萩原流行死亡事故!原因の警部補量刑不当!壮絶人生な生い立ちの妻が会見で語ったこと 俳優

萩原流行死亡事故!原因の警部補量刑不当!壮絶人生な生い立ちの妻が会見で語ったこと

萩原流行さんは俳優やタレントとしてお茶の間からも愛されていた方ですが、2015年に事故により亡くなりました。その事故に関して信じられないようなこともありましたので、本記事では萩原流行さんの死亡事故について詳しく紹介していきます。

萩原流行の死亡事故の原因は?

2015年9月に俳優の萩原流行さんが死亡した交通事故が発生したとニュースが流れました。そのニュースを見た方は一瞬なにが起きたのかわかりませんでした。芸能人の事故というものは多くはないもののあります。

ニュースで芸能人の事故に関して取り上げられることはよくありますが、それはほとんどの場合が加害者である場合が多いです。被害者として、ましてはそれにより死亡したというニュースはあまり聞いたことがありません。

萩原流行の死亡事故の原因はバイクでの交通事故

萩原流行さんが死亡した事故とは交通事故ですが、一体どのような事故だったのでしょうか。交通事故は日本国内で、毎日どこかで大なり小なり起きています。中には誰かが死亡するような事故になることも少なくありません。

事故当時、萩原流行さんはバイクに乗っていたそうで萩原流行さんの乗るバイクがなんと警察の護送車に轢かれたことが原因です。護送車と接触した萩原流行さんは隣の車線に投げ出され後続の乗用車に轢かれ亡くなりました。

護送車の警部補の不注意!?

俳優の萩原流行さんが死亡した交通事故では、高井戸署の護送車を運転していた男性警部補が車線変更時に萩原流行さんのバイクを見ていたものの譲ってくれると思っていたと話していました。これは同庁交通捜査課への取材で判明しました。

容疑者を書類送検

同課は同日、男性警部補と萩原流行さんをひいた乗用車の男性会社役員を、自動車運転処罰法違反(過失致死)容疑で書類送検しました。そして同課によると警部補と男性会社役員ともに容疑を認めています。

萩原流行の死亡事故は量刑不当!?

今回の事故で東京簡裁は警視庁の護送車が転倒の原因になったとして、自動車運転処罰法違反(過失致死)罪で、運転していた高井戸署の袖崎賢訓警部補に罰金70万円の略式命令をだしました。しかしこれが不当ではないかと言われています。

また、結果的に萩原流行さんを轢いてしまった後続車両の会社員は不起訴になりました。いくらなんでもこの方が罪に問われたら不合理です。乗用車の男性会社役員に関して東京地検は、事故を避けることは困難として嫌疑不十分で不起訴処分にしました。

落ち度はない

起訴状によると、袖崎警部補は護送車を運転し、東京都杉並区内の片側3車線の青梅街道で、一番左の車線から右に車線変更した際、中央車線を走っていた萩原流行さんのバイクを転倒させ、後続の乗用車に轢かれた萩原流行さんには落ち度はないとしています。

しかしながら、東京地検によって萩原流行さんに落ち度はないと認められましたが、当時の報道では精神的に不安定だったからや服薬中だったといったような印象操作が繰り返されていました。この点においては名誉の回復はされたのかもしれません。

過失運転致死罪の量刑相場は禁錮1~3年の実刑

こんかいの事故に関して、過失とはいえ護送車をぶつけてバイク乗りを死亡させたにしては、罰金70万円というのはさすがに軽いのではないかと疑問に思っている人もいるのではないでしょうか。これには関してはどういうことなのでしょうか。

量刑に関しても相場というものがあり、過失で交通事故を起こし相手が死亡した場合、免許取り消しなどの行政処分が行われることに加え、刑事処分も出されます。罪名は過失運転致死罪となり、死亡しているのであれば示談でも略式手続きによる罰金刑で済むことはほぼありません。

起訴された場合

過失運転致死罪を犯しても、初犯でなおかつ被害者が一人であれば、多くは執行猶予付きの禁錮刑が科せられます。その場合の刑期は、おおむね1年から3年で、過失の程度や示談の成否などによって高低が決まります。

執行猶予の期間は、3年から5年の間となることが通常で、また過失の程度が大きい場合には、禁錮ではなく懲役となります。ただし、刑期や執行猶予の期間は、禁錮の場合に準じることになります。今回の件と比べてもなにかおかしいところがあります。

萩原流行の妻が会見で語った「死因不詳」

萩原流行さんの死亡事故に関して、妻であるまゆ美さんは会見を開き不信感を露わにしていました。まゆ美さんは会見で、死因が後から変更されたことを指摘し、さらに警察から情報がなにも伝わっていないことを語りました。

会見でまゆ美さんは萩原流行さんの死亡診断書を公開し、「直接死因は不詳」と書いてあることなどを明らかにしました。しかしながら当初警視庁は、「心房破裂」としていましたがその後に死因の特定に時間がかかるとして「死因不詳」に変更していると語りました。

1ヶ月前から進展がない!?

警視庁は事故当初、死因について「心房破裂」としていましたがその後、司法解剖を行った結果、死因の特定に時間がかかるとして「死因不詳」としています。また、妻であるまゆ美さんに対して警察からなにひとつ情報が伝わっていなかったようです。

事故後2日で萩原流行さんの司法解剖が行われ「死体検案書」を公開し、資料を指しながら堀内弁護士は直接死因が不詳であることはおかしいとし、まゆ美さんも警察から司法解剖の結果は半年かかると言われたと語りこれに関しても不信感を隠せませんでした。

萩原流行は2年で4度の事故を!防げなかったのか?

萩原流行さんは今回の死亡事故と合わせると、なんと2年間で4度の事故を起こしている事がわかりました。まず2013年に杉並区内で、乗用車を運転中に50代女性が乗る自転車と接触事故を起こし、軽傷を負わせています。

そして、2014年10月には同じく杉並区内で乗用車を運転中に歩行者と接触、そして2015年3月には大型バイクを運転中に杉並区の区道で転倒し、右腕を打撲するけがを負ったばかりでした。1992年からうつ病を罹患し、夫婦でうつ病を患っていたことを告白していました。

萩原流行の壮絶な生い立ちとは?

萩原流行さんの生い立ちが壮絶だとして知られていますが、どのような過去を過ごしてきたのでしょうか。家庭環境から見ていきます。萩原流行さんの父はバンドでギターを担当しており、萩原流行さんは次男として生まれ兄と母の4人家族です。

DV父だった

しかし、萩原流行さんの父というのが今でいうところのDVをする父親で、萩原流行さんが初めて父親に会ったのは小学校に入る前で、萩原流行さんの前で母を殴っていたそうです。子供時代に母親が父親に何度も殴られるのを見て育ったようです。

萩原流行に子供がいなかった理由は?

萩原流行さんあは俳優として活動し始めた頃に一家離散し、当時舞台女優だったまゆ美さんと同棲生活を始めるのですが、萩原流行さんの自由奔放な生活や自身の女優としての活動によってまゆ美さんは精神疾患を患ってしまいます。

子供を作る気がなかった

まゆ美さんはもともとパニック障害も患っていたようで、それも重なりうつ病となったようです。奥さんが精神疾患を患っていたことも影響していたのか、もともと萩原流行さんは子供を作る気がなかったようです。

萩原流行の死亡事故の原因は?まとめ

萩原流行さんの死亡事故に関しては、警察が関係しているということもありかなり不審な点も多く、日本の場合加害者が誰かによって刑期が変わったりするということもあり奥さんとしても世間としてもかなり不信感を抱く事故になりました。

そんな萩原流行さんですが、子供時代の生い立ちもかなり壮絶で実は奥さんの生い立ちも相当壮絶だったようで、夫婦でうつ病を患っていたようです。しかし、今回の事故に関しては萩原流行さんにはなにも落ち度がないと言われていました。