中村俊輔がセルティックで衝撃のFKで一躍脚光の嵐!スコットランドでの伝説が凄い! エンタメ

中村俊輔がセルティックで衝撃のFKで一躍脚光の嵐!スコットランドでの伝説が凄い!

元サッカー日本代表選手で左足の魔術師と称される中村俊輔選手。そんな中村俊輔選手がJリーグを飛び出し、スコットランドの名門チームセルティックで見せたプレーが話題となっています!今回は中村選手のその点について、中心にまとめていこうと思います!

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中村俊輔のセルティックで脚光を浴びた伝説のFK弾が凄い!

中村俊輔選手といえば横浜マリノスでの天才的なプレーが話題となりますが、それ以外にも欧州リーグの名門、セルティックでの活躍ぶりもすさまじかったのです。というのもそれ以前にセリエAで3年間プレーした中村選手は、移籍金約4億9千万円という破格の待遇で迎えられ、ここでも期待の高さが伺えました。

そんな中村選手のセルティックでの活躍はすさまじく、リーグ優勝と国内カップ戦優勝の2冠に貢献する活躍を見せているのです。そして中村選手の伝説的なプレーとして、Jリーグ時代から得意としていたフリーキックによって、日本人として初得点をなんと2試合連続で獲得し、このプレーで欧州で一躍脚光を浴びたのです!

中村俊輔はサッカーの虫だった?その生い立ちについて

ではそんな中村俊輔選手について、その生い立ちについて、幼い頃の中村選手について見ていこうと思います。中村選手は3歳の頃にサッカーをしていた兄の影響でサッカーを始め、文字通りサッカーの虫として膨大な量の練習に取り組み、そしてまだ小学生でありながら誰にも真似できないほどの技術を身に着けます。

そんな中村俊輔選手、練習に関してはボールを触り始めたら夜中の10時まで休むことなく練習に励んでいたのだそうです。まさにサッカーの虫で、なるべくしてあれ程の天才的なサッカーの技術を身に着けたのだと感じますね!そうして小学校の選手の中では知らない人がいないほどの選手になったのだそうです!

中村俊輔選手、横浜F・マリノスでも天才レフティとして活躍!

そんな中村選手の活躍については、横浜F・マリノスでの活躍が有名だと思います。中村選手は1997年に横浜F・マリノスに入団し、その年のJリーグ優秀新人賞を受賞するなど、新人の頃から目覚ましい活躍をしています。ちなみに入団当初の中村選手の背番号は現在の10番ではなく、25番でプレーをしていました。

その後も中村選手の快進撃は続き、22歳でJリーグ最優秀選手賞、日本年間最優秀選手賞を受賞し、これはなんとJリーグ史上最年少での受賞だったのです。このような目覚ましい活躍から、サッカーファンの間では日本サッカー史における天才レフティーとして、その名前をサッカーの歴史に刻み付けることとなったのです。

中村俊輔のスコットランドセルティックで伝説の2試合連続FK弾

そんな中村俊輔選手は2005年8月から2009年の9月まで欧州リーグ、スコットランドの名門クラブチームであるセルティックでプレーすることになります。セルティックではチームのリーグ優勝やスコティッシュカップ優勝に貢献、東洋の魔術師の異名のままその天才的なプレーを世界にとどろかせることとなりました。

そんな中村俊輔選手が一躍脚光を浴びることとなった伝説的なプレーが、マンチェスターユナイテッド戦での2試合連続でのフリーキックでの得点だと思います。このプレーにセルティックは公式ツイッターとインスタグラムで動画をアップし、中村選手のFKは一躍世界中に脚光をあびる伝説的なものとなりました!

中村俊輔のスコットランド、セルティックで獲得した賞が伝説的!

そんな中村俊輔選手の脚光を浴びた伝説的なフリークックですが、それ以外にも中村選手は日本人として唯一欧州リーグで連覇を経験した日本人選手としても知られています。また、日本人初の連覇以外にも、中村選手がセルティック時代に獲得した賞も、日本人選手としては伝説的ともいえる数なのです。

まず2006年~2007年のシーズンで12アシストによるスコットランドPFA年間最優秀選手賞、そしてそのほかにもスコティッシュ・プレミアリーグベストイレブン、スコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞、年間ベストゴール賞など、これだけでもその賞の獲得数の多さが分かるのではないのかと思います!

中村俊輔、スコットランドでの活躍後はエスパニョールへ!

セルティックで伝説的な活躍をした中村俊輔選手でしたが、次に中村選手が選んだチームは、日本のオファーをくれた横浜・Fマリノスではなく、スペイン1部リーグのRCDエスパニョールでした。中村選手は欧州リーグでの自分の可能性を試したかったそうなのですが、年齢的にも、欧州でのプレーには限界がありました。

この年齢的なハンデもあり、エスパニョールでの中村選手は最初のシーズンで思ったような結果を出すことができず、サポーターの期待に応えることはできませんでした。そして中村選手は2010年の2月28日に古巣である横浜・Fマリノスに移籍することが決まり、再びJリーグへと舞い戻る結果となりました。

中村俊輔、古巣の横浜F・マリノスへ戻るもジュビロ磐田へ

古巣横浜に帰ってきた中村俊輔選手。マリノスではキャプテンも務め、自身がJリーグ時代に気づき上げた記録を次々と無理変えるという目覚ましい活躍を見せていきました。2013年には中村選手は自身初となる2桁得点を記録し、さらにフリーキック最多得点記録を塗り替えるなど、日本での活躍は目覚ましかったですね。

中村選手は最年長MVPをとるなど横浜・Fマリノスで目覚ましい活躍を見せましたが、長年ホームとして愛してきた横浜・Fマリノスを移籍し、ジュビロ磐田へとチームを移すこととなります。これには中村選手のチームに対する不信感や、それによって悩みぬいたという情報があるので、次からまとめていこうと思います!

中村俊輔、ジュビロ磐田への移籍まで鬱になるほど悩んだ?

中村選手がマリノスを移籍した原因として、新体制となったマリノスがずっとチームを支えてきた古株の選手を次々と契約満了を報告して追い出していくという現状に憤慨したということがあるそうです。そんなことがあり、中村俊輔選手はマリノスとの契約更新はせずに、ジュビロ磐田へ移籍をすることとなりました。

このような新体制での今まで愛してきたチームの信頼ができなくなった中村選手は、移籍を決意するまでにとても深く悩んでいたそうなのです。なかでもこの判断を下すまでに、中村俊輔選手は鬱になるほど悩んだとの発言をしており、今までそのような発言がなかっただけに、ネット上では話題になりました。

中村俊輔、ジュビロ磐田への移籍を後押ししたのは名波浩?

そんな悩んでいた中村俊輔さんですが、ジュビロ磐田への移籍を後押ししたのはかつて日本代表で共に戦い、現在はジュビロ磐田の監督である名波浩さんでした。名波さんはマリノスでの耐えがたい新体制への憤りを中村選手から聞き、ベテランである中村選手にしかできないゲームメイクを期待してチームに誘ったそうです。

このような名波監督からの後押しもあり、中村選手は横浜・Fマリノスで1億2000万円契約の条件を提示されていたものの、ジュビロ磐田は8000万円という年棒でもジュビロ磐田に移籍することとなったのです。名波さんの熱意に関しても凄いのですが、年棒を下げても移籍した中村選手の決意が凄いと感じました!

まとめ

中村俊輔選手のセルティックでの伝説的なフリーキック、そして賀来禄した賞について見ていきましたが、やはり日本の中で天才プレーヤーとして活躍していた中村選手は、世界でも脚光を浴びるほどの天才プレーヤーとして活躍されていました!そんな中村俊輔選手のジュビロ磐田での活躍に、期待していきたいですね!