YOSHIKIの生い立ちが波乱万丈!父親は自殺?母親の教育方針とは? エンタメ

YOSHIKIの生い立ちが波乱万丈!父親は自殺?母親の教育方針とは?

X JAPANのリーダーとして世界から評価が高いYOSHIKIさん。メンバーの逝去やヘルニアの悪化など様々な困難を乗り越えファンに希望を与える存在ですが、その生い立ちが波乱万丈だったと話題です。父親の自殺や母親、ドラム・音楽のきっかけなどに迫りたいと思います。

目次

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YOSHIKI 生い立ちがスゴい?実家は呉服屋で裕福だった?

日本国内だけでなく、海外でも評価をされているミュージシャンのYOSHIKIさんですが、生い立ちは、千葉県館山市の出身で、実家は老舗呉服店を営む家庭で生まれました。二人兄弟の長男で、弟がいるそうです。かなり裕福な家庭だったらしく、忙しく働く両親に代わり、幼かったころは家政婦さんに面倒をみてもらっていました。

ちなみに実家が呉服店だったこともあり、YOSHIKIさんは自身の着物ブランド『YOSHIKIMONO』を立ち上げていて、2013年の国立競技場で開催されたイベント「ASIA GIRLS EXPLOSION」 では自身のピアノとともにデザインしたヨシキモノをお披露目しています。

YOSHIKI 小児喘息で病弱だった?音楽も生い立ちに関係?

裕福な家庭に生まれたYOSHIKIさんでしたが、幼少期は病弱で、かなり重い小児喘息を患っていたそうです。そのため、小学校の中頃までは入退院を繰り返していて、外で遊ぶということも思うようにできなかったといいます。

そんな生活の中で、お父さんからお見舞いのときに買い与えられたのが子供向けの偉人伝の本で、その中でも特に強い興味を持っていたのがベートーヴェンだったそうです。若くして難聴という苦難に陥りながら数々の名曲を残した人生に、自信の闘病生活を重ねていたのでしょうか。

YOSHIKI ピアノとの出会ったきっかけは?

YOSHIKIさんが音楽に最初に触れたきっかけは、4歳の時にお父さんからピアノを買い与えられたことでした。ピアノ教室に通いクラシック・ピアノのレッスンを受け始めたそうです。小さいころは、クラシック音楽ばかり聞く子供だったそうで、お父さんが持っていたクラシックのレコードも好んで聴いていました。

また、8歳の時に初めて自分のお小遣いで買ったレコードもにシューベルトの交響曲第8番ロ短調『未完成』とベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調『運命』レコードでした。このころから感性が磨かれていったのでしょう。

YOSHIKI 父はタップダンサー!母は三味線奏者だった?

YOSHIKIさんの実家は呉服屋を営んでいましたが、音楽一家の一面も持っていたそうで、お父さんは先代から家業の呉服屋を次ぐ前は、音楽活動をしていて、プロのタップダンサーとして活動し、ジャズピアノを弾くこともできたそうです。

またお母さんは、三味線を弾くことができ、祖母も琴の演奏を嗜んでいたそうです。クラシック・ピアノだけでなく、誕生日ごとに楽器をプレゼントされることが恒例になっていて。父親からは10歳の誕生日にトランペットをプレゼントされるなど、YOSHIKIさんの音楽家としての才能は、血筋や環境によるところも大きいようです。

YOSHIKI 母親が英才教育がすごかった!?

YOSHIKIさんのお母さんは、幼いころから息子の音楽の才能に気づいていたのか、その教育も独特だったそうです。ピアノを習っていたYOSHIKIさんに対し、とにかく手を大事にすることを言い聞かせていて、転ぶときがあったら「手をつかずに、アゴをつくように」といっていたほどでした。

この教育は大人になってからもYOSHIKIさんの習慣になっているそうで、手を大切にするため、料理は一切しないとバラエティ番組で告白をしていました。母親の言いつけを守るだけあり、現在も関係はとても仲がいいようです。

YOSHIKI 父親が自殺していた?理由は?

音楽の楽しさを教え、多くの影響を与えていたお父さんでしたが、1976年8月、YOSHIKIさんが10歳のころに突然自殺により亡くなってしまいます。34歳という若さで亡くなってしまいます。死因は、車の中に排ガスを送り込むことによる。一酸化中毒だったそうです。借金が理由では?と憶測もされましたが理由はわかっていません。

YOSHIKIさんは、父親の死の当日は夏休みの音楽クラブで出かけていたそうで、帰宅をすると父親は布団で寝かされ、顔には白い頭巾を被っていた状態だったといいます。周りの親戚はYOSHIKIさんのことを思い、「病気で寝ている」と説明したそうですが、すぐに父親が死んだことを理解し、号泣しその場で倒れ込んでしまったそうです。

YOSHIKI 父親の自殺がドラム・ロックのきっかけ?

YOSHIKIさんは父親の自殺について、父親を尊敬し、慕っていたため「心の行き場がなくなっちゃった」としばらくポッカリと穴が空いたような日々を送っていたと振り返っています。実際父親の死の原因が自殺であることは中学生になるまで知らなかったそうです。

失意の中、YOSHIKIさんが出会ったのがロックでした。クラシックしか聴いていなかったYOSHIKIさんでしたが、偶然行きつけのレコード店で見つけたアメリカのロックバンドKISSのシングル『ラヴ・ガン』に惹かれたといいます。その後母親に頼み込み、KISSの日本武道館公演に連れて行ってもらいロックに魅了されました。

ロックに興味を持ったYOSHIKIさんは11歳のときにお母さんからドラムを買ってもらい、熱中し始めました。父親の自殺に対する、悲しみや怒りといった複雑か感情が、YOSHIKIさんをロックやドラムに引きつけた理由なのでしょう。このころには『ロックスターになる』という目標をはっきりと持っていました。

YOSHIKI 中学時代はやんちゃだった?母親の教育が独特?

ロックに出会ったYOSHKIさんは、11歳で早くも初めてのバントを結成します。メンバーは小学校の同級生に加え、幼馴染みでギターが弾けたToshiさんでした。YOSHIKIさんはボーカルとギターを担当していましたが、声変わりで高音が出にくくなり、中学校に進学するとボーカルを新たに加えドラムに専念をすることになります。

中学1年生のころ、長髪だったころを教師に注意され、無理やりバリカンで丸坊主にされたこときっかけに、グレてしまったらしく不良と遊ぶようになったといいます。しかし、母親は勉強をきちんとしていれば文句を言わない教育方針だったらしく、成績は優秀では千葉県の模試で100点満点をとり表彰をされたこともあるそうです。

YOSHIKI 本名・生年月日・年齢などプロフィール

  • 本名:林 佳樹(はやし よしき)
  • 生年月日:1965年11月20日
  • 年齢:52歳
  • 身長175cm

1989年にロックバンドX JAPANのドラマー・ピアニストとしてメジャーデビュー。ソロ活動では、1999年には『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』のための奉祝曲、2005年の『日本国際博覧会(愛知万博)』の公式イメージ・ソング、2012年のゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソングに抜擢されています。

1986年にはインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」を設立。LUNA SEAやGLAY、ZI:KILLなどを生み出し、ヴィジュアル系ブームの火付け役の一つでした。その後、2000年には「日本社会と文化に貢献した人物」として文部大臣から表彰をされています。

YOSHIKI 生い立ち・父親・母親 まとめ

YOSHIKIさんのミュージシャンとしての世界規模の活躍は、音楽と深く親しんだ生い立ちによるところが、非常に大きな影響を与えていたことがわかりました。父親の自殺という悲劇的な過去を乗り越えたからこそ、YOSHIKIさんにファンは引きつけられ、魅力を感じるのかもしれませんね。