没後10年経っても愛され続ける坂井泉水ってどんな人?美人だったの?死因は? エンタメ

没後10年経っても愛され続ける坂井泉水ってどんな人?美人だったの?死因は?

「負けないでもう少し~♪」1度はこのフレーズを聞いた事がある人が多いのでは?この有名な「負けないで」を歌うのは坂井泉水さん。すでに故人となっていますが、坂井さんの曲は愛され続けています。そんな素晴らしい曲を歌い続けた坂井泉水さんについて今回はまとめました。

坂井泉水プロフィール

坂井泉水さんの歌う曲を知っている人は沢山いますね?しかし彼女をテレビで見たという人はあまりいないのではないでしょうか?実は坂井泉水さんはメディアへの露出を殆どしなかった芸能人として有名な人なんです。そんな坂井泉水さんとはどのような人なのでしょうか?まずはプロフィールをリサーチししてみました。
坂井泉水さんの本名は蒲池 幸子(かまち さちこ)さんといい、誕生日は1967年2月6日。家族構成は両親、弟妹の5人で出身は神奈川です。同県の秦野市立西小学校、秦野市立西中学校、神奈川県立伊志田高校を卒業。大学は松蔭女子短期大学(現松蔭大学)を卒業し、2年程は第一不動産でOL経験もあるそうです。

芸能界デビューのきっかけ

学生の頃から歌うことが好きで歌手に強い憧れを持っていた坂井泉水さんでしたがついに芸能界デビューする日が訪れます。坂井さんが芸能界デビューしたきっかけは、路上スカウトだそうです。歌手が路上スカウトされるの?と思うかも知れませんが、坂井泉水さんは最初は歌手として芸能界入りした訳ではなかったのです。
坂井泉水さんは芸能界デビュー当初キャンペーンガールなどタレントモデルとして活躍していました。芸名は本名そのままで蒲池幸子として活躍していたそうです。1989年に「東映カラオケクイーン」、その翌年にはなんとレースクイーンとして活躍していた時期もあったとのこと。坂井さんがレースクイーンなんて想像がつきませんね。

坂井泉水念願の歌手デビュー

1990年8月、所属していた事務所の代表取締役であった細野義朗氏にビーイング社長・長戸大幸氏に紹介されたことで坂井泉水さんの芸能人生に大きな変化が訪れます。歌うことを夢見て芸能界に飛び込んだ坂井泉水さんにB・Bクイーンズのバックコーラスのオーデションを受けるチャンスが巡ってきました。
結果は残念ながら落選でした。しかし社長である長戸氏にその歌唱力を認められ連続ドラマ「結婚と理想の現実」の主題歌を務める事になり、モデルではなく歌手「坂井泉水」として活動することになります。この半年後の1991年2月に数々のヒット曲を生み出した音楽ユニット「ZARD」が誕生しました。

「ZARD」の曲が時を超えて愛される理由

「ZARD」と言えば「負けないで」「揺れる想い」等20年近く経った今でも愛される名曲を生み出していますね。若い方も「運命のルーレット回して」「息もできないくらい」等アニメ主題歌ならば聞いた事あるという方も多いのではないでしょうか?良い曲は沢山ある中で「ZARD」の曲はなぜ時を経ても愛され続けるのでしょう?

愛される理由①

「ZARD」の曲が長く愛される理由として考えられるものに作詞をしていた坂井泉水さんの取り上げるテーマが常に私たちの身近な日常を取り上げていることが挙げられます。極端な例を挙げれば「アイドルとしての多忙な毎日」を応援する歌よりも「会社員としての多忙な毎日」を応援する歌の方が感情移入しやすいですよね?
テーマを選ぶ事が上手な坂井泉水さんでしたが、それを形にするのも天才的であったと言われています。「ZAED」の曲は難解な表現を使わず、日常会話をするようなシンプルな言葉が歌詞になっていますね。また伝える相手も皆ではなく常にたった1人に向けて歌われています。「負けないで」が応援ソングに選ばれる理由がわかる気がしますね。

愛される理由②

この他に挙げられるのが「ZARD」の曲は流行り言葉や英語に逃げていない事があります。無駄にカッコつけず、誰でもわかる言葉を使って表現された歌詞であるからこそ老若男女から愛される理由であり、「この言葉古いよね」と一定の時が過ぎたら伝わらないという事がないのだと思います。

坂井泉水美人伝説

坂井泉水さんと言えば飾らない服装にすっぴんに近いメイク、透明感のある美人ですね。芸能界デビューのきっかけが路上スカウト・モデル・レースクイーン経験があり、昔から容姿端麗であったようですがどんなエピソードがあるのでしょう?リサーチしてみました。

学生の頃ミスコンのグランプリに輝く

高校時代、坂井泉水さんは校内のミスコンで見事優勝を果たしています。それだけでも十分すごいのにその噂が広まった結果、なんと他校の男子生徒が坂井さんを一目見ようと覗きに来たというエピソードがあるそうです。

美人でも恋愛は苦手

ミスコンのグランプリに輝く位美人の坂井泉水さんですが、実は恋愛においては不器用であった様子。高校時代に先輩に告白して手痛くフラれて相当なショックを受けていて、「彼女をフッたなんて信じられない」と女子生徒からブーイングの嵐になった様子。恋愛には不器用でも同性の友達に慕われていたことが分かりますね。

レースクイーン時代もモテモテ

芸能界デビューしてレースクイーンをしていたこともある坂井泉水さんはやはり男性からの人気もあった様子。レースクインの同期でタレントの岡本夏生さんに「好きでもない男性に言い寄られて困っている。うまくかわすにはどうすれば良いだろう?」と相談を持ち掛けられたこともあるようです。

坂井泉水は性格美人?

「いくら美人でも性格が悪い人は嫌だ」と言われれるように人間には性格も大切なポイントですね。すっぴん美人の代表格である坂井泉水さんはどのような性格の持ち主だったのでしょう?またいくつかのエピソードをまとめてみました。

実は天然ボケ?

高校時代にミスコンで優勝した坂井泉水さんですが、友達からの評価は大人しく、ちょっと天然ボケでマイペースだそうです。大人しい子がミスコン?と思いますが、先輩にフラれてしまったエピソードなどを見ていると友達に恵まれていたようで、周りからの勧めで出場が決定したような気がしますね。また高校時代のあだ名は「サッチ」だそうです。
当時から歌うことが好きだった坂井泉水さんは大沢誉志幸の曲が好きでノートに歌詞を書き写していた模様。授業中にも書いていて見回りの先生に気づかずに教科書で頭をポカッと叩かれたという、思わずクスリとくるエピソードもあるようです。

歌に対する真摯な姿勢

大人しくマイペースと言われていた坂井泉水さんですが歌のことになると雰囲気が変わるようでした。カラオケに行って歌詞を見ずに心を込めて歌を歌い上げるなど歌っている姿は自信に満ちていて、歌手を目指す者の強い信念を感じたというエピソードがあります

美人と言われることが嫌だった坂井泉水

数々の美人武勇伝を持つ坂井泉水さんですが、本人は「美人だ」「綺麗だ」と言われることが嫌だったようです。歌番組の共演者に「綺麗な人」と言われ続けた結果テレビに出るのが嫌になったというウワサもあります。不細工と言われることの方が圧倒的に多い私からすれば贅沢な悩みのように感じてしまいますが、人の悩みはわからないものですね。
周りからの評価はザ・芸能人といったキラキラオーラではなく美人OLというような近寄りやすい雰囲気だったようです。坂井泉水さん自身もCDデビューしてから派手な衣装を着ている写真はなく、いつもTシャツにGパンという休日のOLのようなスタイルでした。派手な振舞いが嫌いだった坂井泉水さんらしいですね。

美人と言われない為にメディア出演を避けていた?

メディアへの露出を殆どしてこなかった坂井泉水さんですが、実際にテレビに出た回数はどのくらいだったのでしょう?調べてみたところなんと「負けないで」を歌う為に「ミュージックステーション」に1度しかテレビ出演をしなかったそうです。まさに伝説の歌姫という言葉がぴったりですね。
何故こんなにもメディへの露出を拒んでいたのでしょうか?理由は様々ですが、あがり症で注目されたりカメラを向けられると固まってしまい、自然体にならない事が有力な理由のようです。またレコーディングスタジオでの収録の際も歌う姿を見られないようにカーテンを引いて一人で思い切り歌うという徹底ぶりは今でも有名です。

実は電車通勤していた

芸能人ともなれば移動は専用タクシー・もしくはマネージャーの車で送迎という形が多いはずですが、坂井泉水さんはヒット曲を出した後も電車でスタジオまで通っていたそうです。しかも「ZARDの坂井泉水」とばれて騒ぎになったことは一度もなかったとのこと。これはメディアへの露出を避け続けた功名と言えるかもしれませんね。

坂井泉水の死因

1991年のデビューから多くの人々に寄り添う曲を歌い続けてきた坂井泉水さんですが2006年4月に体調がすぐれないと精密検査を受けて子宮頸がんが発見されて休業を余儀なくされます。当時39歳でした。これまでもがんが見つかる前から子宮筋腫・卵巣のう腫など婦人科系の病気で通院を繰り返していたようです。

肺への転移

子宮頸がんが見つかった2006年6月に慶應義塾大学にて手術をうけました。同年7月に無事退院。しかし病状は回復に向かっているように思えましたが、わずか1年経たずに肺への転移のが発覚。2007年4月に入院を余儀なくされます。当時40歳と若かった分病気の進行も早かったのでしょう。同年5月に帰らぬ人となります。

事件の日・・・

坂井泉水さんを死に至らしめたのはがんではありませんでした。2007年5月26日午前5時40分頃、坂井さんは慶應義塾大学の非常用スロープから3メートル下の地面に転落して頭から血を流して倒れているところを通行人に発見されます。すぐに集中治療室に運ばれ処置が行われるも、翌日5月27日午後3時10分に帰らぬ人となりました。

公開された死因

坂井泉水さんの死因は公には転落による脳挫傷とされていて、事故死として処理されたようです。しかし真相は今も明らかになっておらず、自殺、事故両論が飛び交っています。当時坂井さんはどんな状況に置かれていたか、自殺説、事故説を調べてみました。

坂井泉水の死因①自殺説

坂井泉水さんは自殺であると言われる理由にやはり病状が思わしくなかったことが挙げられます。病院関係者の多くはスロープのある非常用通路は出入禁止となっているため事故であるということは考えにくい、また当日は雨が降っており、雨の日に早朝に散歩をするのも不自然であるので自殺ではないかと言っており自殺説を捨てきれないようです。

自殺説の納得できない点

確かに普段は出入禁止の非常通路にいたことや雨の日に外にいたことは不自然ですが、雨の日でも欠かさずジョギングをする人がいるように坂井さんが雨の日に絶対に外に出ないという理由にはならないのではないか、自殺するつもりの人が3メートルという微妙な高さを果たして選ぶだろうかという2点を私は不自然に感じました。。

坂井泉水の死因②事故死説

一方で自殺ではなく事故死であるという意見も根強く残っています。これは音楽関係者の多くが唱えていて、遺書もなく身辺整理した様子もない。復帰後のツアーやアルバム作成にも意欲的だった坂井さんが自殺をするはずがない、お見舞いに行った際もエレベーターまで見送ってくれて自殺する人間がそこまでの思いやりを持てるのかという意見です。

事故死説の納得できない点

遺書がなかったこと、事件直前までの坂井さんの様子が普通であったことが挙げられますが、突発的な自殺というものも存在するのは事実です。普段は復帰に向けて努力をしていた坂井さんも「病気の進行も早く、いつ復帰できるかもわからないならば死んでしまった方が楽なのでは?」と思う可能性を捨てきれないというのが私見ですが私の意見です。
また、本人も抗がん剤の影響で髪が抜け落ちるのを気にしたり、鏡を見るとため息が出るとこぼしていたこともあるそうです。真相はわかりませんが状況の深刻さは坂井さん本人も感づいていたようです。

坂井泉水の本当の死因は?

坂井泉水さんの死因の真相は今も謎に包まれています。これは私の願望でしかありませんが、「負けないで」と多くの人を励まし続ける歌を歌う人が自殺という手段を選んだと思いたくないということ、問題のスロープは朝日が綺麗に見える場所でもあったらしく、創作のヒントを探しに行った時に起きた不幸な事故だったと私は思っていたいと思います。

坂井泉水まとめ

①坂井泉水の容姿・性格

学生の頃から美人と評判でスカウトされてモデルになるレベルであった。しかし本人は美人と言われることを嫌がりメディアへの露出は殆どなかった。性格は大人しくて天然ボケであったが、歌のことになると雰囲気が変わり、熱い一面を見せることもあった。

②坂井泉水の死因

坂井泉水さんの死因は未だ謎に包まれている。病院関係者の多くは自殺説、音楽関係者は事故死説をそれぞれ唱えているがそれぞれの説に腑に落ちない部分があり、何故坂井さんが亡くなったのかは明らかになっていない。
以上が90年代を代表する伝説の歌姫坂井泉水さんについてのまとめになります。坂井さんが亡くなって早くも10年経ちますが彼女の人気は衰えることを知りません。ファンの一人として坂井さんの冥福を祈りながら今日も「負けないで」を口ずさんで頑張っていこうと思います。最後になりましたがここまで見てくださりありがとうございました。