《低迷続きの松坂大輔、成績不振で柴田倫世と離婚!?》全盛期の怪物よ、もう一度!

2014年、日本に帰国するも低迷が続く松坂大輔さん。しかも帰国したのは松坂さん一人だけで、家族はボストンに残こしてきたそうです。夫婦関係崩壊の危機なのでしょうか!?輝かしい松坂さんの全盛期を振り返りながら、松坂さんとその家族の今に迫ります。

《松坂大輔》「平成の怪物」と呼ばれた高校時代

生年月日:1980年9月13日(37歳) 出身地:東京都江東区(生まれは青森県青森市) 身長:183㎝ 右投右打 弟の松坂恭平さんも元プロ野球選手です。「大輔」という名前は、1980年に大旋風を巻き起こした甲子園のアイドル、早稲田実業の荒木大輔の名前からとられているそうです。
5歳から小学3年生までは、地元東京都江東区の福住剣友会で剣道に打ち込んでいたそうです。小学3年生で江東区の東陽フェニックスに入部し野球を始めました。中学時代は江戸川区の江戸川南リーグ(リトルリーグ)に所属していました。(小谷野栄一選手がチームメートだったそうです)。

名門・横浜高校へ!

横浜高校時代は、「サボリのマツ」と言われるほどの練習嫌いでだったそうですが、2年生時の夏の神奈川大会準決勝の対横浜商業高校戦において自身の暴投によるサヨナラ負けを喫して以降奮起して猛練習を積み、3年生時に150km/h超の球速を出し、超高校級の投手として「平成の怪物」として注目を浴びました。
1998年の第70回選抜高等学校野球大会では完成度の高い投球と小山、後藤武敏、小池正晃らチームメイトの活躍で他校を寄せ付けず優勝します。第80回全国高等学校野球選手権大会では、PL学園高校に延長17回という長丁場の試合に250球を投げ完投勝利。翌日の準決勝、明徳義塾戦でも1イニングに登板し、逆転劇を呼び込みました。

《松坂大輔》プロ入り直後からトップギア!?

決勝の京都成章戦では嶋清一以来59年ぶり史上2人目となる決勝戦でのノーヒットノーランを達成し、圧倒的な活躍で春・夏連覇を達成しました。また、第3回AAAアジア野球選手権大会でも自身の18歳の誕生日に決勝で張誌家選手擁する野球中華民国代表を破り優勝投手になりました。

プロの世界の扉を開く!

1998年度新人選手選択会議では、指名順位1位で日本ハムファイターズ及び横浜ベイスターズ含む3球団が競合の末、西武ライオンズが交渉権を獲得します。ドラフト直後の会見では「自分の意中の球団は横浜ベイスターズでした」と語っていましたが、西武への入団を決意しました。
1999年4月7日、初先発となった東京ドームでの日本ハム戦では1回に3番・片岡篤史の打席で155km/hの速球を披露、8回2失点の好投で初勝利を記録し、まさに鮮烈なデビューを飾りました。7月24日に行われたオールスターゲーム第1戦では先発して3回を投げ、高卒新人としては史上最多となる5奪三振を記録します。

《松坂大輔》桁違いの成績!まさに全盛期!

7月には月間MVPを受賞しますが、高卒新人選手が月間MVPを受賞したのは1986年9月に受賞した清原和博以来2人目で、18歳10カ月での受賞は、2015年8月に高橋光成が18歳6カ月で受賞するまで最年少記録でした。
2000年レギュラーシーズンでは、津野浩以来15年ぶりに10代での開幕投手を務め、小野晋吾選手との最多勝争いを制して14勝を挙げ2年連続の最多勝に輝きます。同年8月にはプロアマ混成のシドニーオリンピック野球日本代表に選ばれ、9月17日のアメリカ合衆国戦に先発出場しました。

オリンピックで感じた、世界の壁の高さ

10回2失点の好投を披露するも、チームは延長13回サヨナラ負け。中5日で先発した9月23日の韓国戦では初回から4点を失うものの、その後は立ち直り、計161球を投じて9回5失点にまとめますが、またしてもチームは延長の末に敗れます。
中3日で再び韓国と対戦した9月27日の3位決定戦では、具臺晟選手と投げ合い、0-0の投手戦が続いたが、8回裏に李承燁に痛恨のタイムリー二塁打を打たれるなどして3失点完投負け。日本は五輪野球で初めてメダルを逃す結果となってしまいました。

全盛期について詳しくはこちら>>>>>

松坂大輔の全盛期はいつ?高校時代怪物と呼ばれた男の何が凄いのかを徹底解剖!

《松坂大輔》プロ野球、そして日本代表としても活躍!

2003年に自己最多タイの16勝を挙げ、自身初めて最優秀防御率のタイトルも獲得します。アテネオリンピックの野球アジア予選では、11月6日のチャイニーズタイペイ戦に先発し、7回無失点の好投で勝利。五輪出場の条件である2位以内をほぼ決定づけ、大会の最優秀投手にも選ばれました。
2004年にはアテネオリンピック代表に選ばれ、8月17日(現地時間)のキューバ戦に先発します。9回に3点を失ったものの、石井弘寿投手のリリーフで逃げ切り、五輪での初勝利を手にしました。準決勝・オーストラリア戦では、8回途中まで1失点の好投も報われず、0-1で惜敗して金メダルの夢はついえてしまいました。

メジャーへの道が開ける!

2006年のレギュラーシーズンでは6月9日のセ・パ交流戦・阪神戦で1失点完投勝利を収め、高校時代に大活躍した甲子園でのプロ初勝利を記録し、自ら本塁打も打ちました。また、6月16日のセ・パ交流戦・横浜戦で、江川卓(所要193試合)を抜きドラフト制度導入後最速(191試合)の100勝を達成しました。
同年オフにはポスティングシステムの行使が容認されました。ニューヨーク・メッツやニューヨーク・ヤンキース、テキサス・レンジャーズも入札に参加したことが報じられました。松坂さんは巨額の移籍金を手にし、ついにメジャーの地へ赴きます。

《松坂大輔》アメリカで待ち受けていたものとは!?

アメリカに渡った松坂さんを待ち受けていたのは、厳しいスランプと怪我の連続という、厳しい現実でした。2007年シーズンこそ日本人初のワールドシリーズ勝利投手となるなどの活躍はありましたが、その後は日本プロ野球ほどの活躍はできず、低迷します。
2009年ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され、第1ラウンドA組第2戦の韓国戦に先発します。4回2失点にまとめ、打線の援護もあって勝利投手となります。第2ラウンド1組初戦のキューバ戦では、6回無失点の好投で2勝目を挙げました。準決勝のアメリカ戦では、4回2/3を2失点で3勝目を挙げます。

WBC優勝!するも…

チームは翌日の決勝戦で韓国を破って優勝を決め、最多勝の松坂が2大会連続で最優秀選手に選ばれました。しかし、喜びも束の間、2009年シーズン開幕後は2試合連続で打ち込まれ、右肩の疲労を理由に4月15日に故障者リスト入りしてしまいます。そこから2012年までのレッドソックス在籍の間、怪我に悩まされ続け、新天地を求めます。
2013年2月にはクリーブランド・インディアンスとマイナー契約、半年後の8月にはニューヨーク・メッツとメジャー契約を結びますが、故障者リスト入りが続き活躍ができず、シーズン終了と共にFAとなり2014年、福岡ソフトバンクホークスへの入団が決まります。

《松坂大輔・柴田倫世と離婚!?》怪我が変えた運命

日本に帰国するも成績は全く伸びず、3年で12億円の大型契約を皮肉り、「給料泥棒」と揶揄されます。「右肩関節唇及び腱板クリーニング術」「ベネット骨棘切除術」「後方関節包解離術」を行うもリハビリ生活が長引き、戦力外通告を受けます。その後、中日ドラゴンズに年俸1500万で移籍するも、現在まで鳴かず飛ばずです。
奥さんの柴田さんを別居に駆り立てたのはやはり松坂さんの成績不振が原因なのではないでしょうか?ボストンでは60億円を超える収入があったものが、現在は1500万円です。金の切れ目が縁の切れ目といいますが、収入が大幅にダウンした松坂さんにメリット感じなくなったのではないでしょうか?

前から単身赴任していた!?

インディアンスやメッツに移籍した際も松坂さんの単身だったようなのですが、日本とアメリカでは話が変わりますよね?お子さんの環境もあるとしても、余程じゃないと夫と一緒に帰国すると思います。どんな理由なのでしょうか?夫婦の謎を解き明かすため、二人が歩いた夫婦の道程を辿りましょう。

《松坂大輔・柴田倫世と離婚!?》初々しい好青年

二人の出会いは1999年までさかのぼります。当時プロ1年目のルーキーであった松坂さんは取材の際、6歳年上のアナウンサー、柴田さんに一目ぼれしたそうで、そこから松坂さんの一途な恋が始まったそうです。柴田さんの話では、松坂さんはとても奥手で照れ屋だったらしく、女性慣れしていない野球少年そのものだったそうです。
柴田さんの話では「松坂さんが自宅にたびたび訪問するようになったのですが、なかなか“告白”してもらえず、だいぶ後に付き合って欲しいと電話で言われた」「彼に会うことは、私にとってはいつも緊張の連続だったんです」「2002年のオフには破局寸前までいった」と語っていました。

会いた気持ちを抑えきれず、やらかす!?

2000年には松坂さんが柴田さんに会いに行く際に駐車違反からの無免許運転が発覚し、球団社長と広報課長が辞表を提出する騒ぎになりました。無免許でも運転して会いに行ってしまうというところに松坂さんの幼さと一途さが見えます。柴田さんもそんな松坂さんが可愛くてしかたなかったのではないでしょうか?

《松坂大輔・柴田倫世と離婚!?》嫁と子供も一緒に渡米!

その後も二人の交際は順調に進み、2004年に二人は結婚します。柴田さんは結婚と同時に日本テレビを退社、フリーアナウンサーとなります。その後2005年には長女が誕生し、2008年には長男、2010年には次女と3人の子宝に恵まれます。
2007年、レッドソックスに移籍する松坂さんと共に家族3人でボストンへ。慣れない環境下でも松坂さんの健康管理や食事管理を怠ることなく、また育児も完璧にこなしていたそうです。さすが姉さん女房ですよね。松坂さんも頭が上がらないのではないでしょうか?

しかし、ここから雲行きは怪しく…

前述の通りアメリカでは低迷する松坂さんはアメリカ国内を一人で転々としますが、その間も柴田さんはボストンに子供たちと残っていました。アメリカ国内での話なので分からなくもないですが、確かにここら辺から夫婦の風向きが変わったことは間違いありません。
現在も柴田さんと子供たちは家賃月額400万円の高級マンションに住み、3人の子供たちはクラシックバレエや体操、フィギアスケートなど習い事に通っているそうです。子供たちは地元のセレブ御用達の幼稚園や小学校に通い、学費は3人で年間1000万円以上かかっているようです。

《松坂大輔・柴田倫世と離婚!?》単純にセレブ生活が好き!?

柴田さんは常々「子供たちを国際舞台で活躍できる人間に育てたい」と語っているそうで、かなり教育熱心な一面が垣間見えます。沢山の習い事に英才教育と、子供たちは本当に楽しんでいるのか少し不安ですね。
今回の日本への単身赴任も、子供たちの教育費を捻出するためだと考えるのが妥当かと思いますが、いくら子供のためとはいえ、日本でもできることですし、現在のあり得ないほど太ってしまった松坂さんを見ていると、ちゃんとそばで妻としてサポートしてあげるべきなのでは、と思ってしまいます。

子供は日本語が喋れない!?

お子さん達は、学校でも家庭でも日常会話が英語なので、日本語をあまり上手く使えないようです。特に長女は家に帰っても日本語より英語で話すことが多くなってしまったそうです。「このままでは子どもたちが日本語を話せなくなる」と悩んでいたようで、現在は子どもたち3人で週1回日本語教室に通い、勉強しているそうです。
松坂さんは長いアメリカ生活でもなかなか英語が覚えられず、話すこともできないようなので、子供たちとコミュニケーションをとるのも一苦労だそうです。こういった部分も柴田さんの愛情が薄れた原因なのでしょうか?

《松坂大輔・柴田倫世と離婚!?》まとめ

現在は別居中ではありますが、離婚はしていません。しかし、怪我で低迷する夫を一人で日本帰国させる理由は、「子供たちの教育費のため」というのが間違いなさそうです。落ちていく成績と共に愛が薄れ、ただのお金を運んでくる人間としか見えなくなったのではないでしょうか?
2018年、中日ドラゴンズで活躍できなければ、年齢的にも「引退」の2文字が浮かびますが、その時にはもう「離婚」は免れられないのではないでしょうか?「平成の怪物」松坂さん、今年が本当の正念場になりそうです。