高島忠夫の晩年と寿美花代の現在!老々介護と長男殺害事件を乗り越え エンタメ

高島忠夫の晩年と寿美花代の現在!老々介護と長男殺害事件を乗り越え

芸能人一家で有名な高島家の家長、高島忠夫さんが2019年に亡くなりました。うつ病や寿美花代さんとの老老介護や、家政婦によって殺されてしまった長男の事件も振り返り、晩年の高島忠夫さんと現在の高島家についてまとめていきます。

目次

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高島忠夫と嫁・寿美花代さんの現在は?

高嶋忠雄はお嫁さんと、元宝塚の寿美花代さんは芸能界きってのおしどり夫婦として知られていますが、2010年に高島忠夫さんが不整脈を発症してからは、TVで姿を見る機会も激減しました。

夫婦お二人とも介護が必要な年齢になり、「大変です」と息子さんがメディアでも話をしていたことから、高島忠夫さんの病状が心配されてきましたが、2019年に老衰のため死去。

晩年は老老介護で厳しい日々が続いたことを、寿美花代さんが明かしています。

2019年6月26日・高島忠夫が逝去

2019年6月26日、かねてから体調が心配されていた高島忠夫さんが88歳で他界されました。死因は老衰であり、ご自宅で息を引き取られたとのことです。

不整脈を発症してからの高島忠夫さんは入院を勧められる状態にあったと言われていますが、奥様の寿美花代さんは自宅での看護を希望。

できる限り家で一緒に、自分が世話をしたいとの思いから、自宅療養を続けていたといいます。

高島忠夫さんの死を受けて息子たちは?

高島忠夫さんの訃報を受けて、長男の高嶋政宏さんは以下のようなコメントをマスコミに向けて出しました。

父は、最後まで明るく良く通る声で笑ったり、話したりしながら、大好きだったフリオの歌声に包まれて、本当に穏やかに旅立ちました。

(引用:FNNニュース)

また次男の高嶋政伸さんも、亡くなる2ヶ月前から高島忠夫さんが寝たきりで衰弱が見られたこと、しかし最期は眠るように穏やかであったと聞いて安心したとコメントを発表しました。

高島忠夫の葬儀は近親者のみの家族葬だった

高島忠夫さんの葬儀は、亡くなった翌日の6月27日に家族だけの密葬というかたちで行われたといいます。

葬儀では高島忠夫さんが好きだったフリオ・イグレシアスのファンの曲がかけられて、穏やかな空気の中、高島忠夫さんが旅立っていったと息子の政伸さんは語っています。

しかし、寿美花代さんは夫を失ったショックが大きすぎたのか、「火葬場には行かれない、入れない」と言い、自宅で待っていたとのことです。

現在は高嶋政宏夫婦が寿美花代と同居している?

高島忠夫さんの死後、一人になった母を心配して、現在は高嶋政宏さん夫婦が寿美花代さんと同居しているといいます。

高島忠夫さんの自宅敷地内には家が2棟建っており、そのうちの1つに寿美花代さんが、もう1つに高嶋政宏さんとシルビア・グラブさん夫婦が住んでいるそうです。

政宏さんは父親の死後、母親との心の距離が近くなったと語っており、現在は息子夫婦が寿美花代さんを見守っていると報じられています。

高島忠夫夫妻は老老介護で大変だった?

自宅で夫を介護すると決めたという寿美花代さんですが、2019年に高島忠夫さんが亡くなった時、寿美花代さんも87歳でいらっしゃいました。

そのため老老介護状態であり、寿美花代さんの生活も壮絶なものであったといいます。

息子の政伸さんによると、高島忠夫さんの家にはヘルパーさんが週3回来てくれて何とか、自宅での生活ができていたのだといいます。

高島忠夫の病歴

死因は老衰とされている高島忠夫さんですが、生前は数多くの病気に苦しんでいたといました。

  • 1960年代に糖尿病
  • 1998年にうつ病を発症
  • 2000年にパーキンソン病を発症
  • 2010年に不整脈を起こす

パーキンソン病を発症した後は芸能活動を休止していましたが、2007年に病状が安定したとして一時仕事再開もしていました。

しかし仕事をするのはかなりの負担であったようで、2010年に不整脈を起こしてペースメーカーを入れる手術を行ってからは完全に表舞台から姿を消し、療養に専念していました。

生前に高島忠夫の死去の噂がながれたことも

2016年5月頃に、なんと高島忠夫さんの死去の噂が出始めました。原因は妻の寿美花代さんが「徹子の部屋」に一人で出演したことだといいます。

おしどり夫婦で共演が当たり前だったのに、花代夫人が一人で出演していることに違和感を感じた視聴者が多かったのでしょう。もしや、亡くなったのではないか?と死亡説がネット上に流れてしまったのです。

寿美花代の老老介護生活

多数の病気を併発していたため、高島忠夫さんは1日に25錠もの薬を服用していたそうです。

寿美花代さんはこれらの薬をきちんと管理して飲ませていたうえ、糖尿病が悪化しないように夫の食事のカロリー計算もしていました。

朝は高島忠夫さんの好物を朝食として出し、昼と夜は健康に配慮したメニューを組むなど、細やかな看護をしていたといいます。また、パーキンソン病のリハビリも寿美花代さんが付き添っていたとのことです。

深刻な糖尿病に加え、動脈硬化も進行。血流が悪くなり、足が冷たくなる忠夫さんの血の巡りをよくするために足をマッサージ。寿美さんは、忠夫さんの喜ぶ顔を見たい一心で、365日マッサージを欠かさなかったという。

(引用:FNNプライム)

またうつ病を発症していたために表情が乏しくなり、気力も衰退していた高島忠夫さんに対して、寿美花代さんがマッサージによる温かなふれあいを欠かさなかったことも明らかになっています。

息子たちの結婚式がなかったのは父の病気が原因?

2005年に長男の政宏さんが結婚、2015年には次男の政伸さんが結婚しました。

久しぶりに高島家に明るいニュースが出てきましたが、結婚式や披露宴ができる状況ではなかったといわれています。

ヘルパーさんの力を借りて何とか生活している両親ですから、そこまでできる余裕がなかったほど大変な状況だったのでしょう。

2013年に「独占密着!真実の高島ファミリー」が放送される

寿美花代さんの献身的な介護の様子は、2013年6月18日に放送された「独占密着!真実の高島ファミリー」でも明らかにされました。

この番組は2013年当時の高島忠夫さん、そして家族の様子を追ったドキュメンタリーで、介護疲れとストレスから寿美花代さんが涙するシーンも収められていました。

番組を見た視聴者からは「寿美さんはこんな大変なのに、どうして美貌を保てるのか?」「思ったより高島忠夫さんが元気で安心した」という声が寄せられていました。

高島忠夫を襲ったうつ病の原因は?高島忠夫長男殺人事件?

高島忠夫さんと寿美花代さんの間には、長男がいました。つまり政伸さんと政宏さんには兄がいたのです。

しかし長男は1964年8月24日、生後5か月で当時雇っていた家政婦に殺害されています。当然ながら寿美花代さんもいまだに、長男を失ったトラウマがあるそうです。

そして高島忠夫さんも長男殺害事件の記憶に苦しめられており、この事件が原因でアルコール依存症になり、うつ病を発症したのではないかとも言われています。

長男が家政婦に殺害された高島忠夫長男殺人事件とは?

殺害された高島家の長男は道夫ちゃんという名前でした。道夫ちゃんを殺したのは当時17歳の少女で、彼女は高島家で家政婦として働いていました。

犯行動機は高島夫妻が旅行に行く際、自分にお土産を買ってくると言ってもらえなかっただとされます。信じがたい動機に、世間は驚きを隠せませんでした。

この家政婦は高島家の宝石を盗んだり、お客様の財布から1万円を抜き取るなど、普段から素行も悪かったようです。

長男の道夫ちゃんは皆で探し回った挙句に、バスタブに沈んでいるところを発見されました。自分に疑惑の目がいかないように、当時は犯人の家政婦も必死に探していたといいます。

犯人の家政婦のその後は?

当時17歳だった家政婦は未成年であったため、殺人罪で起訴されたものの「不定期刑」が適用されました。不定期刑の期間は、懲役3年から5年程度とされています。

事件後、高島家には「ママ、苦しいよ」と悪ふざけをするいたずら電話が多数かかってきて、寿美花代さんはノイローゼ状態にまで追い込まれていたそうです。

幼い我が子を失った挙げ句に心無い嫌がらせを受けた寿美花代さんは以降お風呂に入れなくなり、入浴はシャワーだけで済ませているといいます。

道夫ちゃんを殺害した家政婦は結局3年で出所したといい、その後は結婚をして家庭を持ったことまで報じられています。

犯人の家政婦も現在は73歳と高齢になっています。子供や孫がいても不思議ではない年齢ですが、年端も行かない子供を手に掛けたことを、きちんと悔いているのでしょうか。

高島忠夫のプロフィール

  • 生年月日 1930年7月27日
  • 出身地 兵庫県神戸市
  • 身長 181cm
  • 血液型 O型
  • 享年 2019年6月26日
  • 著名な家族 妻・寿美花代、次男・高島弘之、三男・高嶋政伸

1951年に、新東宝スターレットの1期生として芸能界活動を開始した高島忠夫さん。

銀幕デビューは1952年公開の『恋の応援団長』で、1998年にうつ病を発症するまで『ゴールデン洋画劇場』の番組ホストも務めていました。

イエーイ!のキャッチフレーズで知られ、まさに昭和を代表する華やかな芸能一家の大黒柱でありながら飾らない人柄の持ち主で、現在でも多くのファンに支持されています。

高島忠夫の嫁・寿美花代のプロフィール

  • 生年月日  1932年2月6日(2020年現在88歳)
  • 出身地 兵庫県西宮市
  • 身長 162 cm
  • 血液型 AB型
  • 著名な家族 夫・高島忠夫、次男・高島弘之、三男・高嶋政伸

寿美花代さんは1948年に宝塚歌劇団に入団し、『猿飛佐助』や『華麗なる千拍子』といった舞台に抜擢されて男役として活躍した宝塚の大スターでした。

1963年に高島忠夫さんと結婚するために宝塚を辞めていますが、結婚は寿美花代さんの方から申し出たことで、後に「どうしてもこの人(高島忠夫さん)と結婚したかったの」と明かしています。

高島忠夫さんとは、オシドリ夫婦で有名で、高島忠夫さんと共演することが多く、結婚後も二人で『ごちそうさま』などの番組に出演していました。

高島忠夫と寿美花代・夫婦の強い絆

高島忠夫さんの闘病生活と寿美花代さんの献身的な介護、そして寿美花代さんと高島家の現在について紹介致しました。

長男を殺害されるといった凄惨な経験から、心身のバランスを崩していったとも言われている高島忠夫さんですが、お元気な頃は悲しみを見せずに明るく振る舞う姿が印象的でした。

現在、寿美花代の傍では高嶋政宏さん夫婦が暮らしているといいます。恐らく高島忠夫さんも、母を守れるほど立派に育った息子たちを誇りに思っていらっしゃるでしょう。ご冥福をお祈りいたします。