イチローが引退?特別アドバイザーって何!?イチロー伝説のこれまで&今後まとめ! エンタメ

イチローが引退?特別アドバイザーって何!?イチロー伝説のこれまで&今後まとめ!

5月3日、アメリカはシアトル・マリナーズ所属のイチロー選手(44歳)が、球団の特別アドバイザーに就任し、今季の残り試合出場しない意向を発表しました。今まで数々の伝説を残してきたイチロー選手の過去とこれからをクローズアップしていきます。

こちらの記事でよりわかりやすくまとめました。(2019/2/10)

イチロー《歩んできた道程&今後は?》これからは野球研究家!?

前述の通り5月3日の記者会見で、今後はマリナーズの特別アドバイザーに就任し、今季は試合出場しないことを表明したイチロー選手。「50歳まで現役」を合言葉に長い野球人生を歩んできた彼のマリナーズへの深い愛情があふれた会見になりました。

「チームが喜んでくれるなら…」

イチロー選手自身も「この時が来るときは僕が辞める時だと思っていた」と語り、「大好きなチームですし、チームがこの形を望んで、歓迎してくれるなら、僕は喜んで引き受けます。」と嬉しそうに話していました。
今季の試合出場が難しいことで、「事実上の引退」「言い方を変えた”戦力外通告”」などと一部報道やネットからは厳しい意見が飛んでますが、今までイチロー選手が築いてきた、メジャーリーグでの日本人選手としての在り方、矜持は、誰も真似できず、まさに「オンリーワン」です。同じ日本人として誇りに思いまよね。

 

来季は出場の可能性もあるとのこと!

来季は出場の可能性があるとの報道もなされましたが、これは人気のあるイチロー選手だからこそ、ファンを落ち込ませないための報道ですね。イチロー選手がマリナーズに必要とされていることが分かります。

 イチローは選手としては今季の残り試合は出場しないが、来季以降にチームの一員として故障者が出た場合などに選手としてプレーする可能性があるという。

https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/05/04/kiji/20180504s00001007073000c.html

その存在だけでチームの士気が上がる!

マリナーズは、イチロー選手の「選手としての成績」はもちろん、「人間として」もチームに必要な存在なので、今回のオファーを出したのだと思います。これまで築き上げた数々の記録と、記憶に刻まれた名シーンを今一度振り返り、今後の彼の行方を調べましょう。

イチロー《歩んできた道程&今後は?》プロフィール

本名:鈴木一朗 生年月日:1973年10月22日 血液型:B型 身長:180㎝ 体重:79㎏ 出身地:愛知県西春日井郡豊山町出身 出身校:愛知工業大学附属中学校・名電高等学校 右投げ左打ち 家族:福島弓子(元TBSアナウンサー)

イチロー《歩んできた道程&今後は?》伝説のはじまり

小学校時代は地元の少年野球チーム・豊山町スポーツ少年団に所属していました。エースで4番として活躍し、6年生の時には全国大会に出場しています。小学3年生の頃から、町内にある空港バッティングセンターにほぼ毎日通い詰めていたそうです。
同センターにはイチロー選手専用8番打席が現在もあるそうです。なお、同時期に年齢が一つ上の稲葉篤紀氏も同じバッティングセンターに通っていて稲葉氏は「隣で同い年くらいの奴がめっちゃ速いボールを簡単に遠くまで飛ばしていた」と語っていました。

少年時代から大活躍!

豊山町立豊山中学校でも、もちろん野球部に所属し、エースで中軸(主に3番)を打ち、中学3年の時に全日本少年軟式野球大会に出場し3位入賞を果たします。学校での成績も優秀で、学年では常にトップ10に入っていたそうです。まさに文武両道です。地元・愛知の多くの高校から誘いが来ましたが、名門、愛工大名電に進学します。

イチロー《歩んできた道程&今後は?》動き出した伝説

高校に進学し、甲子園出場!

愛工大名電時代から地元では有名な選手で、愛知を代表する名門野球部において1年時からいきなりレギュラーを獲得します。2年生時に夏の甲子園(左翼手として出場)、3年生時に春の甲子園(投手として出場)と2度甲子園に出場したものの、いずれも初戦敗退に終わっています。意外ですよね?
松井秀喜氏とはこの頃から練習試合を通じて面識があったようで、高校3年生の地方大会での打率が7割以上を記録していた程の打者だったそうです。ちなみに3年間の高校通算成績は536打数269安打、打率.501、本塁打19本、二塁打74本、三塁打28本、盗塁131

いよいよドラフトを迎える!

イチロー選手は幼少期からファンだった中日ドラゴンズを希望していました。父・鈴木宣之さんも、「子供のころからドラゴンズのファンだったし、せめて3位ぐらいまでに(中日が)指名してくれればいい」と思っていたと語っています。
当時投手だったイチロー選手について、「体が出来上がっていないし、プロ野球の投手としてはちょっと物足りない」と評価していた中日スカウトは、ドラフト5位での指名を予定していましたが、オリックス・ブルーウェーブの東海地区担当だった三輪田勝利スカウトが、4位での指名を強く主張したため、イチロー選手の中日入団は幻に終わりました。

イチロー《歩んできた道程&今後は?》伝説の幕開け

イチロー選手は4位指名をしたオリックス・ブルーウェーブに入団します。オリックス球団は1年目年俸を430万円に設定し、契約金は4000万円で契約に至りました。父・宣之さんは契約金の半分は税金で徴収されるため、残った2000万円を「息子の退職金」として貯金したそうです。

念願のプロデビュー!

1992年7月11日の対福岡ダイエーホークス17回戦で、左翼手・村上信一選手に代わる守備固めとして1軍初出場を果たします。続く翌日の対ダイエー戦で初スタメン出場し、木村恵二投手が投げた直球を右翼に打ちプロ初安打を記録しました。
同年のジュニアオールスターにて、8回同点時に有働克也から代打決勝本塁打を放ってMVPと賞金100万円を獲得しました。その後、賞金全額を神戸市の養護施設に寄付しました。2軍選手ではイチローが初めてだそうです。かっこいいですね!

ついに”イチロー”に!?

公式戦開幕直前の4月7日、登録名を本名「鈴木一朗」から「イチロー」に変更します。日本人選手としては初めて、名字を除いた名前での選手名登録となりました。この年から監督に招集された仰木彬氏はイチローの類い稀な打撃センスを見抜くと即座に一軍に呼び、2番打者に抜擢しました。
日本時代のイチローの代名詞ともなる「振り子打法」を作り上げた後、同年から新しく1軍打撃コーチとなった新井宏昌氏に見込まれレギュラーとして活躍。1番打者に定着し、日本プロ野球新記録となる69試合連続出塁を記録しました。

イチロー《歩んできた道程&今後は?》色あせない記録の数々

1995年開幕前の1月17日に発生した阪神淡路大震災において本拠地の神戸市が壊滅的な害を被り、イチロー選手自身も神戸市内にあるオリックスの寮で被災します。この年のオリックスは「がんばろう KOBE」を合言葉にスタートしました。

震災を吹っ飛ばす!イチローの大記録!

この年イチロー選手は、首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率を獲得し、「打者五冠王」に輝きました。打点王と盗塁王の同時獲得は日本プロ野球史上初のほか、全試合フル出場での首位打者は王貞治氏(1969年)に次ぐ史上2人目の快挙でした。物凄い活躍ですね!

本塁打はリーグ3位タイの25本で、この年に28本放って本塁打王を獲得した小久保裕紀氏とは3本差であり、日本プロ野球史上前例のない打撃タイトル独占(六冠王)にあと一歩でした。他にも2年連続となるシーズンMVP・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・正力松太郎賞も受賞し、チームは悲願のリーグ優勝を達成しました。

これだけじゃ終わらない!?神戸の為に全力を尽くす!

最終的に3年連続となる首位打者を獲得し、193安打で3年連続となる最多安打・最高出塁率を記録、去年に引き続き最多敬遠も記録します。猛打賞を26回(達成当時日本プロ野球記録。現在日本プロ野球歴代3位)、1試合4安打8回の記録も残します。
9月23日の対日本ハムファイターズ戦にて、延長10回裏にオリックスのリーグ連覇を決めるサヨナラ二塁打を放ち、前年のリーグ優勝時に果たせなかった、「神戸での胴上げ」を実現させました。

イチロー《歩んできた道程&今後は?》輝かしい成績

1997年以降は主に3番打者として出場し、6月に「209打席連続無三振」の日本プロ野球記録を樹立します。その後、下柳剛氏から三振するまで、「216打席連続無三振」を記録します。最終的には185安打、最高出塁率に関しては3年連続で途切れてしまいましたが、最多安打・首位打者を4年連続とし、最多敬遠も3年連続と伸ばしました。

またも大記録!

1998年、打率.358、181安打でシーズンを終え、張本勲の4年連続を抜いて日本プロ野球史上初となる5年連続首位打者獲得を達成、5年連続・通算5回目となる最多安打も記録した他、リーグ最多敬遠も4年連続となりました。

メジャー行きが見え始める!?

1999年シーズン開幕前の2月、星野伸之や戎信行とともに、オリックスと業務提携を結んでいたシアトル・マリナーズの春季キャンプに招待され、2週間参加しました。数年間のスランプをひきずっていましたが、4月11日、ナゴヤドームでの西武戦の第5打席で西崎幸広氏からセカンドゴロを放つとスランプから脱出し以降は復調しました。
4月20日の対日本ハム戦で金村曉氏から本塁打を放ち、日本プロ野球史上最速となる757試合目で通算1000本安打を達成。7月6日の対西武ライオンズ戦で松坂大輔から通算100号本塁打を打ちました。

イチロー《歩んできた道程&今後は?》新たな挑戦

最終的に、日本プロ野球歴代2位となるシーズン打率.387を記録し、通算7度目の首位打者(日本プロ野球記録)を獲得。6年連続となる最多敬遠も記録。ほか、2年連続通算5度目となる最高出塁率、7年連続通算7度目となるベストナイン・ゴールデングラブ賞をそれぞれ獲得して、ついにメジャー進出に乗り出します。

日本人初!ポスティングシステムでの移籍!

2000年11月10日に、日本人初のポスティングシステムによる独占交渉権をシアトル・マリナーズが1300万ドル余りで獲得します。19日に3年契約で合意し、28日に渡米。30日に3年総額1400万ドルで正式契約を結び、日本人野手初のメジャーリーガーとなりました。背番号は51です!やっぱり一番似合います!
2001年4月2日のオークランド・アスレチックスとの開幕戦に、1番・右翼手で先発出場します。第4打席にセンター前へメジャー初安打を放ち、第5打席にはバント安打を記録して2安打1得点の活躍でチームの勝利に貢献するという好スタートを切りました。

MVPも獲得!

4月11日は敵地オークランドで三塁を狙ったテレンス・ロングを完璧な送球で刺して大きな話題を呼びます。その後も順調に安打を積み重ね、4月から5月にかけて2か月連続でこの年から制定された月間新人MVPを受賞します!

イチロー《歩んできた道程&今後は?》年齢は関係ない!

8月28日には132試合目での200安打に到達し、9月8日には1996年にアレックス・ロドリゲスが記録した球団最多安打記録の215安打を更新します。再び8月と9月の2か月連続で月間新人MVPを受賞する活躍で、シーズン116勝(メジャータイ記録)でのチームの地区優勝に大きく貢献しました。

この年、1930年のビル・テリー(ジャイアンツ)以来となるシーズン242安打(当時歴代9位)を放ち、メジャーリーグの新人最多安打記録を更新するとともに、新人王・MVP・首位打者・盗塁王・シルバースラッガー賞・ゴールドグラブ賞という数多くのタイトルを獲得しました。

歴代最高打率記録!

打率.350はアメリカンリーグ1年目選手の歴代最高打率。2004年には日米通算2000本安打、月間50安打を記録します。同年10月には258安打とし、84年間破られることのなかったメジャー歴代シーズン最多安打記録の257安打を更新しました。 そして2009年9月、メジャー通算2000安打を達成します。

ギネス記録!

その後も数々の記録を打ち立てながら、2012年からニューヨーク・ヤンキース、2015年からマイアミ・マーリンズと移籍。2016年6月には日本・メジャー通算4257安打でMLB最多安打記録を更新して、世界記録としてギネス記録に認定さました。

イチロー《歩んできた道程&今後は?》引退はない。生涯現役!

2016年8月にはメジャー通算3000本安打、そしてついに2017年9月7日、ナショナルズ戦の5回に代打で出場して中前安打を放ってNPB/MLB通算5863塁打とし、王貞治が持っていた日本記録を日米通算で塗り替えました。
大記録を数々残し、現在は前述の特別アドバイザーとしてマリナーズに復帰しました。これで、今後半永久的にマリナーズに籍を置くことになり、どこまで現役続行できるのか、期待で胸が膨らみますね!

イチロー《歩んできた道程&今後は?》まとめ

イチロー選手が残した、数々の記録、伝説に触れてきましたが、まさに「野球界の宝」ですよね!イチロー選手が見せてくれたプロ魂が、若い世代に受け継がれていってほしいですね。これからもまだまだ現役生活、記録更新目指して頑張ってほしいですね!