伝説の大スター山口百恵さん現在は?そして息子たちとの関係は?? エンタメ

伝説の大スター山口百恵さん現在は?そして息子たちとの関係は??

山口百恵さんといえば、1970年代に活躍をされた伝説のスターです。俳優の三浦友和さんと1980年に電撃結婚され、と同時に引退してから40年近く経つ今も何かと話題になり、今でも彼女の歌やドラマは語り継がれています。そんな百恵さんは現在どうされているのでしょうか。

山口百恵の現在を追う  現在はキルトアーティスト

現在百恵さんは、キルト作家として活躍しています。毎年、東京ドームで行われている「東京国際キルトフェスティバル」にも出品されていて、大きな話題を呼んでいます。2016年には4点の先品を出品されており、中には3年をかけて作成されたものもありました。
百恵さんのキルト歴はなんと29年。2017年開催の「第16回東京国際キルトフェスティバル -布と針と糸の祭典-」には、秋篠宮妃紀子さまと佳子さまもご出席され、作品を鑑賞されたそうです。百恵さんの作品の前はいつも人だかりができ、その腕前もかなり高い評価を受けています。

山口百恵の現在を追う 華麗なる引退の裏に

山口百恵さんといえば、現役時代を知らない世代でも、名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。当時は歌手としてはもちろん、役者としても沢山活躍をされ、知らない人がいないほど有名なスターでした。一番印象的だったのは、人気絶頂時に突然結婚をされ、気持ちの良いくらいにあっさりと芸能界を引退されたことです。
当時小学生だった私でさえ、とても衝撃を受けたのを覚えています。その時は、華やかな芸能界で一番良い時に結婚、引退された百恵さんを見て、とても羨ましく思ったものです。しかし時が経ち、百恵さんの過去が決して華やかでは無かったことを知った時には更に衝撃を受けました。

山口百恵の現在を追う 現在も引きずる壮絶な生い立ち

百恵さんは1959年1月17日に、東京都渋谷区で誕生しました。幼少期を横浜で過ごし、特に小学2年生からデビューまで過ごした横須賀市が百恵さんにとって、子供の時一番幸せな思い出だったようです。
百恵さんはデビュー当時、両親が幼いころ離婚をし、父親はいないと言っていました。ところが人気が出るにつれ、マスコミが百恵さんの出生の秘密をゴシップとして取り上げました。そこで衝撃的な事実が判明しました。

山口百恵の現在を追う 悲しすぎる父親との関係

百恵さんの父親は、別に本妻がおり、百恵さん姉妹(5歳年下の妹がいます)はいわば妾の子として、戸籍上「認知」という形をとられています。父親は毎週百恵さんの家を訪ねてきていたそうですが、一切生活費を入れず、百恵さん一家は生活保護を受けて生活をしていました。
百恵さんの父親の職業は医者であったといわれており、百恵さんの母親には「いずれちゃんとするから」と常に言っていたそうです。しかし、その言葉は実行されず、本妻と別れることはありませんでした。それどころか、前述のとおり、生活費も入れることはなく、百恵さんは幼いころ、貧しい暮らしを余儀なくされました。

山口百恵の現在を追う デビューのきっかけ

百恵さんが芸能界入りを目指したのは、母親のためだといわれています。母思いの百恵さんは、生活が貧しかった母親に楽をさせてあげたいという一心で、お金になるという芸能界への道を目指しました。その反面父親への憎悪はかなり大きく、芸能界引退直前に出版した手記、「「蒼い時」にも書かれています。

デビューのきっかけはオーディション番組

百恵さんが、「スター誕生!」というオーディション番組で準優勝をし、デビューを果たしたことは有名な話です。当時私もあこがれの番組でした。一般公募の番組で、まずはハガキで応募。その後第一次審査~第二次審査を通過し、最終審査まで残ると、番組で歌を披露することができます。この番組からデビューをし、活躍された方が数多くいます。
ところが、百恵さんは当時審査員の阿久悠さんに「あなたは青春ドラマの妹役なら良いけれど、歌手はやめたほうがいい」と言われたそうです。それを受け、事務所側の戦略で幼い少女に大人っぽいセクシーな歌を歌わせ、「青い性」路線で売り出すことになったといわれています。

山口百恵の現在を追う 一気にスターダムへ

百恵さんは1973年4月、映画「としごろ」に出演をし、同名の曲で歌手デビューをしました。ところが、デビュー曲はスタッフの期待を大きく外れ、予想外のセールスに留まりました。そのため、二曲目の「青い果実」では大きくイメージチェンジを図り、大人びた歌詞を歌わせる路線をとりました。
これがのちに「青い性路線」と呼ばれるようになりました。幼く、見た目は純朴なイメージの百恵さんが大人顔負けの際どい歌詞を歌うことで、百恵さんの魅力を100%生かし、歌手としての不動の地位を確立したとも言われています

山口百恵の現在を追う  夫、三浦友和さんとの出会い

百恵さんは映画、ドラマにも数多く出演されています。1974年に主演を務めた「伊豆の踊子」では、その演技力で高い評価を得ました。この映画で共演したのが、現在の夫である三浦友和さんです。
友和さんとは、その夏CMで共演をしており、「伊豆の踊子」の相手役を一般公募した際、このCMをみた「伊豆の踊子」の監督、西川克己さんが、最終選考の中に、友和さんの書類を入れたといわれています。その後も百恵さんと友和さんは、ドラマやCMでも度々共演をし、「ゴールデンコンビ」と呼ばれるようになりました。

山口百恵の現在を追う 出演した作品数

百恵さんは「伊豆の踊子」以降、映画で13作主演を務めています。そのうち12作が現在の夫、友和さんとの共演だったというのは驚きです。運命の人としか言いようがありません。また、百恵さんのすごいところは、リメイク作品において、原作以上の演技力を魅せていたところだと思います。
テレビドラマでの初のレギュラーは、1973年10月にスタートをした、大映テレビ制作の「顔で笑って」となります。この作品で、のちに公私ともに「お父さん」と慕う関係となる『宇津井健さんと親子役を務めます。1974年の10月からはTBSのテレビドラマシリーズ(赤いシリーズ)は大人気を博し、約6年もの長い間続きました。

山口百恵の現在を追う  三浦友和さんとは

百恵さんの夫「三浦友和」さん、1952年1月28日生まれ。山梨県甲州市出身の俳優さんです。本名は三浦稔(みのる)。二十歳の時に、TBSのドラマ『シークレット部隊』で芸能界デビューをしました。芸名の「友和」は、先輩に当たる宇津井健さんが、同ドラマプロデューサーの名前の一字を取って付けたと言われています。
ロックシンガーの故:忌野清志郎さんとは東京都立日野高等学校の同級生でした。忌野さんと毎朝、多摩動物公園行きのバスで一緒だった事がきっかけで、初期RCサクセションのメンバーたちとも親しい関係になりました。

人生を変えた!?忌野清志郎

RCのメンバーは別高校に通っていましたが、三浦さんたちが通う日の高校に集まり、教室でライブを行っていました。その迫力に衝撃を受け、当時忌野さんが言っていた「「才能のない奴は大学へ行け!」という言葉に大きな影響を受けました。
そして、自分も音楽で食べていけるのでは、と勘違いをしてしまい、進学率95%の高校だったにも関わらず、大学受験をしなかったため、その後の人生が変わってしまった、と三浦さんはのちに語っています。

山口百恵の現在を追う 芸能界引退を発表

1979年10月20日のリサイタルの中で「私が好きな人は、三浦友和さんです」と、友和さんとの恋人宣言を突如発表をした百恵さん。その後、友和さんも記者会見で「結婚を前提にして付き合っています」と語っています。

ファイナルコンサートで涙の絶唱

そして、翌年の1980年3月7日に友和さんとの婚約発表をしたと同時に、「我儘な…生き方を私は選びました」「お仕事は全面的に、引退させて頂きます」と芸能界引退を公表しました。同年10月5日、日本武道館でのファイナルコンサートでは集まったファンを前に、「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」という言葉を残し
最後に歌った「さよならの向う側」では、感極まり、百恵さんの涙の絶唱となりました。歌い終えた後、ファンに深々と一礼をした百恵さんが、マイクをステージの中央に置いたまま、静かに舞台裏へと歩みながら去っていったパフォーマンスは伝説となっています。

山口百恵の現在を追う 自叙伝『蒼い時』

引退直前の9月に出版された自叙伝『蒼い時』には、複雑な生い立ち、芸能人としての生活の裏面に加え、自身の恋愛や友和さんとの初体験についても赤裸々につづられており、発売からわずか1か月で100万部を超え、同年12月までには200万部を超える大ベストセラーになりました。

赤裸々にすべてをさらけ出し、過去を捨てた百恵さん

そう、最初はこの本はいわゆるタレント本、暴露本として衝撃を与えましたが、そのうち、その域を越えて評価されるようになりました。当時はまだまだ、女性の権利や立場が軽く扱われていた時代。あの時代に、ここまで女性の本音というものを、強い言葉で、正確に伝えた本が他にあったか。
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この本は、自分の女性観を変えましたね。それだけでなく、もしかしたら、日本人の女性観が変わっていく、大きな流れのひとつのきっかけになったかもしれない。そのくらい、この本が世の中に与えた影響は、大きかったのです。
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山口百恵の現在を追う  結婚、そして幸せな生活

結婚式は1980年11月19日に港区赤坂で行われました。披露宴は東京プリンスホテルで招待客1800人が出席するという豪華なものとなりました。仲人には大映ドラマで百恵さんの父親役を数多く演じた宇津井健さん夫妻。百恵さんは公私ともに「お父さん」と宇津井さんを慕っていました。
結婚後には二人の男の子を設け、芸能界でも有名なおしどり夫婦と言われた、三浦友和さん、百恵さん夫妻。スターであった百恵さんは、引退後も常にマスコミに追われ続けましたが、それにも負けず、幸せな結婚生活を送り続けたのです。

山口百恵の現在を追う  百恵さんの2人の息子たちは

長男は母と同じ歌手を目指す

百恵さん、友和さん夫妻には2人の息子さんがいます。長男は三浦祐太朗(みうらゆうたろう)さん。1984年4月30日生まれでシンガーソングライターをしています。百恵さん譲りの歌唱力で、今年の日本テレビ24時間テレビで、百恵さんの名曲「百恵さんの名曲「さよならの向う側」」を熱唱しました。
百恵さん自身も「自分のカバーを息子の声で聴けるのはうれしい」と話していとのことで、同番組で祐太朗さんは、「お父さん、お母さん、産んで育ててくれてありがとう。愛してます」とブラウン管を通じて両親に感謝の言葉を表しました。

次男は父と同じ俳優の道を

次男の三浦貴大(みうらたかひろ)さん、1985年11月10日生まれで、大学卒業を機に父親と同じ役者への道に進むことを決意しました。2010年に映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』がデビュー作品です。
貴大さんは大学時代まで精神保健福祉士を目指していたそうです。ところが、社会には様々なタイプの人間が存在するということを知り、また、一番身近であった職業、父の影響も受け俳優になることを決めたそうです。学生時代ライフセービングをしていたとのことで、体が鍛えられており、ケインコスギさんと、リポビタンDのCMにも出ていました。

山口百恵の現在を追う 百恵さんのこれから

百恵さんは14歳の時にデビュー、21歳で引退という、芸能生活わずか7年程の短いものでした。そのわずかな期間に売り上げたシングルレコード31作の累計が1630万枚、LPレコードは45作の累計で434万枚の売り上げという偉業を成し遂げました。1970年代最もレコードを売り上げた歌手となりました。
その大スターがゆえ、引退後も常にマスコミに追われる立場となってしまいました。確かに百恵さんの現在についてファンたちが求めているのも確かです。しかし、芸能界には全く未練がなく、自分の幼少期を払しょくするかのように幸せな生活を送っている百恵さん。理想の家族像そのものです。キルト作家としての今後の活躍もお祈りしています。