野村克也元監督の格言ともいえる名言集や生い立ちなどにスポットを当てて紹介します! エンタメ

野村克也元監督の格言ともいえる名言集や生い立ちなどにスポットを当てて紹介します!

現役の時にも様々な記録を持ち、監督時代も出場試合数歴代3位の記録を残しているプロ野球の元『東北楽天ゴールデンイーグルス』の名誉監督である野村克也監督!そこで今回は、そんな野村克也監督の格言ともいえる名言集や生い立ちにスポットを当てて紹介していきたいと思います!

目次

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野村克也元監督の格言ともいえる名言集を紹介!!

戦後初の三冠王かつ世界のプロ野球史上初の捕手の三冠王で、「選手出場試合数歴代2位」「監督出場試合数歴代3位」「通算本塁打数歴代2位」「通算安打数歴代2位」「通算打点数歴代2位」「通算犠飛数歴代1位」「パ・リーグ通算打席数1位」など、プロ野球界で様々な記録を持っている野村克也元監督!!

そこで今回はそんなプロ野球界に様々な歴代記録を残してきた野村克也元監督の、今までに発した格言ともいえる名言集や生い立ちにスポットを当てて、いくつかに分けて紹介していきたいと思います!!紹介の前に、まずは野村克也元監督のプロフィールをのぞいてみましょう!!

格言ともいえる名言を多く持つ野村克也監督のプロフィール!!

名前:野村克也 生年月日:1935年6月29日(83歳)最終学歴:京都府立峰山高等学校 出身地:京都府京丹後市 身長:175cm 血液型:B型 職業:元プロ野球選手・コーチ・監督・野球解説家・評論家 事務所:エフエンタープライズ 妻:です!!

野村克也元監督の格言・名言集のまとめ!!その①

一つ目:『「どうするか」を考えない人に、「どうなるか」は見えない。』二つ目:『好かれなくても良いから、信頼はされなければいけない。嫌われることを恐れている人に、真のリーダーシップは取れない。』三つ目:『楽を求めたら、苦しみしか持っていない。』

四つ目:『うまくいってるときは、周りに人がたくさん集まる。だが一番大切なのは、どん底の時に誰がそばにいてくれたかや。』五つ目:『重荷があるからこそ、人は努力するのである。重荷があるからこそ、大地にしっかりと足を付けて歩いて行ける。』六つ目:『「恥ずかしい」と感じることから進歩は始まる。』

野村克也元監督の格言・名言集のまとめ!!その②

七つ目:『1年目には種をまき、2年目には水をやり、3年目には花を咲かせましょう。』八つ目:『失敗の根拠さえ、はっきりしていればいい。それは次につながるから。』九つ目:『ちっぽけなプライドこそ、その選手の成長を妨げる。』十つ目:『自己を過大評価した瞬間から、思考の硬直が始まる。』

十一つ目:『どうやったらライバルとの競争に勝てるかを考えた時、1日24時間の使い方の問題だと思った。』十二つ目:『大きな舞台になればなるほど、勝負は技術だけにとどまらない。人間そのものの対決になる。』十三つ目:『組織はリーダーの力量以上には伸びない。』

野村克也元監督の格言・名言集のまとめ!!その③

十四つ目:『優勝というのは強いか、弱いかで決まるんじゃない。優勝するにふさわしいかどうかで決まる。』十五つ目:『「叱る」と「褒める」というのは同意語だ。情熱や愛情が無いと、叱ってもただ怒られているという捉え方をする。』十六つ目:『コーチの第一義は自信を無くしている・目標を失っている選手にいかに意欲を出せるかという事。』

十七つ目:『リーダーシップとは人を動かす、先を読むこと。人を動かすのは「生きがい・夢・希望・目標・目的・ビジョン・興味・関心」。』十八つ目:『自分の持っているイメージと違うとすぐ矯正しようとする。こんな上司のもとに居る部下は不幸。』十九つ目:『人を判断するときは決して結論を急がない事。』

野村克也元監督の格言・名言集のまとめ!!その④

二十つ目:『部下を「信じる」というのは、リーダーの重要な資質。』二十一つ目:『不器用な人間は苦労するけど、徹してやれば器用な人間より不器用な方が最後は勝つよ。』二十二つ目:『未熟な組織には、原点がある。教えられることが多い。』二十三つ目:『敵に勝つより、もっと大事なことは常にレベルアップをすること。』

二十四つ目:『ID野球の極意は、重い予備知識と軽い先入観。』二十五つ目:『限界が見えてからが勝負だ。』二十六つ目:『「もうダメ」ではなく、「まだダメ」なのだ。』二十七つ目:『貴い知識・本質はいつの世でも、本来は単純明快である。』二十八つ目:『勝っている時が一番怖い。リードしている時が一番怖い。』

野村克也元監督の格言・名言集のまとめ!!その⑤

二十九つ目:『ナポレオンは「人間を動かす二つのテコがある。それは恐怖と利益である」と言った。私はこの二つに「尊敬」を加えたい。リーダーは「利益と尊敬と、少しの恐怖」で組織を動かしていくべきで、その潤滑油は「笑い(ユーモア)」だ。』三十つ目:『有事に強いもの、それは不真面目な劣等生。』

三十一つ目:『人の才能なんて、どこに隠されているか分からない。相手の話を聞いてみることこそが第一歩。そこから組織の活性化が始まる。』三十二つ目:『命令するからには全責任は監督にある。つまり、クビになるのはお前ではなくワシや。だから、お前の失敗はお前を使った俺が悪いのだから、全てを出し切り、結果は神に委ねる。』

野村克也元監督の生い立ち!!その①

次に、プロ野球界に数々の記録や名言を残してきた野村克也元監督の生い立ちについて紹介したいと思います!!野村克也元監督は京都府の京丹後市で生まれ、実家は食料店でした。野村克也元監督の幼少期であった当時の京丹後市は、丹後ちりめんの産地で周囲は裕福な家庭が多い一方で野村克也元監督の実家は貧しく、劣等感に否まれていたそうです。

看護婦であった野村克也元監督の母・ふみさんは病弱で、野村克也元監督が小学2・3年生の時に2度もガンを患います。この当時、野村克也元監督の父親は既に他界していたため一家は極貧といっても過言ではない状況に陥りました。家計を少しでも助けたい野村克也元監督は小学校1年生の頃から兄とともに新聞配達などのアルバイトを掛け持ち。

野村克也元監督の生い立ち!!その②

兄弟で掛け持ちをしていたこともあり、何とか生活はできていたそうです。野村克也元監督は、そんな貧乏な生活から脱出したいとの思いで歌手になろうと中学校のコーラス部に所属したり、俳優になろうと映画館通いをしたりしていたそうですが、当時プロ野球の大スターであった赤バットの川上哲治選手。

そして青バットの大下弘選手への憧れや、出身地にほど近い兵庫県出石郡出石町にて名を馳せていた大友工投手の影響もあり、次第に野球選手を志すようになります!!中学2年生で野球部に入ると、すぐに4番・捕手に抜擢され、3年生の時には奥丹後地方予選で優勝。

野村克也元監督の生い立ち!!その③

京都府大会でも四強に入り、青年団の補強選手にもなりました。中学卒業後は働くように母から言われますが、兄が大学受験を断念する等の取り計らいにより野村克也元監督は京都府立峰山高等学校に進学しました。その後に内緒で野球部に入部したことが母にばれ、退部するように言われますが顧問の取り計らいにより続けさせてもらいます。

貧しくバットも買えないため海水を一升瓶に入れて持ち帰り、素振りをしていたそうです。野球部は地方大会で一回戦負けが常という弱小チームであり、、野村克也元監督が在学中も2年生の時に京都府予選の2回戦まで進んだのが最高で、甲子園など夢のまた夢でした。当時は廃部も検討されており、野村克也元監督も全くの無名選手でした。

野村克也元監督の生い立ち!!その④

野村克也元監督の卒業後の進路は、顧問がプロ野球球団の監督に体当たり次第に推薦状を送り、南海監督・鶴岡一人さんだけが返事をくれたそうです。実際に見に来た鶴岡一人監督の見守る中、野村克也元監督はランニングホームランを放ちます。

その後1954年に南海に契約金ゼロのテスト生として入団した野村克也監督は、3年後の1957年には本塁打王のタイトルを獲得したことをキッカケに様々な記録をプロ野球界に残していったのです。以上が野村克也元監督の生い立ちでした!!

野村克也元監督の今後について

野村克也元監督の今後について個人的ではありますがお話しします。壮絶な半生の中で、野球界での記録やや名言をこれまでに残されてきた野村克也元監督!!そんな野村克也元監督は今年、妻である野村佐知代さんが他界したことで大きくメディアに取り上げられ、変わり果てた姿で報道陣のインタビューに答えている姿に心配の声が相次いでいます。

野村克也元監督の今後に関して、新しい情報が入りましたら是非ともまた記事を追加していこうと思います!!またその時は読まれていただければ幸いです!!本当に最後まで読んで頂き、ありがとうございました!!