小田和正の家族!!ファンなら気になる結婚とお嫁さんとの〇〇話し!!子供は?? エンタメ

小田和正の家族!!ファンなら気になる結婚とお嫁さんとの〇〇話し!!子供は??

嫁や子供などのプライベートが表にあまり出ない小田和正さん。あのハイトーンクリアボイスは一体どんな環境で産まれ、育ったのでしょう。小田和正さんの嫁と家族、また子供ことなど未だ衰える事の無い小田和正に関するバックボーンを追跡します。

目次

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小田和正の家族は?結婚とお嫁さんの名前は??

奥さんの名前は新井恵子さんといいます。1982年9月3日、小田和正さんが35歳の時にご結婚されました。

一時活動停止と鈴木康博さんの脱退も1982年から1983年頃だったと思われますので、小田和正さんにとって波乱万丈の1982年だった事は確かです。

1981年6月21日に小田和正さんは「I LOVE YOU」を発表しています。歌詞の中に「早く9月になれば」とありますが、「I LOVE YOU」は嫁の新井恵子さんのための楽曲と言われています。

小田和正の家族、嫁・恵子さんの情報は??

小田和正さんの嫁・新井恵子さんについては、画像もあります。

新井恵子さんは、1953年5月24日生まれ、1男2女の長女、横浜共立学園卒業後、女子美術大学短期大学部卒業、一般人女性で入籍の記事には「私的な事だったので公表する事を迷った」と掲載されています。

小田和正の家族、嫁・恵子さんとは??馴れ初めは?

小田和正さんの嫁・恵子さんとは、なんと中学時代からの知り合いだったんだそうです!

オフコースのファンで、大学でファンクラブを結成した事をきっかけに、恵子さんの友人がファンクラブの会報の制作担当だったことから、恵子さんは事務所に度々お手伝いに来られていたそうです。

そういうことから交際に発展し、小田和正さんと結婚に至ったようです。長年、嫁として小田和正さんを支えて来た人物と言えます。

夫婦円満ですごく仲良し!一緒にゴルフコースを回る

仲が良くゴルフ等も行かれてたそうで、夫婦仲はとても良好のようです。フルラウンドでゴルフコースを回るとなると、プレイよりも歩く時間の方がむしろ長いですから、対話も弾むのでしょう。

70歳過ぎた今でも小田和正が元気なのは嫁の体調管理!

2020年でなんと73歳となった今でも、小田和正さんがお元気なのは、お嫁さんの恵子さんの普段の体調管理が行き届いているからとも言われています。

食生活には特に気を配っているとのことです。

小田和正の気になる子供は?

小田和正さんにお子さんはいないそうです。ですが歌には歌詞や題名に子供と言う言葉は出てきています。

例えば、『生まれて来る子供たちのために』こちらの曲では、過ちとを犯す人物と赦す人物と生まれる前の子供達、旅立たれる存在と、もう一人寄り添い共に旅立つ人物が居ます。

そっと見守る存在を意識され歌われてます。

子供が苦手という説も??

小田和正さんは子供がいない理由として、過去に「街で大きな声を出してはしゃぐ子供が嫌いで、でももし自分に子供ができたらそういう子供にしないように育てる自信がない。」と語っていたようです。

そういうことから子供はいらないと語っていたということで、小田和正さんは子供があまり好きではないという説も浮上していました。

しかし、ライブ等のイベントでは子供にはとても優しく接しているということで、必ずしも子供が嫌いというわけではなく、むしろ子供自体は好きなのかもしれません。

小田和正の家族、父親は凄かった!!

続いては小田和正さんの家族、両親や兄弟等について注目していきたいと思います!まずは実家と父親についてご紹介していきます。

横浜の実家・小田薬局

小田和正さんの実家は、横浜にあり、小田薬局であることで知られています。

1950年(昭和25年)に日本で初めて出来た、すずらん通りの屋根付きアーケード商店街に、1941年(昭和16年)創業の小田薬局があります。

二階に併設されていた紅茶専門の喫茶店「友&愛」中ではグッズ販売もされていて、美味しかったと評判です。

小田和正と父親がそっくり??

小田和正さんの父親は信次さんと言う方で東京都本郷出身です。「友&愛」で小田和正さんにソックリな気の良い店員さんと有名になっていたようです。

父親の信次さんは、金沢文庫すずらん通り商店街の基礎を築いて貢献された事で、功績を称えられて藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を受章されています。

元々、信次さんは小田和正さんを医者にしたかったんだそうですが、和正さんは父親の意向には従わず東北大学で建築学を専攻、その後は早稲田大学の大学院に進学し、音楽の道へと進みました。

小田和正の父親はガンだった?

2008年5月26日、ガンを患っていた信次さんは、小田和正さんが向かっている事を聞き「そうか、じゃあちょっと寝るわ。」と最後の言葉を残し、眠りに着かれ、94歳で他界されています。

小田和正の家族、かけがえのない母親は?

小田和正さんの家族で、母親はきぬゑさんと言われています。和歌山県東牟婁郡北山村(奈良県と三重県に挟まれている日本で唯一飛び地の村)出身で、とても歌が上手な方だったと語られています。

小田和正さんの幼少の頃は商売が忙しかったようで、家族があまり一緒にいる事ができなかったそうです。しかし小田和正さんは、そんな母きぬゑさんの事を「かけがえのない人」と表現されています。

小田和正の家族、兄弟は?兄がいる?

小田和正さんの家族で兄弟は、お兄さんが一人います。お名前は小田兵馬さんといい、父親の意思で、実家稼業の小田薬局の薬剤師を継いでいて、店長をしています。

2005年に一度、経営悪化により横浜地裁に差し押さえの話が出ていたという噂もあるようです。日本ドラッグストア協会や、横浜市金沢区薬剤師協会の要職も務められたほどの人物です。

小田和正の趣味や子供の頃は??

嫁の恵子さん話しの中でも出てきましたが、小田和正さんの趣味はゴルフです。他には油絵や、落語(古今亭志ん生)のファンだった事もあげられています。

幼少期には、バイオリン教室に通ってバイオリンを習っていたことも分かっています。最愛の家族でもある、母のきぬゑさんの『春の小川』等の歌を聴いて育ったそうです。

小田和正とは?

続いては小田和正さん本人について、経歴等をご紹介していきます。

学歴とキャラクターの原点

1947年9月20日生まれ、2020年で73歳。神奈川県横浜市金沢区谷津町出身、学歴は聖光学院卒業後、東北大学工学部の建築学科卒業、早稲田大学大学院理工学研究科を修了されています。

自身の研究する姿が気に入っていたのでしょうか、CDのジャケットに白衣を着たキャラクターや東京タワーが描かれています。

中学受験の頃のエピソード

小田和正さんはバイオリン教室に通ったりする裕福な家族に生まれ、当初小学校は私立の関東学院六浦小学校でした。この小学校は元首相・小泉純一郎さんの2人の息子と同じ学校です。

そして中学お受験では「栄光学園」を第一志望にするも不合格。その次の候補「聖光学院」中等部へ進学します。初期メンバーの鈴木康博さんとは、進学塾通学時に小3で出会っていたのだそうです。

そして揃って栄光学園には不合格で、中高と聖光学院で一緒に学ぶという運命的な出会いをしていました。今現在では、偏差値の上でも聖光学院の方が上位で神奈川県内第1位のようです。

役職とロゴマーク

日本が誇る小田和正さんは音楽家・アーティスト、元オフコースのボーカリストでリーダーを務め、現在シンガーソングライター兼音楽プロデューサー。

そして株式会社FAR EAST CLUB(ファーイーストクラブ)の代表取締役社長として活躍されています。ファーイーストクラブは東京タワーの絵をモチーフにされたロゴです。

小田和正の聖地といえば?!

続いて、小田和正さんファンに注目されている小田和正さんの聖地と言われている場所についてご紹介します!

聖地・小田薬局

小田和正さんの知る人が知る聖地と言えば、やはり先にもご紹介した横浜の実家の小田薬局と友&愛でしょう。

聖地・東京「FAR EAST CAFE」

その他、小田和正さんと言えば、東京都港区に在る「FAR EAST CAFE」も有名です。オリジナルグッズや小田和正さんの最新情報等も提供されていて素敵なお店です。

Caf\’e menuも料金的にリーズナブルな価格、聖地巡りをされる方にお勧めのお店です。

小田和正がリーダーを務めたオフコースとは

続いては小田和正さんがリーダーをしていたオフコースについてもご紹介していきます。

オフコース・メンバー

聖光学院の時から基盤となる活動をしていたオフコースの初期メンバーは小田和正さん、鈴木康博さん、地主道夫さん、須藤尊史さんでした。

中期参加メンバーは小林和之さん、城間正博さん、吉田浩二さんで、結成10年目「さよなら」がヒットした後期メンバーは小田和正さん、鈴木康博さん、清水仁さん、大間ジローさん、松尾一彦さんの5人でした。

オフコースはアマチュア時代にコンクールで準優勝!

小田和正さんは上述したように、聖光学院卒後は東北大学へ進学し、初期のオフコースメンバーはバラバラになりました。しかし大学進学後も行き来をし、音楽活動を続けていました。

1969年、アマチュア時代の総決算としてヤマハ主催の「ライトミュージックコンテスト」へ出場しました。オフコースは東北代表として全国決勝大会にコマを進め、密かに優勝を狙い猛練習したそうです。

しかし優勝は「赤い鳥」にさらわれ、オフコースが準優勝。2位になったことで、このまま終われないという気持ちが固まり、プロの道を歩むきっかけとなったのだそうです。

優勝の「赤い鳥」とは?

この時の大会は後の大物揃いで、オフコース2位の他、6位に財津和夫率いる「チューリップ」が入賞していました。1位の「赤い鳥」はその後「紙風船」「ハイファイセット」へと分岐した本格派音楽バンドでした。

ことにハイファイセットの山本潤子のボーカルの安定度は、プロの間でも抜群の定評がありました。このフォークソング時代に音楽でプロを目指した中には、著名な方も多く小田和正さんと親交がありました。

亀裂脱退オフコース解散理由

武道館史上初の10日連続コンサートの最終日を持ち1982年6月30日に一時活動停止後、鈴木康博さんが脱退。1年後4人で活動を再開するも、1989年2月26日に解散しました。

解散の一番の理由は鈴木康博さんの脱退が大きかったということを、過去に松尾一彦さんが語られています。

小田和正の家族は嫁の恵子さんで子供なし

今回は小田和正さんの家族について、まとめました。小田和正さんは恵子さんという方とご結婚されていて、現在でも夫婦仲はとても良いようです。

子供さんはいないようで、子供があまり好きではないという説もあります。しかし実際には子供にとても優しい方のようなので、ただ子供はつくらないという選択をされたというのが真実かもしれません。

現在73歳を迎えようとしている小田和正さん。まだまだ精力的に活動されています。今後の活躍にも注目していきましょう!