石井久子と子供の現在!木田裕貴子などその他【麻原彰晃の愛人】 雑学・ライフスタイル

石井久子と子供の現在!木田裕貴子などその他【麻原彰晃の愛人】

1995年に起きた地下鉄サリン事件の首謀者麻原彰晃は、その教団の中に多数の美人愛人を抱えていました。今回は麻原の子供を産み女帝とも言われた石井久子を始め、飯田エリ子や木田裕貴子などの経歴や教団内での役割、教団崩壊のその後や現在の様子についてもまとめました。

石井久子とは(画像あり)

オウム真理教の教祖麻原彰晃には木田裕貴子や飯田エリ子など多くの愛人がいましたがその中で最大の寵愛を受け、教団内で絶大な権力を誇ったのが石井久子です。

オウム真理教の前身団体である麻原彰晃のヨガ教室に顔を出していた人物で、オウム真理教が巨大化していく状況に密接に関わった存在だとされています。まずは石井久子について詳しく解説します。

オウム真理教・麻原彰晃(松本智津夫)の寵愛が最も厚かった美人な愛人

石井久子は大変な美人であり、オウム真理教の教祖麻原彰晃に絶大な寵愛を受け、教団内での権力は麻原の正妻松本知子を凌ぐと言われ「女帝」とも言われていました。

石井久子は大変美人であったためか麻原からの寵愛が最も厚かったと言われており、その事で正妻松本知子との間によく喧嘩が見られたとの話もある様です。

また、教団の宣伝塔を自ら買って出るなど、自分が美人である事を意識して行動していた節があります。1990年には衆議院議員選挙に出馬していますが、落選しています。

省庁制採用後の大蔵大臣、オウム真理教のNo.2

石井久子の教団内での管理番号は「00001」で初期の段階のオウム真理教へ入信、早い段階でオウム真理教内で高い階級である「正大師」となっています。美人である事を活かして教団の広告塔ともなっています。

オウム真理教が官庁制を導入すると教団の資金を管理する「大蔵大臣」に就任し、教団内の資金管理をするという事実上のオウム真理教No.2の立場となっています。

ちなみに、麻原の正妻である松本知子は株式会社オウムという出版を受け持つ部署の社長に任命されていましたが、事実上の立場は石井久子の方が上でした。この事で麻原と松本知子はよく喧嘩していた様です。

石井久子の生い立ちと経歴

石井久子はオウム真理教に関わる前は美人な上に非常に優秀な女性で、文武両道に優れ大学進学を希望する才女でした。しかし、女性であるという事を理由に両親に大学進学を反対されます。

仕方なく短大へと進学し、卒業後保険会社へと就職しますが、この頃にはこの現実にやり切れなさを感じていたのでしょうか、同僚で後にオウム幹部となる飯田エリ子に誘われ麻原のヨガ教室に顔を出す様になります。

石井久子は麻原彰晃との間に三人の子供をもうけ、うち2人は双子

麻原のヨガ教室がオウム真理教としての形を取り始めると、石井久子は早い段階で入信、会社を辞め離婚し子供1人を連れ出家、後に麻原の愛人となり、3人の子供をもうけています。

石井久子が麻原の子供を出産したのは1993年と1995年、最初の2人は双子でした。2018年現在は25歳と23歳になっているはずです。その他にも子供1人を死産しています。

3人の子供が麻原彰晃の子供であることは隠されていた

石井久子の3人の子供達は、教団内では麻原彰晃の子供である事を隠されていたそうです。その理由を麻原の正妻である松本知子への配慮や他の信者達を納得させるのが難しかった為と後の法廷で説明しています。

正妻である松本知子への配慮と言ってはいますが松本知子は麻原と石井久子の間に子供がいる事を知っており、この件で麻原の事を殴りつけたり、包丁を振り回して暴れたりしていた様です。

この件からしても、石井久子が松本知子への遠慮をしていたとは考えづらく、事実上自分が教団で二番目に権力を持った存在である事を自覚して行動していた可能性が高いのではないでしょうか?

石井久子と子供の現在

このようにオウム真理教内で絶大な権勢を誇っていた女帝石井久子でしたが、1995年のオウム真理教崩壊以降から現在にかけてはどのように行動していたのでしょうか?

石井久子も地下鉄サリン事件に関わる容疑で、逮捕される事になるのですが、そんな中で、麻原彰晃との間にできた3人の子供達を守るための行動をすぐさま起こしています。

また現在の様子については、懲役を経てオウム真理教への信仰を捨てた事を明言してからは一般の仕事について普通に生活しているとの情報もあります。それらの点についても順番に見ていきましょう。

麻原彰晃の逮捕後、石井久子は3人の子供を私生児として届け出た

1995年の麻原彰晃逮捕後、石井久子は3人の子供達を私生児として届け出ています。これは子供達の事を守るための行動だとされています。この子供達の現在については詳しいことはわかっていません。

1995年9月、自身の逮捕翌日に教団幹部の鎌田紳一郎と獄中結婚

1995年9月6日、信者に逃走資金を提供したとして犯人隠避容疑で逮捕されます。その翌日、獄中にて教団幹部鎌田紳一郎と結婚しています。これは子供達の保護者不在を避けるためだとされています。

2000年11月に出所、オウムを信仰していないと記者会見で発表

石井久子は法廷後4年の実刑判決を受けています。2000年11月18日に出所し、その時の会見にてオウム真理教への信仰を捨てた事を改めて発表しています。この時は憔悴した様子で目も虚ろといった印象でした。

現在は訪問介護の仕事をしながら父親と2人暮らし

2011年時の公安関係者からの情報によれば、石井久子は父親と2人暮らしをしており、訪問介護の仕事をしているとのことでした。それからさらに7年が経ちますが、2018年現在の暮らしは不明です。

2002年頃、精神を病んでおりアレフの本部に現れた

石井久子は出所後に一時精神を止んだ様で、オウム真理教崩壊後に幹部だった上祐史浩が元信者達をまとめて立ち上げた組織アレフの南烏山の本部に2002年頃、現れ訳の分からない事を叫び警察に連行されています。

「石井さんが出所した後、02年頃のことです。彼女は突如、南烏山のアレフの本部に現われて、『マイトレーヤ(上祐のホーリーネーム)はどこ、金庫はどこ?』など訳のわからないことを叫びながらマンション中の部屋を覗き回った。あまりの狂乱にみんな唖然として見ていた。警察が来て彼女を連れて行きました。一時、精神を病んでしまったようです」

(引用:デイリー新潮)

2007年、元幹部が「ひかりの輪」を立ち上げた際の誘いを断る

これも公安関係者からの情報で、2007年、オウムの元最高幹部である上祐史浩が元信者達と「ひかりの輪」という団体を立ち上げた時「一緒に来ないか」と誘われますが、石井久子はあっさりと断ったそうです。

子供は現在25歳と23歳、石井久子と同居はしていない

石井久子の3人の子供達は2018年現在25歳と23歳になっているはずです。現在は石井久子とは同居していない様で、それぞれに生活している様です。しかし、子供達の現在の行方については何もわかっていません。

子供の義理の父、石井紳一郎は1999年にオウム真理教を脱会

石井久子と結婚し、子供達の義理の父となった石井紳一郎については、1999年12月にオウム真理教を脱会している様です。その後、現在の様子については不明ですが普通に生活していると思われます。

石井久子の他の麻原彰晃の愛人の現在は?

麻原彰晃には石井久子以外にも美人な愛人がいました。教団全体で麻原と男女関係があった女性信者は一説には100人以上いるとされますが、その中でも美人であるとされる木田裕貴子と飯田エリ子について解説します。

麻原彰晃のその他の愛人①木田裕貴子

麻原の美人愛人達の1人木田裕貴子は1995年時に18歳という事で、かなり若くしてオウム真理教へ入信しています。美人愛人の1人であり教団内での地位も若いながらに高く、大師である正悟師の地位にありました。

1995年、18歳の時に麻原彰晃の子供を出産

木田裕貴子は10代でオウム真理教へ入信して麻原の美人愛人の1人となり、1995年秋、18歳の頃に麻原彰晃の子供(娘)を出産しています。木田裕貴子は現在41歳、木田裕貴子の娘は23歳になっています。

2011年当時、実母と娘の3人で群馬県に住んでいた

2011年時点の情報によれば、当時木田裕貴子は木田裕貴子の母親と木田裕貴子の娘の3人で群馬県内の地方都市で暮らしていたそうです。現在については不明です。

近所の人の話として、木田裕貴子が幹部であった事は知られており、木田裕貴子の母親は孫(木田裕貴子と麻原彰晃の娘)が乗馬クラブへ通っていると自慢していたとの事でした。

自慢というのがなんとなく違和感がありますが、当時10代だった木田裕貴子は被害者という意識が強いのかも知れません。実際木田裕貴子は罪を犯しておらず、逮捕もされていません。

「あの一家がここに引っ越してきたのは10年程前。当時、警察が来たから、あの子がオウムだったことは知ってるよ。お祖母ちゃんが孫を乗馬クラブに通わせていると自慢していましたよ」(近所の住人)

(引用:週刊新潮)

麻原彰晃のその他の愛人②飯田エリ子

石井久子のオウム入信のきっかけになったとも言える飯田エリ子はも麻原の美人愛人の1人でした。教団内では「正悟師」の地位で石井の「正大師」に次ぐ高い地位でした。

また東日本のオウム真理教信者を統括する「東信徒庁長官」の地位にもついていました。サリン事件後に犯人隠避罪で逮捕、懲役6年6ヶ月の実刑判決を受けています。

2002年に出所していますが、その数ヶ月前に脳出血で倒れ、現在も右半身に麻痺が残っているという事でした。飯田エリ子と麻原彰晃との間に子供はいません。

飯田エリ子の生い立ちと経歴

飯田エリ子は1961年1月18日生まれで2018年現在57歳となっています。神奈川県横浜市の出身で、短期大学を卒業後デパートの店員を経て、石井久子と同じ保険会社へと入社しています。

飯田エリ子は、1984年に健康のために、オウムの前進であった麻原のヨガ教室へと通い始めています。その後、オウム神仙の会が発足すると入会しています。その後、石井久子を誘って出家しています。

その後、飯田エリ子は信者を集める役割を担っていたようです。お布施を集める能力にも長けており、1ヶ月で2億もの金を集めたとされています。この様に、飯田エリ子は教団内で重要な役割を果たす人物でした。

2002年8月に出所、数カ月前に脳出血で倒れていた

飯田エリ子は犯人隠避罪での逮捕後、裁判で6年6ヶ月の判決を受け、懲役を終えて2002年8月に出所しますが、出所の数ヶ月前に脳出血で倒れたとされています。

この時に元信者の宗形真紀子が見舞いに訪れようとしたそうですが、警察関係者が「行ったところで、あなただと分からないレベルになっている」と言われたのだそうです。

「私は飯田さんとオウム時代、信徒を獲得する同じ部署にいました。その関係で警察の方から彼女が獄中で倒れ、脳障害を負ったことを聞かされました。その時、私はお見舞いに行こうとしたものの、警察の人から“(見舞いに)行ったところで、あなただと分からないレベルになっている”と言われました」

(引用:週刊新潮)

現在は都内の実家で生活、右半身の麻痺がある

飯田エリ子は現在都内の実家で暮らしているとの事でしたが、前述の脳出血が原因で右半身の麻痺が出ているそうです。出所後も思うように回復していなかったとの事でした。

その後、自宅と病院をリハビリで往復する生活を送っていたようです。2018年現在、飯田エリ子は57歳となっているはずですが、その後どのように生活しているのかは不明でした。

麻原の正妻松本知子は石井久子以外の愛人を知らなかった

麻原彰晃には多くの美人愛人がいましたが、正妻松本知子は石井久子とその3人子供の事は知っていましたが、それ以外の飯田エリ子や木田裕貴子、その子供などについて何も知らなかったのだそうです。

また、オウム事件の捜査に深く関わった、警察関係者の話によると当時、松本知子は麻原彰晃と別居しており、愛人の事や教団の犯罪面については何も知らなかったのだそうです。

正妻松本知子は、オウム真理教内で最高幹部として活動していましたが、地下鉄サリン事件についても何も知らされておらず、麻原の妻であるとはいえ高慢なところのない女性だったと警察関係者が印象を語っています。

世紀の犯罪集団であった、オウム真理教でしたが、正妻松本知子はじめ犯罪的な行動について何も知らされていない人間も多数いたようです。純粋な信仰心だけで集団内に止まっていた人達も多数いたのです。

この人達は犯行に加わっていないとはいえ、オウムに関わった以上周囲からは恐怖の対象として見られ、今後普通に生活して行く事は不可能でしょう。実際に元オウム信者達を追い出すような運動も起きています。

こういった理由で元信者の多数が行き場をなくしており、現在も集まって集団生活を続けている人も多くいるようです。この事から考えても麻原らが犯した罪は非常に重いと感じます。

麻原の美人愛人たちのこれからは?

今回は、麻原彰晃の美人愛人達についてまとめました。麻原の愛人となった信者は今回紹介した以外にも多数存在していますが、それぞれが現在もサリン事件を引きづりながら生きていると思われます。

麻原彰晃という狂った思想の持ち主に心酔し、その愛人となった事の報いといえば当然という考え方もできますが、狂った集団の中で洗脳されてしまい、この様な形になってしまった事は少なからず同情を感じます。

実際に犯罪に関与した人間は因果応報ともいえますが、そうでない人間も多数いる事から、愛人となった人達含めそういった人間はこれから静かに暮らしていって欲しいと思います。

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