天才・イチローの伝説まとめ!差別経験の怒りがパワーに変わる? エンタメ

天才・イチローの伝説まとめ!差別経験の怒りがパワーに変わる?

スポーツ界の天才・プロ野球選手の代名詞といっても過言ではないメジャーリーガーのイチロー。ストイックさもけた違いで、嘘のような本当の伝説を数多く持っていることでも有名です。今回はその伝説の数々を、まとめて紹介していきます。

目次

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プロ野球選手・イチローの天才伝説?

10年連続含む11度の200本安打、メジャー記録シーズン最多262安打、WBC決勝での決勝安打、などなど走攻守すべてを揃え、記録、記憶ともにインパクトあるイチローですが、その他にも多くの伝説や嘘か真か分かりませんが都市伝説も存在しているようです。

イチローのプロフィール。本名は鈴木一郎。

本名は鈴木 一朗。1973年10月22日生まれの44歳。愛知県西春日井郡豊山町出身。プロ野球選手(外野手)。右投左打。現在はシアトル・マリナーズ会長付特別補佐。血液型はB型。MLBシーズン最多安打記録保持者(262安打)であり、プロ野球における通算安打世界記録保持者。

NPB/MLB通算4257安打でギネス世界記録に認定されています。最多試合出場記録保持者(NPB/MLB通算3563試合出場)日本プロ野球(以下NPB)ではMVP、首位打者、打点王、盗塁王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞などを獲得し、2000年オフに日本人初の野手として

メジャーリーグベースボール(以下MLB)に移籍。MLBでは、MVP、首位打者、盗塁王、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞などを獲得。2004年にはMLBのシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新し、コミッショナー特別表彰を受けました。

他表記は「鈴木一朗」「イチロー・スズキ」「Ichiro」「Ichiro Suzuki」など。愛称はイチ。代理人はトニー・アタナシオ氏が当初より長く務めていましたが、現在はジョン・ボッグス氏。ちなみに、イチローは二人兄弟の次男でしたが、祖父「銀一」さんから「一」の文字を取り「一朗」と命名されたそう。

イチローの天才伝説まとめ! 1

プロ三年目の1995年、登録名を本名「鈴木一朗」から「イチロー」に変更。この年から監督に就任した仰木彬氏の発案で、日本人選手としては初めて、名字を除いた名前での選手名登録となりました。5月から8月にかけて日本プロ野球新記録となる69試合連続出塁を記録した。

1950年に藤村富美男さんが作ったシーズン最多安打記録191本44年ぶりに更新。その後日本プロ野球史上初となる、シーズン200本安打を達成。最終的に安打数も210本(当時の日本プロ野球記録)まで伸ばしました。

イチローの活躍で安打数が話題となったため、連盟によって同年から「最多安打」がタイトルとして設立された。最終的に打率.385で自身初となる首位打者を獲得。全試合フル出場での首位打者は王貞治さんに次ぐ史上2人目の快挙。ちなみに三人目は松井秀喜さん。

イチローの天才伝説まとめ! 2

1994年は首位打者のタイトルだけでなく、最高出塁率・ベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得。打者としては日本プロ野球史上最年少でシーズンMVPを獲得。この1994年の活躍によってイチローは文字通りイチローとなったのです。またこの年以降期待に応え続ける葛藤を抱くようになったと語っています。

常人には計り知れないプレッシャーが当時21歳の青年イチローにかかっていたのです。1995年の1月17日に発生した阪神淡路大震災においてオリックスの本拠地神戸市が壊滅的な害を被った。イチロー自身も神戸市内にあるオリックスの寮で被災を経験。

「がんばろう KOBE」を合言葉にシーズンは開幕。イチローは震災からの復興を目指す「神戸のシンボル」としての活躍を期待され、その期待以上の活躍を見せ、首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率を獲得。史上初の「打者五冠王」に輝きました。

また、打点王と盗塁王の同時獲得は日本プロ野球史上初。そのイチロー選手に引っ張られる形でオリックスはリーグ優勝。22歳の時に「2年目のジンクス、厳しいマーク、復興のシンボルとしてのプレッシャー」など数え切れない重圧をはねのけたイチロー。

イチローの天才伝説まとめ! 3

1996年はシーズン以外の試合でも活躍。オールスターゲーム第1戦で初回先頭打者初球本塁打。これはオールスター史上3人目、パ・リーグ選手では史上初の快挙。また第2戦では投手として登板。松井VSイチローの対決に注目が集まったが、

セ・リーグの野村克也総監督が松井に変えて投手の高津臣吾さんを送ったため二人の直接対決は実現しなかったものの、対戦した高津投手は投手としてのイチローに感心したそうです。ヤクルトの高津投手コーチは「できれば投げないでほしかったね」と笑った。

96年のオールスターを回想し「めっちゃ、速かったよ。外角にずっと投げ続けて、全部その辺りに来るんだから、野手ではあり得ないよね」と感心。高校時代に交通事故がなければ投手として上を目指したかったと語るイチロー。その素質の片鱗が見られた瞬間です。

イチローの伝説的プレーは差別から?

メジャーデビューしたばかりの2001年4月11日、敵地で迎えたアスレチックス戦。この試合、8回表に代打で出場後、守備についたイチローに対して、ライト側の敵地ファンは激しい罵声を浴びせ、さらには紙コップやボトルキャップ、コインをイチローに向かって投げ始めたそう。

そして、あるファンが投げた一枚の25セント硬貨がイチローの後頭部を直撃。痛さとともにイチローは激しい怒りを覚えたことでしょう。そんな状況下で迎えた1死1塁。打球はイチローが守るライト前へゴロが飛んだ1塁ランナーが3塁へ向かったのを見たイチローは、3塁へと送球。

このプレーは後に「レーザービーム」とよばれることに。3塁へ完璧なノーバウンド送球でランナーをアウトにした場面は、アメリカでは「ザ・スロー」と呼ばれ、メジャー史に残るプレーとして知られているそうです。今までのイチローのプレーの中で、これが最も印象的と語る現地ファンも数多いそう。

イチローは試合後に「あれをもう一度やれと言われても、もう見せられない」と語ったように、ファンからの差別的な行動による怒りがエネルギーとなり、このメジャー史に残った神技が生まれた一因となったといえるのではないでしょうか。

他の日本人メジャーリーガーも受けた差別1

まずは松坂大輔さん。松坂さんの通訳だった日系アメリカ人を投手コーチがチャイナマンと呼んだそうで、のちにコーチは「ジョークのつもりだった」と謝罪しています。黒田博樹さんは審判から差別発言をされ、2013年5月12日のカンザスシティー・ロイヤルズ戦で際どい球を「ボール」と言われ、口論になったとか。

他の日本人メジャーリーガーも受けた差別2

バラエティでも引っ張りだこな新庄剛志さん。2002年当時サンフランシスコ・ジャイアンツに所属していた新庄さんは、ロッカールームで差別発言を受けました。「邪魔だ!このジャップのくそ野郎!クラブハウスから出て行けよ!」と大物内野手のジェフ・ケントから言われたそうです。

全盛期のイチローの都市伝説?

『2009年に行われた第2回WBC決勝戦で決勝点となる2点タイムリーヒットを放ち、韓国からのサイバー攻撃ですら落ちる事が無い2ちゃんねるのサーバーが5つ落ちた。』『高校3年の時の三振は僅か3つ。』『日本には打球に乗って帰る。』など。最後のはジョークですね笑。

まとめ

今回はイチローを紹介しました。天才という言葉では片づけられない偉業の数々でしたね。人間離れしているスーパースターだけに、イチローへの感情移入はできないと思います。しかしそんなイチローもも1人の人間として、怒りが原動力になりこともあるんですね。