効(こうそじこう)とは刑事手続上の概念で、犯罪が終わった時から一定期間を過ぎると公訴が提起できなくなることをいう。時効の一種である。

(引用:Wikipedia)

金に困った二人はマンションを仲介した男性に目をつける

北九州監禁殺人事件は、松永太と緒方純子が金に困ったことがきっかけとなり事件は始まりました。金を得るために目をつけられたのは、2人が逃亡中にマンションを仲介してくれた男性(被害者B)でした。

松永太死刑囚は偽名を使って一流メーカーで働く優秀なエンジニアを演じ、投資話を持ちかけました。その投資話に乗ってしまった男性は、徐々にマインドコントロールされていったのです。

男性はマインドコントロールされ同居女性と別居、娘と犯人二人の共同生活へ

当時男性には交際していた女性がおり、さらに実娘(被害者A)がいました。男性は松永太から持ちかけられた投資話をきっかけに、交際していた女性と別れることになりました。

Xから競馬のノミ屋に関する儲け話に関する新会社設立を聞かされたBは同棲していた女性と別れ、Bの実娘AはYが養育するとしてXが確保したマンションに移り、Bは社宅で過ごしながらXが確保したマンションに通うようになった。

(引用:Wikipedia)

さらに松永太は酒の席で、男性の弱みを握りました。男性は仕事で部屋の消毒をしないまま『消毒済み』にし、工費を着服していたという過去があったのです。

その弱みを握ったことで男性と娘を自宅マンションに同居させ、共同生活を始めたのです。この娘さんがのちに事件発覚鍵となった逃亡した少女で、彼女は当時まだ8歳という幼い子供でした。

男性と娘は虐待を受けマインドコントロール下に

松永太と緒方純子との共同生活によって、男性と娘は虐待を受けるようになります。そして松永太のマインドコントロール下に置かれるようになるのです。多額の金を要求されたりということもありました。

男性はカツラを使用しており、そのカツラを取られたりなどの行為から虐待が始まりました。さらに『娘に性的虐待をした』『会社の金を横領した』など事実と異なる事実確認書を書かせ、精神的に追い詰めていきました。

虐待は『通電』と呼ばれるものや、食事を満足に与えないなどといった肉体的虐待も繰り返されました。虐待に関しては緒方純子も加担しており、虐待を手加減することもなかったそうです。

1996年、男性が死亡し、緒方純子が遺体を解体

1996年2月26日、松永太と緒方純子からの度重なる虐待によって、男性は衰弱死しました。これが最初の殺人となるのです。共同生活をはじめて1年4ヶ月後のことで、男性は享年34歳でした。

さらに松永太は、緒方純子と男性の娘に男性の遺体を解体し、海に遺棄するように指示しました。緒方純子はこの時妊娠しており、身重な体で男性をズタズタに切り刻んだその後陣痛がきて息子を出産しています。

男性の娘にも遺体の解体をさせた松永太は、さらに酷いことを少女に行います。父親を殺したという罪を着せようとしたのです。

XはAに対し死亡直前のBに歯型がつく程噛ませた後に写真を撮り、Aに「父親を殺したことを認める」とする事実関係確認書を作成させ、Bの殺害に加担した罪悪感を植え付けて虐待を繰り返し、監視下に置いた。

(引用:Wikipedia)

緒方純子の母からの送金が途絶え、松永太が緒方純子に資金作りを要求

男性を殺害する前、松永太は男性の知人の妻を結婚詐欺にかけ男性と同様に監禁し、金を奪って虐待していました。女性には子供が3人いましたが、親権などの理由により次女のみを同じアパートに連れていました。

1996年12月30日から翌1997年3月16日にかけ、XとYは女性と次女を北九州市のアパート2階の四畳半和室に閉じこめ、連日虐待した。またXの命令で女性が次女に虐待していた。

(引用:Wikipedia)

男性が殺害され知人の妻が逃亡した後は緒方純子の母親からの送金で暮らしており、送金額が1500万円を超える頃、母親の蓄えが底をつき送金がなくなったことから、松永太が緒方純子に資金作りを要求しました。

松永太は緒方純子が逃げたと思い激昂、緒方純子の家族を脅迫

資金作りを要求された緒方純子は、松永太に内緒で湯布院へ働きに出ていました。内緒で働きに出てしまったことで、緒方純子が逃亡したと勘違いした松永は激昂、緒方純子の家族を脅迫するようになったのです。

松永太と緒方純子、緒方純子の両親、妹夫婦、甥・姪との共同生活へ

逃亡したと思い緒方純子の家族を脅迫するようになったことをきっかけに、松永太は緒方純子の両親と妹夫婦、そしてその子供達(甥・姪)との共同生活をはじめました。

松永太は、内緒に働きに出ていた緒方純子を呼び戻した時、緒方純子の家族に彼女を取り押さえさせ、家族から純子に対して虐待を与えさせました。

そこから家族全員が虐待をしあい、天才ペテン師松永太のマインドコントロール下に置かれるようになっていきました。

緒方純子の父親が”通電”で死去、一家は死体を解体

松永太は、一番最初に男性を殺害した罪を緒方純子に着せ、緒方純子の両親や妹家族をさらに脅すようになりました。両親から金をもぎ取り金が底をつき始めると、一家に対し虐待するようになっていきました。

一家への虐待を繰り返した結果、緒方純子(加害者Y)が純子の父親(被害者C)に行なった通電がきっかけとなり父親(被害者C)が死亡しました。

1997年12月21日、Xは土地の売却が阻止された責任がY一家の家長であるCにあるとして、Yを通じてCを通電させた。その結果、Cは死亡した(第2の殺人。ただし、裁判では傷害致死と認定)。

(引用:Wikipedia)

そして松永太は、死亡した父親の遺体を一家に解体させたのです。クリスマスと松永の長男誕生日の時期ということもあり、死体解体中にお祝いをし記念撮影を行うという信じられないことをしていたそうです。

精神がおかしくなった母親を殺害、死体を解体

次に殺害されたのは、緒方純子の母親でした。母親は通電による虐待の苦痛で、奇声を発するようになっており、精神がおかしくなっていました。

1998年1月20日、松永太はそんな緒方純子の母を殺すように純子と妹夫婦に命じました。純子と妹に母を取り押さえさせ、妹の夫に電気コードで絞殺させ、死体を解体させました。

はじめは奇声を発するようになった母に対しての対応を純子らに考察させましたが、結果的に殺害するように導き、殺害方法に関しても自分達で考えさせ命令したそうです。

耳が聞こえにくくなった緒方純子の妹を夫が殺害

この頃度重なる通電や精神的なストレスにより、緒方純子の妹(E)は耳が聞こえにくくなっていました。「妹が母親のようにおかしくなったらどうするんだ?」と話をし、妹への対応策も考えさせました。

純子と妹の夫(F)に自ら考えさせ、妹(E)を殺害するように導いたのです。この話し合いには妹夫婦の娘(G)も一緒で、結果的に娘にも殺害の手伝いをさせました。

「Eの殺害を拒否したいが、Xの曖昧な提案の詳細を聞こうとすると通電される」「たとえ、殺害を拒否しても、Eはもっと酷い虐待を受けて辛い思いをした末に殺されるのではないか?」と悩んでいた。

(引用:Wikipedia)

Yは「Eの処遇について終わっていないと自分たちも酷い目にあうし、Eは生きていてもXから虐待を受けて辛いだけ」とFに切り出すと、Fが「それなら自分がやる」とFがEの殺害を決意。Fは娘Gに対して、「お父さんが首を絞めるから、おまえは足を押さえて最後の別れのあいさつをしなさい」と問いかける。

(引用:Wikipedia)

妹の夫が虐待により死亡、甥・姪を殺害

妹の夫(F)は嫁の殺害後、松永太や緒方純子からの度重なる通電や食事制限などの虐待により、度々下痢や嘔吐を繰り返すようになっていました。

1998年4月13日、Fは浴室でXから与えられた眠気防止ドリンクと500ml缶ビールを全部飲みほした(YはFが飲んだ現場を直接目撃していないが、カラになったビール缶を持ちながら浴室から戻ってきたXを見ている)。ビールを飲ませて1時間後、Fは浴室で衰弱死した(第5の殺人)。この際に、Gが浴室で父Fの死亡を確認し、Xらに対して父Fの死亡報告をしている。

(引用:Wikipedia)

虐待による衰弱によって妹の夫の死期が近いだろうということを悟った松永太は、”死ぬと思ったから最後にビールを飲ませてやった”と言っていたそうです。

甥と姪の殺害

その後大人は松永太と緒方純子だけとなり、自分たちの息子2人と最初に殺害した男性の娘(A)、妹夫婦の娘(G)と息子(H)が残るのみとなっていました。

松永は純子の姪っ子を脅し、弟を殺すように命じます。当初緒方純子は「私だけで殺す」と言っていましたが、松永は2人で殺すように命じ台所で絞殺させました。

北九州監禁殺害事件の首謀者、松永太の生い立ちと人格

このように7人もの殺害を起こさせた北九州監禁殺害事件の首謀者・松永太ですが、ここからは松永の生い立ちや人格などについて注目していきます。

松永太の生い立ち、天才だった?

松永太の実家は畳屋で、裕福な生い立ちでした。経済的に裕福で母親と祖母に甘やかされて育ったと言います。学力に関しては天才と言われており、容姿もイケメンで常に学力トップな状態だったそうです。

小学校の全学年でほとんどの科目が「オール5」であり、学級委員長や生徒会役員を務め、中学1年時には校内の弁論大会で3年生を差し置いて優勝し、部活ではキャプテンを務めたが、当時から虚言癖があり、教師からの信用は低かった。

(引用:Wikipedia)

高校卒業後は父の店を継ぎ、布団販売業へ

天才とも言える学力を持っていた松永でしたが、高校在学中に不純異性交遊が発覚したことをきっかけに男子校へ転校させられたそうです。緒方純子とは最初の高校の同級生でもありました。

高校卒業後は、父の店を継ぎ畳屋から布団販売業へ転換させます。布団販売業では詐欺行為を繰り返しており、悪質な営業を続けていたといいます。

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