神戸連続児童殺傷事件と酒鬼薔薇聖斗(少年A)のその後・現在まとめ 社会

神戸連続児童殺傷事件と酒鬼薔薇聖斗(少年A)のその後・現在まとめ

1997年に当時14歳の少年が2人の小学生を殺害、遺体の頭部を学校正門前に晒すという猟奇的な内容で現在も人々の記憶に刻まれる神戸連続児童殺傷事件。「酒鬼薔薇聖斗」と名乗り警察を挑発、社会を震撼させ、現在は社会復帰しているとの噂もある少年Aについてまとめます。

目次

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神戸連続児童殺傷事件の概要

神戸連続児童殺傷事件は、1997年に兵庫県神戸市で発生した事件です。犯人はその後少年Aと呼ばれる事になる当時14歳の中学生の少年でした。少年は2人の小学生を殺害、3人の小学生に重軽傷を負わせました。

犯人(以下少年A)は殺害した小学5年生の男子の頭部を、警察を挑発する内容の犯行声明文を記した一枚の紙とともに自身が通っていた中学校の校門の前に置いています。

この犯行声明文の末尾には「学校殺死の酒鬼薔薇」と記されていました。これは少年Aが名乗った仮名でしたが、当初はそうとはとらえられず、何らかの暗号ではないかと報じられていました。

神戸連続児童殺傷事件が日本中で騒ぎとなった5月27日から11日後、6月28日に警察により取り調べを受けた少年Aが犯行を自供、逮捕され、犯人が予想されていた30代ではなく普通の中学生であった事が発覚。

これによって世間はさらなる衝撃を受ける事となり、犯人が未成年であった事から名前は公表されず「少年A」と呼称される事になります。現在でもこの「少年A」は少年犯罪者の代名詞ともなっています。

その後、メディアにより酒鬼薔薇聖斗こと少年Aの様々な奇行が明らかにされ、少年の闇の深さや異常性がさらに社会に大きなトラウマを残す事になりました。2015年には少年が手記を発表、物議を醸しています。

1997年2月10日の事件:小学生女児2人に対して傷害

少年Aによる神戸連続児童殺傷事件は、騒ぎとなる前、1997年2月10日に始まっていました。その日の午後4時頃、酒鬼薔薇聖斗こと少年Aは神戸市の路上で、小学生女児2人をゴム製のハンマーで殴打しています。

これによって一人が重傷を負っています。被害者の父親が犯人がブレザーを着て学生鞄を持っていたとして近隣の中学生の生徒ではないか?と指摘し、近隣の中学校に生徒の写真の開示を要求しています。

しかし、学校側は警察を通して欲しいとして開示を拒否、兵庫県警に被害届を提出した上で再度要求したものの結局拒否されています。この件がその後の事件発生後に学校への批判につながっています。

3月16日の事件:別の小学生女児2人を襲い、傷害致死

神戸連続児童殺傷事件を起こした酒鬼薔薇聖斗こと少年Aの犯行はさらにエスカレートしていきます。3月16日には、小学四年生女児を金槌で殴打して逃走しています。女児はその後、病院に運ばれますが脳挫傷で死亡。

さらに、そのわずか10分後、別の小学三年生女児の腹部をすれ違いざまにナイフで刺し、重傷を負わせています。この女児の命は助かりましたが、あと少し傷が深ければ、静脈に達して死亡していたそうです。

この時の被害女児は現在でも、正面から男性が来ると恐怖を感じるし、刃物を見ることもできないと言います。少年Aの行為は深い傷となって被害者を苦しめ続けているのです。

5月24日 昼過ぎ 小学5年生男児を絞殺

5月24日、昼過ぎに自転車で家を出た酒鬼薔薇聖斗こと少年Aは、人を殺したいという欲望を抑えきれず、殺すのに適当な人物を探して自宅周辺の町内をブラブラと走り回っていたそうです。

その後、一人で歩いてくる男児を偶然発見、この男児は少年Aとは以前から顔見知りであり、過去には少年Aの一番下の弟と同級生であった事から少年Aの自宅に遊びに来たこともあったそうです。

酒鬼薔薇聖斗こと少年Aはこの男児ならば、自分よりも小さいので殺せると考え、以前少年Aの自宅で飼っていた亀に男児が興味を示した事を思い出し、向こうの山に亀がいたから見に行こうと誘い出しています。

近所の「タンク山」と呼ばれている小山に男児を連れていき、山頂付近のアンテナ施設入口付近にて男児を殺害しています。当初は手で扼殺しようとして手袋をはめて首を絞めていますが上手くいかなかった様です。

その後、最終的には自身の靴紐を使って絞殺しています。遺体をこの場に放置すればすぐに発見されると考えた酒鬼薔薇聖斗こと少年Aはフェンスに囲まれたアンテナ施設の床下に遺体を隠そうと考えます。

入口には南京錠がかかっていた為、付近の店舗で糸ノコと代わりに取り付ける南京錠を万引きして入手しています。その後計画通りに南京錠を破壊して施設の床下に男児の遺体を隠し、南京錠も取り替えた後帰宅します。

5月25日 遺棄現場に戻り男児の首を切断

酒鬼薔薇聖斗こと少年Aは、男児を殺害したその日の夜、人間の首を切断してみたい、切断面をよく見てみたいなどという強い衝動にかられ、もう一度現場に戻り首を切断しようと思い立ちます。

翌日5月25日の午後1時から午後3時の間、男児の遺体から首を切断する目的で家を出ています。この時男児の首を入れるための黒いビニール袋と少年Aが龍馬の刀と呼んでいた鞘付きの小刀を持って出かけています。

酒鬼薔薇聖斗、少年Aは自転車で現場へ戻り、男児の遺体をアンテナ施設床下から胸上の部分だけを引っ張り出し、現場付近に隠していた糸ノコで首を切断します。この時に少年Aは射精したとその後、供述しています。

酒鬼薔薇聖斗こと少年Aは、その時、少年の血を飲むなどのおぞましい行動を取っています。その後、首を人目につかない場所でじっくりと観察したいと思い、ビニール袋に頭部を入れて付近の入角ノ池まで移動します。

この頃には男児に捜索願が出されており、周囲には男児を捜索する大人達が大勢いたのを少年Aは目撃したと後に供述、捜索中の警官とみられる数人の男性と遭遇して言葉を交わしている様です。

入角ノ池に着いた少年は淵までおり、そこでビニール袋のくちを開けて少年の頭部を2、3分観察し、付近の木の根元の穴に隠したと、後に供述しています。

5月26日 首を家に持ち帰り、中学校前に置くことを計画

その後、酒鬼薔薇聖斗こと少年Aは家に帰宅しますが、再度首を鑑賞したい気持ちになり、翌日の5月26日に再び入角ノ池へと向かいます。穴から取り出し5、6分観察したのち、男児の頭部を自宅へと持ち帰ります。

帰宅後、酒鬼薔薇聖斗こと少年Aは、男児の頭部をタライとホースを使って風呂場で丁寧に洗っています。この時には中学校前に頭部を置く計画を思いついており、その前に綺麗にしたかったと供述しています。

酒鬼薔薇聖斗こと少年Aは、男児の頭部を中学校の前へ置いた理由として、あえて自分の通う学校付近に遺体を置く事で、自分への疑いを遠ざけようと考えたと供述しています。

これは、まさか自分が通う学校の前に、殺した人間を置く犯人がいるわけがないと警察は考えるだろうと考えた為としています。さらに捜査を撹乱するために偽りの犯人像を表現するために一緒に手紙を置く事を考えます。

少年Aは自宅で、男児の頭部に添える手紙の文面を考えています。所持していた漫画などから一部単語などを引用しつつ、その日の夜に文章を作成しています。文章の内容は以下の通りでした。

さあゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを

SHOOL KILL

学校殺死の酒鬼薔薇聖斗

(引用:Wikipedia)

5月27日未明  頭部を校門前に遺棄

翌日の未明、酒鬼薔薇聖斗こと少年Aは、手紙と男児の頭部を持って自宅を出て中学校へと向かいます。少年Aの供述によれば午前1時から3時の間であったとの事で、向かう際には誰とも会っていないとの事でした。

少年Aは男児の頭部を入れたカバンを自転車の前かごに入れて中学校へと向かい、正門の前の地面に男児の頭部を遺棄しています。この際も、手紙を男児の口に咥えさせるという異常極まりない置き方をしています。

少年Aは正門前に男児の頭部が置かれている光景を5分から6分眺めていたといい「地面から頭が生えている様な不思議な光景」と思い、それを眺めていると性的に興奮し何度も射精したと供述しています。

6月2日 捜査撹乱の目的で神戸新聞社宛てて手紙を執筆、発送

神戸連続児童殺傷事件はこの様な酒鬼薔薇聖斗こと少年Aのあまりに異常な行動から、現在でも多くの人間にトラウマ的記憶を残しています。男児の頭部と手紙が発見され騒ぎとなった後も少年Aは異常な行動を取ります。

遺体発見から5日が経過し神戸連続児童殺傷事件の報道が過熱する中、少年Aは、捜査撹乱を目的に神戸新聞社に犯行声明文とも言える手紙を送付しています。その冒頭は自分の名前を読み間違えた事への抗議でした。

報道人がボクの名を読み違えて「鬼薔薇」(オニバラ)と言っているのを聞いた
人の名を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である。
(中略)
ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。

(引用:Wikipedia)

続けて、自分が何故、犯行をわざわざ誇示したのかを説明し、自分の趣味は殺人であると宣言します。1200文字にわたるその文面は黒と赤のペンで紙にびっしりと書かれ、異常性が際立った印象を与えました。

(中略)
しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性さがとしか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。

(引用:Wikipedia)

そして、手紙の最後には警察を挑発する様な内容やさらなる犯行を予告するような文面が続けられており、これを受けて神戸連続児童殺傷事件の報道はさらなる過熱を見せ、人々の注目を集める事になりました。

(中略)

ボクはこのゲームに命をかけている。捕まればおそらく吊るされるであろう。だから警察も命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。

(中略)

ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである。

(引用:Wikipedia)

この手紙には男児の頭部を遺棄した時に添えた手紙と同内容の文面も再び送付されており、その内容が犯人しか知り得ないものだったために手紙を送付したのが本物の犯人であると断定されました。

6月28日 警官からの取調中に犯行を自供

この時にはすでに少年Aは捜査線上に浮上しており、この手紙の筆跡の鑑定などによりほぼ犯人であると確信されていました。ただし少年Aが中学生である事から捜査は極めて慎重に行われていた様です。

捜査員が酒鬼薔薇聖斗こと少年Aの自宅を訪れたのは犯行声明が神戸新聞に送付されてから一月近くが経った6月28日の事でした。その日の早朝捜査員が少年Aの自宅を訪れ任意同行を求めます。

警察署で取り調べを受けた少年Aは当初犯行を否認しますが、捜査員が最初の犯行声明文のコピーを少年Aに見せ「筆跡が一致した」と言うと少年Aは声を上げて泣きながら犯行を自供し始めたそうです。

ここまでが世間を震撼させた神戸連続児童殺傷事件の発生から逮捕までの大まかな流れとなります。酒鬼薔薇聖斗こと少年Aは現在でも多くの人間に不気味な印象を強く抱かせる存在です。

次の段落からは、神戸連続児童殺傷事件に到るまで、また、神戸連続児童殺傷事件の最中に見せた酒鬼薔薇聖斗こと少年Aの現在までに明らかにされた異常な行動についてさらに詳しく見ていきます。

神戸連続児童殺傷事件の少年A(酒鬼薔薇聖斗)の奇行について

世間を震撼させた神戸連続児童殺傷事件から20年以上が経過した現在までで、酒鬼薔薇聖斗と名乗った犯人、少年Aによる多くの奇行がメディアにより明らかにされました。

現在でも多くの人が神戸連続児童殺傷事件が何故起きてしまったのかに不安感や興味を抱き、酒鬼薔薇聖斗こと少年Aの事件の前やその後の行動に注目しています。

犯行の11日前の5月13日にも同級生に暴力

酒鬼薔薇聖斗こと少年Aは神戸連続児童殺傷事件の最中の5月13日、小学五年男児殺害の1日前の5月13日に、同級生を公園に呼び出し拳に時計を巻きつけて殴るという暴行を加えています。

この暴行により、Aは学校を休み児童相談所へと通う事になっています。暴行理由は、この同級生が神戸連続児童殺傷事件の一連の通り魔事件は少年Aの仕業に違いないと言いふらしたためだとされています。

少年Aは学校を休みだした理由について、犯行計画を記したノートに「アングリ(聖なる儀式)を遂行する第一弾として学校を休み事にした」と奇妙な内容で書かれていました。

ナメクジや猫を殺す趣味があった

神戸連続児童殺傷事件が発生する前から少年Aには猟奇的な一面があったとされています。少年Aは小学校5年生の頃に、ナメクジやカエルなどの生物を殺害し始めたといわれています。

少年Aは神戸連続児童殺傷事件後に発表した手記「絶歌」には、当初はジャムやワンカップなどの空き瓶にナメクジを集め、それを解剖する事に夢中になっていたと書いています。

さらに「絶歌」には、最愛の祖母が可愛がっていた愛犬が死亡し、その犬が残した餌を近所の野良猫が漁るのを見て少年Aは激昂し、その猫を捕まえてカッターナイフを使い惨殺したとの話も書かれています。

神戸連続児童殺傷事件の報道が過熱し、少年Aのこれまでの奇行がメディアによって露わにされる中に、少年の住む近所では猫や動物の惨殺死体が多数発見されていたと言うものがありました。

少年Aはこの事について「絶歌」にて”次から次に近所の野良猫を捕まえては様々な方法で殺害”したと書いています。そして、その後次第に猫殺しに飽き、人間を殺害する事に強い興味を抱くようになったのだそうです。

この頃から明らかに異常な行動を少年Aはとっています。これに気付き指摘する近所の人間もいたそうですが、大きな問題とされず、少年Aの矛先は人間へと向いてしまいました。

「13日の金曜日」がお気に入りの映画

神戸連続児童殺傷事件で逮捕された少年Aについての報道はさらに過熱し、少年が「13日の金曜日」などのスプラッター映画が気に入って、友達にもその映画についてよく話していたとの内容も明かされています。

中には、ホラー映画での殺害シーンを友人に話し「スリルがあっていい、いつかやってみたい」と話したとの証言があったとの報道がなされています。

また、当時の神戸連続児童殺傷事件の報道で多くのメディアが「警察がA少年の家からホラービデオや連続殺人犯についての本を押収した」と報じられています。ただし、これは事実ではなかったそうです。

首を切断して射精

その後、少年Aは殺害した小学生男児の首を切断した際何度も性的興奮を感じて射精したと供述しています。その他にも男児の頭部を風呂場で洗った際にも性的興奮を覚えて射精しており、異常な性的嗜好がみられます。

その後の取り調べで、少年Aは、この時に抱いた気持ちとして男児の頭部を見ながら「この不可思議な映像は僕が作ったのだ」と感慨にふけり満足感を得たと言う趣旨の供述しています。

この様に、神戸連続児童殺傷事件はかつてないほどの凄惨さであるにも関わらず、その後の少年Aの取り調べに対する供述があまりにも淡々と客観的に説明する様子である事に現在でも気味の悪さを感じてしまいます。

生首が少年Aに語りかけてくる

そして、切断した後の男児の頭部についても不可思議な供述をしています。少年Aは男児の頭部が少年Aの声を借りて「よくも殺しやがって 苦しかったじゃないか」という文句を言ったと供述しています。

それに対して少年Aは「君があの時間にあそこにいたから悪いんじゃないか」と返したと言います。さらに男児の頭部が言い返してきたので、少年Aはこれは頭部にまだ魂が残っているのだろうと考えたと供述しています。

少年Aの供述によると「頭部から魂を抜き出すため」に、男児の頭部の両目をナイフで突き刺し、まぶたや口から耳までの部分を切り裂くなどのあまりにも異常な行動を取っています。

男児の血を飲む

また、「僕の血は汚れているので、純粋な子供の血を飲めば、その汚れた血が清められると思った」として男児の血を飲むというおぞましい行動もとっています。

少年Aは男児の血を飲んだ時に感じたこととして「金属を舐めている様な味がした」と表現しています。殺人の興奮を思い出す記念品として男児の舌を切り取ろうとしますが、死後硬直のために上手くいかなかった様です。

これらも全て、少年A自身が供述した事とされますが、神戸連続児童殺傷事件のおぞましさが供述の至る所に現れているにも関わらず、少年自体はとても冷静に客観的に説明していてかなり不気味な印象を受けます。

頭部を校門前に放置し射精

さらには、少年Aは男児の頭部を自身の通う中学校の正門前に置いた際にも、何度も射精したと供述しています。この時の様子もあまりにも冷静に客観的に少年Aはまるで他人事の様に語っています。

当初は門の上に置いたものの、男児の頭部が落ちたため「正門の前だと一番目につくところだし、地面なら据わりもいいだとろうと思い」正門の前の中央付近に道路側に顔を向けて置いたと冷静に説明して見せています。

そして、犯行声明文を認めた手紙を取り出し、「”酒鬼薔薇聖斗”の文字が見えるように縦に『酒』いう文字の方を口にくわえさせたのです」とその時の状況を事細かに説明しています。

サディズムと診断された

これらの行動から、少年Aは神戸連続児童殺傷事件後の精神鑑定で性的サディズム障害であるとの診断がくだり、それが殺人の原因であった事が神戸家裁の少年審判によって認定されています。

神戸連続児童殺傷事件後に少年Aは医療少年院にて、この性的サディズムの解消に向けた治療のためのプログラムを受けたとされています。その後、治療効果が確認でき、少年Aは女性に関心を抱く様になったとされます。

ただ、現在でも少年Aの性的サディズムが本当に解消されたのかと疑問を抱く人は多く、社会復帰しているとされる少年Aに恐怖心や不安感を抱く人が多くいるのも事実です。

サディズムとは

神戸連続児童殺傷事件の原因として少年Aが診断された、性的サディズムとは、本来は女性の身体的な特徴に対して起こる性的欲求が、相手に身体的、精神的な苦痛を与えることによって起こるという性的嗜好です。

少年Aの様に極端な例では性的倒錯(パラフィリア)とみなされ、性的な障害であると診断されます。この診断によって、少年Aの犯行は「快楽殺人」であったと認定されたのと同じ意味だと取ることも出来ます。

少年Aは性的な障害のためとは言え、自身の欲望のために二人の命を奪った快楽殺人者です。現在は社会復帰し、身を隠して生活していますが、そのこと自体が現在でも社会に不安感を与えています。

事件後の少年A(酒鬼薔薇聖斗)の処分について

神戸連続児童殺傷事件の、少年Aの処分は、神戸家庭裁判所により、性的倒錯の治療プログラムを受ける事が相当であると判断され、1997年10月13日に関東医療少年院へと移送されています。

1999年には、ハンマーで殴打し殺害した女児の遺族との間に8000万円の慰謝料を支払う事で示談が成立しています。2001年には治療が順調であると判断され、医療少年院から、中等少年院に移されています。

2004年に、少年院を仮退院、翌2005年には少年Aの本退院が認可され、現在は社会復帰しています。ただし、少年院でも様々な奇行があり、退院後も現在まで何度か問題行動を起こしている様です。

関東医療少年院・東北少年院で7年を過ごす

事件後、少年Aは1997年10月13日に関東医療少年院へと移され、更生プログラムを受けています。この関東医療少年院では2001年11月までの4年間を過ごしています。

2001年11月27日には治療が順調であるとの判断が下され、中等少年院である東北少年院へと移されています。その後、2005年1月1日の本退所まで、合計で約7年間を少年院で過ごしました。

疑似家族を作り治療

関東医療少年院では、主治医を父親、副主治医を母親と見立てた疑似家族を作るという、前例のない治療プログラムが組まれています。これは赤ん坊の頃から家族をもう一度やり直すという趣旨だった様です。

担当した二人の医師はかなり深い愛情を注いで少年Aに接した様ですが、果たしてこれで少年Aの異常性が本当に治療されたのでしょうか?その後発表された手記「絶歌」を読む限り、信じて良いのか疑問を抱きます。

絶歌では少年Aの自己に陶酔している様子が読み取れ、自分を賛美してほしい、愛してほしいという強い欲望が感じ取れます。この時の疑似家族の愛情だけでは足りなかったという事ではないでしょうか?

母役の女性医師に恋心を抱くように

実は、この時に母親役を務めた副主治医だった女医へ少年Aが恋心を抱いていたとの情報がある様です。仮対処した後も少年Aはこの女医の元に定期的にカウンセリングへ通っていた様です。

その時、なんと少年Aは女医に対して性的興奮を抱き、押し倒してしまうという行動を起こしています。真偽のほどは不明ですが、少年院では母親として深い愛情を注ぐ女医に心を開いたとされていただけに衝撃的です。

その後、プログラムを終了したAは04年3月に少年院を仮退院した。しかし、その後も再び事件を起こしていたのだ。

「仮退院しても保護観察中だったAは、定期的にカウンセリングに通っていた。その途中、少年院でAの母親役を務めた女医に性的興奮を抱き、押し倒してしまったのです。母子としての信頼関係が深まるにつれて、医師を母親ではなく異性と見た末に及んだ行為でした」

(引用:アサ芸プラス)

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