西城秀樹の妻・槙原美紀や子供たちの現在!経歴や奥さんも紹介 エンタメ

西城秀樹の妻・槙原美紀や子供たちの現在!経歴や奥さんも紹介

今年5月16日に亡くなられた昭和のスーパースター・西城秀樹さん。今回は西城秀樹さんや、西城さんを支えた槙原美紀さんや忘れ形見である子供たちについて紹介していきます。また、西城秀樹さんの生前の活動なども振り返っていきます。

目次

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西城秀樹さんの妻・槙原美紀さん

西城秀樹さんと槙原美紀さんの結婚は2001年。西城さんと槙原さんは年齢差18歳の年の差カップルで、西城さんと槙原さんが結婚した時の年齢は西城さんが45歳、槙原さんが28歳になります。そして今年、槙原さんは結婚した時の西城さんの年齢に追いついたということになります。

槙原さんが西城さんの年齢に追いついた年に死別するというのは悲しい偶然ですね。槙原さんの経歴については、どうやらもともとは女優さんではなくOLをされていた一般の方みたいです。お勤めされていたのも建築関係の会社ということで、事務員さんだったのでしょうか。

西城秀樹さんのプロフィールや経歴

1955年〈昭和30年〉4月13日生まれ。 2018年〈平成30年〉5月16日没。は、肩書は歌手、俳優。新御三家の1人。また、本名は木本 龍雄(きもと たつお)というようです。広島県広島市出身。アースコーポレーション所属。身長181cm。血液型はAB型。

また、死没は神奈川県横浜市。死因は急性心不全でした。ちなみに西城さんの独身時代の彼女についてですが、プレイボーイだったか沢山いらっしゃいます。槙原さんと結婚直前の西城さんの熱愛彼女は、女優の十朱幸代さんだと言われています。十朱さんは12歳年上でした。

その後はその5年後くらいにあの長谷川理恵さんが熱愛のお相手との噂がありました。当時長谷川理恵さんは女子大生ということもあり、どうやらこれはマスコミのでっち上げという話もあります。そして結局、結婚相手として西城さんが選択された女性が、18歳年下の槙原さんでした。

西城秀樹さんと槙原美紀さんの馴れ初め

当時、お姉さんの住まいの近所に槙原美紀さんが生活していたそうで、弟の西城さんに紹介したというのが馴れ初めのようです。じつは妻である槙原さんは小さいころイギリスに住んでいたそうで、西城さんが大スターという存在をしらなかったという話があります。

スター・西城秀樹ではなく木本龍雄に惚れた槙原さんに西城さんも惚れたのかもしれないですね。知り合いにある日、突然紹介された弟が昭和のスーパースターである西城秀樹だとは運命的ですよね。夫婦の馴れ初めというのは聞いているだけでも楽しいものがありますね。

西城秀樹さんの家族。妻の槙原美紀さんと子供

西城さんは奥さんと3人の子供の5人家族でした。長女が、木本莉子(きもと りこ)さん。生年月日は2002年6月3日。2018年5月17日時点での年齢は15歳。長男が木本新之助(きもと しんのすけ)さん。生年月日は2003年9月1日。2018年5月17日時点年齢は14歳。

最後に次男の木本悠天(きもと ゆうま)さん。生年月日は2004年、生まれ年しか分かっていないようです。なので、2018年5月17日時点での年齢は13歳もしくは14歳になりますね。ちなみに、3人のお子さん方は皆さんどこかしら西城さんや奥さんの面影があります。

西城秀樹さんの妻・槙原美紀の経歴は?

槙原美紀さん、最初は西城さんの奥さんですから女優さんなのかと思っていました。しかし先ほども紹介した通り、一般の方のようですね。また、当時の結婚された時の報道でも結婚式の時のインタビューはありますが、槙原さんに関しましては、「大阪在住の一般人OL」くらいしか情報がなかったようです。

岐阜という情報がありますが、真相は定かではありません。本人は西城秀樹さんがスターだと知らなくても、これは玉の輿といっても過言ではありませんね。しかし西城秀樹さんの奥さんですから、経歴もおそらく素晴らしいものだと思われますね。

西城秀樹さんの子供たちの現在

年齢から考えれば長女の莉子さんは2002年生まれの15歳、高校1年生ですね。長男の新之助さんは14歳で中学3年生、次男の悠天さんは13歳か14歳で中学2年生だと考えられます。西城さんが生前暮らしていた自宅は横浜市にあり、同市には女子校である横浜雙葉(ふたば)小学校、

共学の慶應義塾横浜初等部、森村学園初等部、桐蔭学園小学部、精華小学校などの私立の小学校があるので、子供さんたちはこのあたりに通われていたかもしれません。ネット上では、森村学園が一番有力であると言われています。ちなみに、同学園の卒業生には黒澤明さんや松本伊代さんなどがいます。

西城秀樹さんの生前の年収

生前は闘病もあって芸能活動をセーブしていた西城さん。その収入源というと、印税であったと言われています。西城さんのヒット曲といえば『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』や『ギャランドゥ』などがありますよね。これらの曲は、今でもCMなどに使用されることもあり、知名度は健在ですよね。

カラオケでも歌われているはず。音楽配信会社JASRACとカラオケBOXの契約から著作権料としてアーティストに支払われるのは1曲あたり2円~7円だそうです。少ないように思いますが、これだけヒット曲があれば、相当な額になるでしょう。1回2円でも100万回歌われれば200万円ですからね。

芸能界でよく聞く印税。アーティストやミュージシャンが例え人気が落ちてきても裕福な生活を送れるのには、こういったカラクリがあったんですね。西城さんの没後、往年のヒット曲などはさらに歌われるようになったでしょうから、ご家族などの生活費に回るのでしょうか。

西城秀樹さんの子供時代の経歴

広島県広島市、広島駅近くの東蟹屋町(現:東区東蟹屋町)に生まれた西城さん。幼少期から音楽への造詣は深かったようです。父親は事業家で家は裕福でした。ジャズギターが趣味だった父親の影響で幼少期から洋楽に馴染み、ジャズスクールに通って、エレキギター、ベース、ドラムを勉強したそうです。

西城さんが小学3年の時、最初にファンになったのはジェフ・ベックで、「おませなガキ」でもあり、同世代には洋楽を聴く者は誰もおらず、音楽の話は兄たちとしたんだとか。小学4年生の時に、その兄とエレキバンド「ベガーズ(beggars)」を結成。

『月刊平凡』1974年2月号の自叙伝で「小学校に入ったばかりの頃、もうぼくはミュージシャンになりたいと思っていた。歌手ではない、ミュージシャンだ」と話してます。結構な悪で小さな頃は喧嘩三昧、自宅前の荒神陸橋によじ登ったり、無免許で単車を乗り回し警察官に何度も油を搾られたりしたそう。

現在にも残る代表曲

西城さんのシングルヒット曲のベスト10は、【1.YOUNG MAN(80.8万枚) 2.激しい恋(58.4万枚) 3.ちぎれた愛(47.5万枚) 4.ホップ、ステップ、ジャンプ(36.9万枚) 5.愛の十字架(35.2万枚)】となっているそうです。やはり1位はヤングマンでした。訃報のニュースでも流れていましたね。

まとめ 妻や家族の現在など

今回は西城秀樹さんについて紹介しました。奥さんの槙原真紀さんは、これから女手一つで多感な子供たちを育てることになります。頑張ってほしいですね。また、西城さんが亡くなっても生前歌った名曲や言葉・功績は残ります。私たちの心の中に西城さんは生き続けるのかもしれません。