可愛かずみ自殺の真相は?婚約者がいた?遺書公表も話題に! エンタメ

可愛かずみ自殺の真相は?婚約者がいた?遺書公表も話題に!

とても若い年齢でこの世を去った可愛かずみさん。女優として、グラビアとして活動されていた可愛かずみさんが自らこの世を去った理由は一体何だったのでしょうか?真相について、そして生前の活動について詳しくご紹介していきたいと思います!

目次

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可愛かずみの自殺の真相は?川崎憲次郎との破局が原因か?

32歳の若さで亡くなった可愛かずみさん。ヤクルトスワローズの川崎憲次郎と交際されていたのですが自殺された当時は破局による自殺であると言われていました。

ところが、親友の川上麻衣子さんの言葉により別の視点も見られるようになります。自殺の真相は一体何だったのでしょうか?

可愛かずみの自殺の真相は破局が原因だったのか?死因は?

1997年5月9日、可愛かずみさんは目黒区にある川崎憲次郎さんのマンションから飛び降りこの世を去りました。

飛び降りたマンションが川崎憲次郎さんのマンションであるというところが大きく引っかかりますよね?当てつけか、もしくは未練が残っていたので川崎憲次郎さんのマンションではなかったのかと当時自殺の原因は川崎憲次郎さんであると思っていた人が大勢いたようです。

可愛かずみには遺書があった?!自殺当時には婚約者も居た…

当初遺書はないと言われていたのですが、2014年、死後17年後に可愛かずみさんの父親が遺書の内容を公開されました。そこには親友の川上麻衣子さんもおり、遺書の内容については川上麻衣子とのことが多く書かれていたそうです。自殺する5年ほど前からうつ病に苦しんでいたことも明らかになりました。

遺書には川上麻衣子さんのことを心の拠り所にしていたことや、一緒に居れたことが何よりも楽しかったといったことが書かれていたそうで、最後には「パパ、麻衣ちゃんをよろしくね」と書かれていたそうです。このメモ、遺書の話を聞いた川上麻衣子さんは号泣されました。

可愛かずみの婚約者とは?結婚式目前だった?

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自殺した当時婚約者がいたことも明らかになっており、自動車販売会社経営の青年実業家の方と7月7日に入籍する予定であったそうです。

婚約者と可愛かずみさんは川崎憲次郎選手と破局後の1996年3月から交際を開始し、ウェディングドレスも発注済、入籍後の7月13日には披露パーティーをする予定だったそうです。

しかし、可愛さんは、些細な事でも決めるのに婚約者がクレームをつけてくることを悩んでいたという噂もあります。

婚約者が語る可愛かずみの事件当日の状況は?

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事件当日の午後、可愛さんは手首を切り自殺未遂を起こしています。「また斬っちゃった」と婚約者に電話をかけたため、婚約者は可愛さんの自宅へ行き、かかりつけの病院へと向かいました。

十数針を縫ったものの、午後4時頃には父の竹三郎さんと、婚約者と友人の4人で夕食を取り、ドリアをぺろりと食べ、顔色もよくなっていっていたそうです。

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その後、婚約者が会社に戻った午後6時55分頃、持病の過呼吸症があり可愛さんは咳をしており、「ちょっと薬を買いに行ってくる」と父親に告げました。

その時、可愛さんはピョンピョン跳びはねながら元気に出ていったんだそうです。しかし、その15分後に可愛さんは飛び降り自殺をしてしまうこととなります。

婚約者が國保尊弘はデマ?

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また、一部では婚約者が青年実業家の國保尊弘さんという噂がありましたが、おそらく噂に過ぎない話だったのでしょう。

可愛かずみと元プロ野球選手の川崎憲次郎に熱愛発覚!

1995年に当時ヤクルトスワローズに所属されていた、元プロ野球選手の川崎憲次郎さんとの間に熱愛が報じられ交際されていることが発覚しました。川崎憲次郎さんは可愛かずみさんのかねてからの大ファンで、年齢は可愛かずみさんの方が6歳上でした。

可愛かずみと川崎憲次郎の破局の原因は何だったのか?

年齢差もありながら交際の方は順調で、このまま結婚されるだろうと多くの人たちが思っていたのですが、川崎憲次郎さんがプロでの活躍が思わしくなく、故障されたこともあり結婚間近だと言われていた中、川崎憲次郎さんから破局が申しだされたようです。

野球選手としてもっと活躍したいという気持ちがあったのではないでしょうか?治療に専念するために破局したとも言われており、お似合いカップルだという周囲からの認識も相当強かったのですが、破局報道には芸能界もファンの人たちも驚いたようです。

可愛かずみはストレスを抱えて自殺未遂?薬を飲んでいた?!

可愛かずみさんは元々仕事により相当なストレスを抱え込んでいたそうで、川崎憲次郎さんと交際されていた時にストレスは緩和されており落ち着いていたそうなのですが、破局や他の報道がされたことにより精神的なストレスは溜まる一方で自殺未遂もあったようです。

恐らくうつなどの症状が出ていたのだと思います。精神がどんどんと崩れていくことにより、精神安定剤を飲むようになり、薬も次第に強いものへとなっていったのだと思われます。最終的には強力な精神安定剤を日常的に飲むようになるほど、心は追い込まれていたようです。

可愛かずみの自殺未遂は3度?志村けんとの関係って?

川崎憲次郎さんとの破局の直後に志村けんさんとのツーショット写真が報じられ更に心は追い込まれることになります。破局に加えてまるで志村けんさんに乗り越えたかのような書き方をされており、1996年12月からリストカットで自殺未遂を計るように。

1997年1月、1997年5月と合計3回のリストカットにより自殺未遂をされており、意識が朦朧とするような強い薬を飲んでいたことも原因だったのではないかと考えられています。志村けんさんとは親友川上麻衣子さんと三人でお酒を飲み雑魚寝するほどフランクな間柄だけだったようです。

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川崎憲次郎さんとの破局、志村けんさんとの報道、そしてある大物女優からのハードな言葉とNGに精神的に滅入っていた可愛かずみさんは安定剤に強く頼るように。

そして最終的に、自殺へとつながってしまったのでした。

可愛かずみは明石家さんまとも噂が?

一方で、可愛さんは明石家さんまさんとも関係があるのでは?という噂がありました。しかしこちらに関してはさんまさんが可愛さんおファンだったというだけの話だったようです。

可愛かずみの自殺の真相は?川上麻衣子が理由を語る…!

親友の川上麻衣子さんは、可愛かずみさんのことを当時からよく知っていた人物の一人で、精神が蝕まれていく姿を常に気にかけて心配されていたようです。そんな川上麻衣子さんにとって、可愛かずみさんの自殺は一つが原因なのではなく複数のものが重なってしまったことが原因と考えられているようです。

可愛かずみさんとは一時期隣の部屋に住んでいたこともあったそうなのですが、変貌していく様に耐えられず引っ越しをされており、自殺の前にも電話が掛かってきていたようです。しかし川上麻衣子さんは留守で、帰宅しても疲れていた為留守電をきなかったのです。

もしも電話に出ていれば、自殺を留めることが出来ていたのかもしれないと17年藻の間苦しまれていたようですね。葬儀では飛び降りた割りには綺麗な顔立ちをされて眠られる可愛かずみさんを前に泣き崩れていたという川上麻衣子さん。事務所の社長も、思っているより多くの人に愛されていたと語られました。

可愛かずみの自殺の真相!幸せな日を思い出していた?

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一方、可愛かずみさんの事務所の社長の話によると、可愛かずみさんが川崎憲次郎さんの自宅で飛び降り自殺をしたのは、無意識のうちに幸せだったマンションを訪れたのでは?と言われています。

可愛かずみさんは、破局した後も思い出を確かめるように川崎憲次郎さんの自宅マンションを訪れ、電話をしていたといいます。

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現場を目撃したコンビニ店員によると、可愛かずみさんは自殺とは思えないほど安らかな表情だったといいます。深層心理で、

幸せだった日々を思い出して訪れた矢先の出来事だったのかもしれません。

可愛かずみのアルバムに自殺未遂の歌がある!?

可愛かずみさんの死後、実は可愛かずみさんのアルバムに自殺未遂の歌があった!と話題になっていました。「なのにあいつ」という楽曲です。

こちらは渡辺真知子さんの曲であり、可愛かずみさんは渡辺真知子さんの「カモメが飛んだ日」のB面に入っていたこの曲を気に入ったことから収録したと言われています。

可愛かずみのプロフィールと生い立ち

  • 名前:可愛かずみ(かわい かずみ)
  • 生年月日:1964年7月9日
  • 身長:161cm
  • 本名:久我智子(くが ともこ)

可愛かずみさんは高校の時にスカウトを受けてモデルクラブに登録されます。元々芸能界にあまり今日は無かったそうで美容師になりたいと思っていたそうです。しかしスカウト後一度仕事を断ろうとしましたが、結局芸能界入りを果たしており、多くの人から注目されました。

可愛かずみさんの両親は幼少期に離婚をされており、1年ほど経って父親に引き取られました。3歳上の姉が一人いるようです。子供の頃は離婚や父の仕事の関係で転校が多かったのですが、「感化されやすい」と自身のことを告げており、そのお陰で毎回すぐに新しい環境に慣れ、友達も出来ていたようです。

中学時代の3年間は転校がなく、落ち着いた生活が出来ており「すごく暖かい生活だった」と語っていました。高校時代ではレストランでアルバイトをされており、母親とは離婚依頼生き別れ状態になっていたので、3歳上の姉が可愛かずみさんにとっての母親であったことも明かしています。

さいごに

いかがでしたでしょうか?可愛かずみさんは友人も多く、業界でも多くの人たちから愛されており人柄の良さを感じさせる周囲の態度がありました。元々やりたくない仕事から始まって自らからを破り女優として実力をつけ人気になっていった可愛かずみさんあまりにも早すぎる死でした。

心の病について多くを語れるわけではありません。しかし、追い詰められ安定剤に手を出し自分をコントロール出来なくなっていくことは現在でも多くの方が苦しまれているのではないでしょうか?天国では可愛かずみさんが心安らかに過ごされていることをお祈りしましょう。最後までお読みいただありがとうございました。