風船おじさんこと鈴木嘉和の現在は?ファンタジー号の最後の真相は? エンタメ

風船おじさんこと鈴木嘉和の現在は?ファンタジー号の最後の真相は?

ピアノ調律師であり自称冒険者の風船おじさんの現在はどうなったのでしょう。アメリカを目指した風船おじさん、鈴木嘉和さんは最後どうなったのでしょうか。噂の中には死んだという説もあります。風船おじさんの最後や今と家族、そして現在の噂の真相について詳しく調査しました。

目次

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自作のゴンドラ「ファンタジー号」でアメリカへ飛んだ風船おじさん・鈴木嘉和とは

風船おじさんは周囲の引き止めを聞かず、自作のゴンドラでアメリカを目指し飛び立った鈴木嘉和さんのことです。

ヘリウム入りの風船を大量にゴンドラにくくりつけて制作した「ファンタジー号」で飛行し、アメリカを目指しました。

しかし結果として行方不明になり生死も不明のままです。無謀な計画で行方不明となった風船おじさんは今もなお最後はどうなったのか考察され続けています。

風船おじさん・鈴木嘉和のプロフィール

  • 名前:鈴木嘉和(すずきよしかず)
  • あだ名:風船おじさん
  • 生誕:1940年
  • 失踪:1992年11月
  • 出身校:国立音楽大学附属高等学校
  • 職業:ピアノ調律師

1992年4月17日、当時52歳の風船おじさんこと鈴木嘉和さんは風船で飛行し民家の屋根に不時着する事故を起こしています。

警察官の制止を聞かずに東京都府中市の多摩川河川敷から飛び、千葉県の九十九里浜を目指しました。

そして同じ年の11月に「ファンタジー号」でアメリカを目指して飛行、その後行方がわからなくなりました。

風船おじさんの経歴

風船おじさんこと鈴木嘉和さんは、東京都でピアノ調律師の一家として生まれました。国立音楽大学附属高等学校を卒業後、ヤマハの契約社員となります。

東京都小金井市でピアノ調律業を営んでいましたが、1984年(当時44歳)、音楽教材販売会社ミュージック・アンサンブルを起業します。

そしてピアノ向けの練習用のカラオケ音楽テープの販売をスタートさせます。1986年には銀座では音楽サロンのあんさんぶるを開店させさらに麻雀荘やコーヒーサロンやパブレストランなども経営していました。

しかし経営難に陥り1990年、ミュージック・アンサンブルが倒産します。負債額は4億円から5億円だそうです。

鈴木嘉和さんは1989年、横浜市で開催された横浜博覧会にテナント出店をしましたが会場内における立地が悪いこと、博覧会自体の集客がいまいちだったことから経営は不振でした。

しかし10月の閉幕が迫っているにも関わらず横浜博覧会協会が対策を取らないとして、これに抗議して同年7月30日、早朝の4時から高さ30メートルの鉄塔コロネードにブルアちゃんの着ぐるみを持って足場伝いによじ登り7時間ほど籠城する騒ぎを起こした。

(引用:Wikipedia)

塔からは「団体バス駐車場を開放してね」という垂れ幕を垂らそうとしたが、風にあおられてうまくいかず、午前10時頃に博覧会関係者が異変を発見して119番通報した。横浜市消防局のレスキュー隊員がハシゴ車で頂上まで行き説得するが、ブルアちゃんの着ぐるみに入った鈴木はイヤイヤポーズをするなど拒否。

(引用:Wikipedia)

博覧会協会側から1日10万人の入場者があると説明されていました。それなのに実際は3万から4万人、1日100万円の売上げを見込んでいたものの3分の1、10万円未満の日もあったそうです。

権利金や店の内装で出店には3,000万円かかりました。この抗議の後、客寄せとしてヘリウム風船の浮力で高さ10メートルから20メートルに浮かぶ「空中散歩」を自費で設置しています。

平成4年4月、風船おじさんは飛行し不時着

1992年4月、風船おじさんは飛行に挑戦するものの不時着するという事故を起こしました。

警察官に制止されたもののこれを聞かずに東京都府中市の多摩川河川敷からヘリウム風船で飛び立っています。

椅子に5メートルと2.5メートルの風船各2個を直接くくりつけて飛行していました。途中までは順調だったのですがアクシデントが発生します。

重りの15kgの砂袋2個がはずれて急上昇してしまったのです。予定の高度400メートルが5600メートルの高度まで上昇してしまいました。

そのため風船おじさんは百円ライターの火で風船をあぶって切り離します。その後高度が下がり、出発地点から24キロメートル離れた東京都大田区の民家の屋根に不時着しました。

幸いにも左手に怪我をした程度で済んだそうです。駆けつけた蒲田署員に謝罪しましたが、成功すれば次はハワイをめざす予定だったと語っていました。

不時着した民家は、瓦が壊れてテレビのアンテナが曲がってしまうという被害を受けたのですが、風船おじさんからの弁償や挨拶はなかったと言います。

平成4年11月23日、上昇実験中に飛んでいってしまった?

1992年11月23日、のちに「ファンタジー号」事件と呼ばれる飛行計画が実施されます。

風船おじさんは当時52歳、ヘリウム入りの風船を多数つけた自作の「ファンタジー号」の試験飛行を琵琶湖畔で行ったのです。

試験飛行の場には、電話で呼び出された同志社大学教授の三輪茂雄と学生7人、朝日新聞の近江八幡通信局長、前日から密着していたフジテレビのワイドショー『おはよう!ナイスデイ』取材班、そして鈴木の支持者らが集まった

(引用:Wikipedia)

この日の試験飛行はあくまで200m~300mの上昇実験ということでした。風船おじさんは120mまで上昇して一旦地上に降りています。

しかしそののち「行ってきます」と言って、風船おじさんはファンタジー号を係留していたロープを外しました。

この時「どこへ行くんだ」という三輪教授に「アメリカですよ」との言葉を返しています。

風船おじさんは重りの焼酎の瓶を地上に落とし、周囲の制止を振り切って飛行。琵琶湖湖畔からアメリカネバダ州サンド・マウンテンを目指しました。

高度1万メートルで40時間でサンフランシスコへつく計画だった

風船おじさんの計算では「ファンタジー号」は高度1万メートルに達すればジェット気流に乗ることができる、そして40時間でアメリカに到着するはずでした。

あまりにも無計画で素人知識な装備

冷静に考えればわかるはずですが、あまりにも無謀な計画でした。そもそも「ファンタジー号」はゴンドラに風船をつけただけで特別な機能はありません。

積載物は、酸素ボンベとマスク、1週間分の食料、緯度経度測定器、高度計、速度計、海難救助信号機、パラシュート、レーダー反射板、携帯電話、地図、成層圏の零下60度以下の気温に耐える為の防寒服、ヘルメットに紫外線防止サングラス等であった。

(引用:Wikipedia)

また、装備も到底アメリカまで持つようなものではありませんでした。食料はスナック菓子のみで無線機もなかったのです。

出発時の防寒具は、スキーウェアと毛布で、無線免許は持っていなかったため、無線機は積まれていなかった。搭載していた高度計についても、使い方を理解していなかったという。食糧については、鈴木は絶食の訓練をしていたと称しており、スナック菓子のみだった。さらにテレビカメラと無線緊急発信装置も搭載されていた。

(引用:Wikipedia)

翌日は携帯電話で連絡があった

風船おじさんは飛び立った翌日、家族に連絡をしています。翌朝6時に「スバラシイ朝焼けだ! きれいだよ」と妻に伝えているのです。

「行けるところまで行くから心配しないでネ!」と風船おじさんは話します。けれどそれが最後の電話となってしまいました。

25日午前8時35分、海上保安庁の捜索機がゴンドラを確認したのが最後

25日午前8時35分、海上保安庁の捜索機「ファルコン900」が彼の生存を確認しています。「おおたか」は前日の救難信号を受けて発進しました。

捜索機「ファルコン900」は風船おじさんを発見します。けれど風船おじさんは立ったり座ったり手を振ったり、ゴンドラから荷物を次々に投げ落として高度を上げるなどしたそうです。

そのため「飛行意志あり」と見なされました。捜索機「ファルコン900」は3時間監視したのち帰還しています。

12月2日、家族から捜索願が出される

12月2日、家族から海上保安庁に捜索願いが出されました。ファンタジー号が到着する可能性のあるアメリカとカナダとロシアに救難要請を出したのです。

鈴木嘉和が乗ったファンタジー号はどんなもの?

風船おじさんの乗った「ファンタジー号」は直径6mのビニール風船を6個、直径3mの風船を20個装備したものでした。

ゴンドラは約2m四方、深さ約1m、海上に着水した時の事を考慮し浮力の高い檜を使用してつくられていました。

ゴンドラ製作を依頼したのは桶職人です。桶造りでは東京江戸川区の名人と言われる人物に依頼しました。ですが彼は飛行船のゴンドラは専門外です。

風船のガス抜けていつか浮力が落ちていくため、風船おじさんは飛行時に徐々に捨て機体の浮上を安定させる重り、バラストを用意していました。

重りの中身は厳寒でも凍らない焼酎です。ですが琵琶湖畔から出発する時「ファンタジー号」は浮力不足だったため、その際に200本全てが下ろされました。

当時のマスコミの反応とは

MikesPhotos / Pixabay

マスコミは、風船おじさんが不時着した時点で距離を置くようになったそうです。平成4年11月の試験飛行の際は、フジテレビのスタッフが現場にいたと言います。

ファンタジー号が出発した後、民放のワイドショーでは風船おじさんのことが連日報道されました。しかし、12月以降はオーストラリアにて新婚旅行中の日本人の花嫁がした事件などでマスコミの関心が薄れます。

週刊文春が風船おじさんに密着し、出発した時の映像を撮っていたフジテレビが風船おじさんを煽ったと取り上げました。フジテレビは、風船おじさんが飛行してしまうと知らなかったと話しています。

風船おじさんは今現在も生きている?最後の姿とは?

風船おじさんはアメリカを目指して飛行したのち行方不明となっており現在でも見つかっていません。

そのため現在生きているのか死んでいるのか、最後はどうなったのかなど様々な考察がされています。

風船おじさんのが最後どうなったのか、諸説ありますが今は生存しているという説よりも死んでいるだろうという予想が多いように見受けられます。

専門家によると、ファンタジー号でアメリカ到着は不可能

専門家の見解は「ファンタジー号」でアメリカ到着は不可能だというものでした。無謀な計画だというのは専門家でなくてもわかるものです。

当時の気象大学校の教頭である池田学は『朝日新聞』の取材に対し、「生存は難しいだろう」と答えている。ファンタジー号のビニール風船の素材が塩化ビニールならば、1日に約10%の割合でガスが抜け、 海に着水している可能性が指摘されている。

(引用:Wikipedia)

風船おじさんの飛行について、専門家の多くは風船でアメリカに行けるわけがないという意見です。

現在の風船おじさんへ迫る考察①:風船おじさんは着水した?

風船おじさんの現在、真相に迫る考察の一つとして着水したのではないかという説があります。

専門家によると海上保安庁の最終確認から早くて3日、最長1週間で高度はゼロになるそうです。風船おじさんが25日にいた場所は北緯約40度・東経153度地点でした。

そこを吹いた風の向きや気圧などさまざまな条件を考慮すると、風船おじさんは目指す東の方角からやや北に流され始めただろうと言われています。

そして千島列島の島々と平行するように飛んでいったのではないかと予想されています。つまり北東の方角に飛行したということです

仮に最長と言われている1週間を飛行したとするとロシアのカムチャッカ半島周辺まで飛行できたことになります。

陸地には届いておらず、ベーリング海手前の太平洋上ということになるのです。トラブルがなければ着水していた、ということになるのでしょう。

現在の風船おじさんへ迫る考察②:潮に流されて日本に帰ってきた?

無事に着水、ゴンドラがちゃんと浮いたとしたら潮に流される旅となります。

海洋学の専門家によるとこの地点で着水すれば東北の三陸海岸、場合によっては千葉の九十九里海岸まで戻されている可能性があるそうです。

要するにアメリカを目指したものの、日本に帰ってきている可能性もあるということなのです。

もし帰ってきているなら家に戻ってもいいようなものですが、今も風船おじさんは見つかっていません。最後どうなったのか、真相もわかっていません。

日本に無事帰ってきているとするのならこの点が不可解です。生存しておらず、死亡して潮に流されて帰ってきたとするのなら今風船おじさんが見つかっていないことと辻褄が合います。

現在の風船おじさんへ迫る考察③:風船おじさんがアラスカで死亡説はデマ?

風船おじさんのその後の真相に迫る噂が流れたことがありました。アラスカで風船おじさんの遺体が発見されたというものです。

一時期この風船おじさんがアラスカで亡くなっている説が広まりました。しかしこの話はデマだったそうです。

現在の風船おじさんへ迫る考察④:風船が割れて落下死・凍死と見られる

風船おじさんその後の考察の一つとして風船が割れて落下死、凍死したという説があります。

マイナス数十度の上空で凍結。風船が割れて落下し、地面か海面に衝突したのではないかという説です。風船は脆いものですしその可能性はあるでしょう。

そもそも風船での飛行は想像している以上に難しく、危険なものです。簡単にコントロールできず怪我をする恐れもあります。

もしなんらかのトラブルは起きて、対応できなかったあるいは対応を間違ってしまったなら大事故になりかねません。

加えて風船おじさんの当時の装備とゴンドラの機能面を考えると、小さなトラブルでも対処しきれなかった可能性があります。

風船が割れて落下死、凍死はもちろん、その他なんらかの事故によって死亡した可能性は十分あるでしょう。

現在の風船おじさんへ迫る考察⑤:風船おじさんの最後は?遺留品は見つからず

失踪した風船おじさんと「ファンタジー号」の遺留品は見つかっていません。

風船おじさんと「ファンタジー号」の捜索を試みた方がいましたが、「ファンタジー号」と思われる物すら見つからなかったのです。

ですので風船おじさんが生存しているのか死亡しているのか、どこにいるのか亡くなったとしたらどの地点でどんな理由だったのかなど真実は明らかになっていません。

現段階では、風船おじさんは最後亡くなっただろうという説とどこかで生きているのだろうという説、両方可能性があるということになります。

NEXT:現在の風船おじさんへ迫る考察⑥:風船おじさんの生存確率は極めて低い?
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