新潟少女監禁事件・佐藤宣行と佐野房子の現在は?結婚の噂も

両手両足を縛り付け自宅へ連れていく

佐野房子ちゃんをトランクに閉じ込め、一旦は車を発車させた佐藤宣行。しかし「暴れたらまずい」と考えなおし、車を止めて佐野房子ちゃんの両手両足を粘着テープで縛りつけます。

「風景を見せると監禁場所がバレる」と目隠しもつけさせました。その際、佐野房子ちゃんが「家に帰りたい。父や母に会いたい。帰れる?」と聞きましたが、答えは「俺と一緒に暮らすからダメだ」というものでした。

自宅に到着するも、母屋の表玄関ではなく自室前にある入り口に車をつけます。そこから少女を部屋に運び入れました。その後、わざわざ車を表玄関にまわし「今一人で帰ってきた風」を装い帰宅しています。

全ては同居する母親に佐野房子ちゃんの存在がバレないようにする為でした。予定通り母親は気づかず、佐藤宣行の計画どおりに事は運んでいきました。

部屋から出られないと脅迫的な言葉を浴びせる

佐藤宣行は「俺の言うことを聞かないなら、お前なんかいらない(殺す)」というような脅迫的な言葉を、佐野房子ちゃんに日々浴びせていました。彼女から逃げ出す気力を失わせるのが目的だったのです。

同日母親が駐在所に捜索願を出す

1990年11月13日、夜になっても帰宅しない佐野房子ちゃんを心配した母親が、駐在所に捜索願を出しました。警察官や学校関係者200人以上が捜索に当たりましたが、手掛かりすら掴めませんでした。

日が経つにつれ、自動車による連れ去りの可能性が高まり、佐野房子ちゃんの発見は難しいという見方が大半となっていきました。捜索隊の中では、諦めムードも漂っていたそうです。

北朝鮮工作員に拉致されたとの見方も出ていた

佐野房子ちゃん失踪について、「北朝鮮工作員による拉致」の可能性も指摘されていました。横田めぐみさんが失踪した状況と似ていたからです。

夕方の自宅近辺、一人で帰宅中の少女であったことなどが共通点としてあげられていました。当時は北朝鮮工作員による拉致が周知され始めた時期でもあったため、話題となったようです。

12月25日には捜査が打ち切られる

ヘリによる上空からの捜索や、夜間検問、2万枚以上の捜索ビラの配布などあらゆる手を尽くしたものの、佐野房子ちゃんの行方は掴めませんでした。

少しずつ人員も縮小されていき、失踪から1ヶ月以上が経過した12月25日、捜査は打ち切りとなってしまいました。

その後も毎年11月13日、佐野房子の失踪日に捜索のビラを配る活動は続けられたものの、手掛かりすらない状況に変わりはありませんでした。

脱出意思を喪失させ暴行を加える

佐藤宣行は佐野房子ちゃんの逃走の意思を奪うため、暴言や暴行をはたらいていました。「絶対に逃げられないぞ。俺の言うことを聞いていろ」と言いながら佐野房子ちゃんの顔面を数十回にわたって殴り続けました。

何か気に入らないことがあれば、佐野房子ちゃんの腹部にナイフをつきつけ「刺すぞ、殺してやろうか」と脅迫する。さらに佐藤宣行が就寝・外出する際には、佐野房子ちゃんの身体を拘束していました。

最初の数ヶ月は両手両足を縛り上げており、後には両足だけ縛るようになりました。これだけでも佐野房子ちゃんの逃走する意思を奪うのに十分なのですが、佐藤宣行はさらに様々な約束事を強要します。

大声を出さないこと、家の構造を知られないため、男が部屋を出入りする際には顔を隠したり毛布に潜ったりすること、自室のセミダブルベッドから許可なく降りないこと、暴れないことなどを命令し、これを破った際には暴行を加えた(引用:Wikipedia)

この他にも佐藤宣行のことを「おじさん」と呼んだだけで、容赦なく殴打されました。繰り返される暴力や暴言によって、佐野房子ちゃんは逃走する意思は消えていきます。

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