美輪明宏はハーフなの?若い頃はとんでもないイケメンだった! エンタメ

美輪明宏はハーフなの?若い頃はとんでもないイケメンだった!

NHK紅白歌合戦での「ヨイトマケの唄」の絶唱で、老若男女の心を鷲掴みにした美輪明宏さんの若い頃は、ハーフではないかと思えるほどのとんでもないイケメンでした。しかし、美輪明宏さんの若い頃の苦労は並大抵のものではありませんでした。

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美輪明宏はハーフなの?若い頃はとてつもないイケメンだった!

美輪明宏さんの若い頃を知っている人は、美輪明宏さんがとんでもないイケメンだったことを覚えていると思います。それはハーフではないかと思わせるほどのイケメンだったのです。その美輪明宏さんは「メケ・メケ」のヒットで名が知られることになったのです。しかし、「ヨイトマケの唄」の方はその後、悲しい運命をたどりました。

美輪明宏のプロフィール

  • 本名:丸山明宏(幼名:臣吾)
  • 生年月日:1935年5月15日(83歳)
  • 出身地:長崎県長崎市
  • 学歴:国立音楽大学付属高校中退
  • 美輪明宏さんの実家はカフェを経営していました
  • 第二次世界大戦時、敵性文化を商売とすることは時局にそぐわぬと言われ、カフェをたたみ、金融業に転業します
  • 1945年8月9日、長崎に原爆と投下されますが、美輪明宏さんは無事に生き延びます
  • 原爆投下により、美輪明宏さんの一家は貧乏生活に陥ります
  • それ以前に父の後妻は他界していて、後々妻は失踪していて、美輪明宏さんは異母弟たちとつらい日々を送ります
  • 終戦後、観た映画で加賀美一郎の歌うボーイソプラノに衝撃を受け、声楽とピアノのレッスンを受け始めます
  • オペラ歌手、コンサート歌手を夢見て高校進学のために上京するも、家業の倒産で高校を中退します
  • その後、進駐軍のキャンプ廻りをしながらジャズを歌います
  • 1952年、新宿駅で寝泊まりしていた美輪明宏さんは銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」の美少年募集の張り紙広告をきっかけに「銀巴里」と専属契約を交わし、歌手デビューを飾ります
  • 1957年、シャンソンの名曲「メケ・メケ」を日本語カヴァーし、一躍人気者となります
  • 1964年、「ヨイトマケの唄」を初めてステージで披露、下火となっていた人気が再燃します
  • 「黒蜥蜴」をはじめ、舞台や映画、テレビで活躍します

美輪明宏の美少年ぶりはハーフなの?

美輪明宏さんは非常に端整な顔立ちをしていて、特に若い頃の写真を見るとハーフなのではないかと思えるほど容姿端麗で日本人離れしています。しかし、美輪明宏さんはハーフではありません。純日本人です。美輪明宏さんは、三島由紀夫に「天上界の美」と称され、メディアからは「神武以来の美少年」と評され、その美貌は一世を風靡したのです。

美輪明宏が黄色い髪なのはハーフへの憧れ?

一方で、現在、美輪明宏さんは黄色い髪の毛ですが、それはハーフに憧れを持っているのではなく、「色んな病気をして来て肺を患った時、30代で一気に白髪になった」ので、1998年頃から風水に基づき黄色に染めてロングヘアーにしていると言います。つまり、美輪明宏さんは、決してハーフに憧れているのではないのです。

しかし、美輪明宏さんはフランスの大シャンソン歌手のエディット・ピアフの大ファンです。多少は外国人に対して、特にエディット・ピアフに対しての憧れがあるのは確かで、風水によるとは言え、美輪明宏さんは日本人離れした現在の風貌を気に入っていると思われます。また、よく似合っていると思います。

美輪明宏の若い頃のイケメンぶり①三島由紀夫に惚れられる!

美輪明宏さんの若い頃は、その美少年ぶりも一役買って多くの作家、例えば、三島由紀夫、江戸川乱歩、澁澤龍彦、吉行淳之介、大江健三郎などに愛され、交流を深めました。特に三島由紀夫の美輪明宏さんに対する熱の入れようは尋常ではなく、「君の欠点は、僕に惚れないことだ」と三島由紀夫に言わしめたほどです。

そして、三島由紀夫は映画「黒蜥蜴」で、美輪明宏さんとのキスシーンがあることで、セリフがない役にもかかわらず引き受けたほどのに熱の入れようだったのです。三島由紀夫にとって美輪明宏さんは、多分、自分の生を確認する格好の相手だったのかもしれません。

美輪明宏の若い頃のイケメンぶり②三島由紀夫事件!

イケメンの美輪明宏に特別な想いを持っていた三島由紀夫は、ある時、美輪明宏さんのコンサートにバラの花束を直に差し入れに来たのですが、それがただならぬ様子だったので、美輪明宏さんは「どうしたの」などと問うことが出来ずにいたと言います。多分、感性の鋭い美輪明宏さんは何かを感ずいていたのかもしれません。

しかし、その後、三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をした三島由紀夫事件が起きて、それが三島由紀夫との今生の別れとなってしまつたのです。それは美輪明宏さんとって大変ショッキングな出来事に違いなく、一つの偉大な才能が失われたことに対する喪失感は半端なかったと思います。

美輪明宏の若い頃は大倉忠義に似ている?

美輪明宏さんの若い頃が関ジャニ∞の大倉忠義さんと似ていると言われています。確かに似ていると言われれば似ていなくもないのですが、大倉忠義さんはどちらかというとまだ、若さが目立つのですが、美輪明宏さんの若い頃は、流石に苦労人だけあって放っているオーラが強烈で、美輪明宏さんの若い頃は背負っているものが違うのです。

美輪明宏の若い頃がジョジョに出てくる人物に似ている?

美輪明宏さんの若き頃が漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の登場人物に似ていると評判です。「ジョジョ」は荒木飛呂彦氏の作品で、美男美女が出てくる大人気漫画です。その中の登場人物が美輪明宏さんの若き頃の面影があり、よく似ているというのです。美輪明宏さんに似ている登場人物がいるのは当然ではないでしょうか。

美輪明宏には霊感がある?

美輪明宏さんはスピチュアルの世界では、かなりの影響力を持っていて、かなり霊感が強いのではないかと思います。美輪明宏さんは毎日読経を欠かさず行っています。また、自身のことを前世が天草四郎とも公言していて、霊感の強さを伺わせます。風水で髪の毛を黄色に染めているというのも自身の霊感を信じてのことだと思います。

また、美輪明宏さんはスピチュアルカウンセラーの江原啓之さんを信頼していて、霊能者の木村籐子さんとも親交を深めています。それは金銭が目的の占い師や霊能者を自称する人がほとんどの中、江原啓之さんと木村籐子さんは数少ない「本物」として認めているからで、そう判断できるのは、美輪明宏さん自身が霊感があるからでしょう。

美輪明宏の「ヨイトマケの唄」の悲しい運命!

「ヨイトマケの唄」は美輪明宏さんが幼少期に一緒に育った友人の亡き母を回想してのものです。「ヨイトマケの唄」を作るきっかけとなったのは、炭鉱労働者が安い賃金をつぎ込んでチケットを買い求め、客席を埋め尽くしているのに衝撃を受けた美輪明宏さんが、労働者のための楽曲を作る決意をしたことです。

しかし、「ヨイトマケの唄」はヒットしましたが、差別用語として使われる「土方」「ヨイトマケ」が日本民間放送連盟により放送禁止曲に指定され、民放で放送できなくなってしまったのです。1983年にこの制度は廃止されますが、それ以降も民放では歌うことは長らくなかったのです。それにしてもこれは全くおかしな制度です。

美輪明宏の衰えを知らぬ活躍は更に続く!

美輪明宏さんは齢83歳ですが、その活躍は全く衰えることを知りません。若い頃の苦労が生きてか、美輪明宏さんの人生相談の話はとても説得力があり、若者も共感しています。また、江戸川乱歩原作、三島由紀夫脚本の舞台作品「黒蜥蜴」を初め、玄人をも唸らせるその美輪明宏さんの演技や歌唱力は衰えを知りません。

中でもエディット・ピアフの生涯を描いた「愛の賛歌~エディット・ピアフ物語」は凄みがある美輪明宏さんの歌唱あってのもので、この「愛の賛歌」に関しては、号泣する人が続出します。それほどに物凄い舞台が「愛の賛歌」と言え、一度は観ておきたい舞台と言えます。「愛の賛歌」は激賞されています。