
高島忠夫の晩年と寿美花代の現在!老々介護と長男殺害事件を乗り越え
芸能人一家で有名な高島家の家長、高島忠夫さんが2019年に亡くなりました。うつ病や寿美花代さんとの老老介護や、家政婦によって殺されてしまった長男の事件も振り返り、晩年の高島忠夫さんと現在の高島家についてまとめていきます。
目次
[表示]- 01.
高島忠夫と嫁・寿美花代さんの現在は?
- 01.1.
2019年6月26日・高島忠夫が逝去
- 01.2.
高島忠夫さんの死を受けて息子たちは?
- 01.3.
高島忠夫の葬儀は近親者のみの家族葬だった
- 01.4.
現在は高嶋政宏夫婦が寿美花代と同居している?
- 02.
高島忠夫夫妻は老老介護で大変だった?
- 02.1.
高島忠夫の病歴
- 02.2.
生前に高島忠夫の死去の噂がながれたことも
- 02.3.
寿美花代の老老介護生活
- 02.4.
息子たちの結婚式がなかったのは父の病気が原因?
- 02.5.
2013年に「独占密着!真実の高島ファミリー」が放送される
- 03.
高島忠夫を襲ったうつ病の原因は?高島忠夫長男殺人事件?
- 03.1.
長男が家政婦に殺害された高島忠夫長男殺人事件とは?
- 03.2.
犯人の家政婦のその後は?
- 04.
高島忠夫のプロフィール
- 05.
高島忠夫の嫁・寿美花代のプロフィール
- 06.
高島忠夫と寿美花代・夫婦の強い絆
高島忠夫と嫁・寿美花代さんの現在は?
【衝撃】高島忠夫・寿美花代、ふたりとも身辺の世話が必要な状態に 高嶋政伸が明かした「壮絶介護」に涙が溢れて止まらない・・・ https://t.co/lDgBwtJcBL pic.twitter.com/OoxQdqDkvH
— 閲覧注意動画まとめ (@rimakiginshida) May 17, 2018
高嶋忠雄はお嫁さんと、元宝塚の寿美花代さんは芸能界きってのおしどり夫婦として知られていますが、2010年に高島忠夫さんが不整脈を発症してからは、TVで姿を見る機会も激減しました。
夫婦お二人とも介護が必要な年齢になり、「大変です」と息子さんがメディアでも話をしていたことから、高島忠夫さんの病状が心配されてきましたが、2019年に老衰のため死去。
晩年は老老介護で厳しい日々が続いたことを、寿美花代さんが明かしています。
2019年6月26日・高島忠夫が逝去
【訃報 #高島忠夫さん 】俳優の高島忠夫さんが東京都内の自宅でお亡くなりになりました。88歳でした。1951年に新東宝第1部期ニューフェースとなる。NHKでは連続テレビ小説『ふたりっ子』のヒロインたちの祖父役でした。奥様は女優の寿美花代さん。ご子息はともに俳優の高嶋政宏さん、高嶋政伸さん。 pic.twitter.com/LUD1ookV5G
— NHKアーカイブス (@nhk_archives) June 28, 2019
2019年6月26日、かねてから体調が心配されていた高島忠夫さんが88歳で他界されました。死因は老衰であり、ご自宅で息を引き取られたとのことです。
不整脈を発症してからの高島忠夫さんは入院を勧められる状態にあったと言われていますが、奥様の寿美花代さんは自宅での看護を希望。
できる限り家で一緒に、自分が世話をしたいとの思いから、自宅療養を続けていたといいます。
高島忠夫さんの死を受けて息子たちは?
https://twitter.com/PreghierA_WiZ/status/1298597612992335872?s=20高島忠夫さんの訃報を受けて、長男の高嶋政宏さんは以下のようなコメントをマスコミに向けて出しました。
父は、最後まで明るく良く通る声で笑ったり、話したりしながら、大好きだったフリオの歌声に包まれて、本当に穏やかに旅立ちました。
(引用:FNNニュース)
また次男の高嶋政伸さんも、亡くなる2ヶ月前から高島忠夫さんが寝たきりで衰弱が見られたこと、しかし最期は眠るように穏やかであったと聞いて安心したとコメントを発表しました。
高島忠夫の葬儀は近親者のみの家族葬だった
【訃報】高島忠夫さん、老衰のため死去 88歳 高嶋政宏・高嶋政伸兄弟が追悼コメント<全文>https://t.co/tiK1aaptcf#高島忠夫 #寿美花代 #高嶋政宏 #高嶋政伸 pic.twitter.com/ds6tFnSGVp
— ORICON NEWS(オリコンニュース) (@oricon) June 28, 2019
高島忠夫さんの葬儀は、亡くなった翌日の6月27日に家族だけの密葬というかたちで行われたといいます。
葬儀では高島忠夫さんが好きだったフリオ・イグレシアスのファンの曲がかけられて、穏やかな空気の中、高島忠夫さんが旅立っていったと息子の政伸さんは語っています。
しかし、寿美花代さんは夫を失ったショックが大きすぎたのか、「火葬場には行かれない、入れない」と言い、自宅で待っていたとのことです。