朝丘雪路には娘・真由子の他にも息子もいた?!認知症で亡くなった最期に迫ります! エンタメ

朝丘雪路には娘・真由子の他にも息子もいた?!認知症で亡くなった最期に迫ります!

2018年4月27日に朝丘雪路さんが死去しましたが、死因はアルツハイマー型認知症でした。今回は朝丘雪路さんの若い頃、旦那である津川雅彦さんとの結婚や娘の誘拐事件、また元旦那との間の息子の情報など現在までを総まとめしました。

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朝丘雪路の子供は娘の他に息子もいた?!

朝丘雪路さんは有名な日本画家の伊藤深水とその愛人だった料亭「勝田」女将の勝田麻起子の娘として生まれました。非嫡出子でしたが、父から溺愛されて育ち、芸事を好んだ母の勧めで3歳より日本舞踊を花柳三之輔に師事するなど、お嬢様として育ちました。

そんなお嬢様育ちの朝丘雪路さんの子供は娘と息子がいるということです。朝丘雪路さんと結婚した津川雅彦さんとの結婚までの馴れ初めから、娘・真由子さんや息子さんが今何をしているのかまで、調べてみました。

朝丘雪路のプロフィール

  • 名前:朝丘雪路(あさおか ゆきじ)
  • 本名:加藤 雪会(かとう ゆきえ)
  • 別名義:深水 美智雪(しんすい みちゆき)
  • 生年月日:1935年7月23日
  • 没年月日 2018年4月27日

私立山脇学園中学校卒業後に宝塚音楽学校に入学し、1952年の卒業と同時に宝塚歌劇団に入団します。宝塚入団時の成績は31人中8位と上位で月組に在籍し娘役として活動していました。しかし、1955年8月31日に宝塚歌劇団を退団してしまいます。その後も女優として活躍し、「11PM」のアシスタントを務めて人気を集めます。

そのお嬢様育ちのおっとりしたキャラクターと常識外れな発言で人気を集め、女優としてだけではなく、バラエティ番組に多数出演しています。後に深水流家元として、青二塾で日舞の講師を勤めていたこともありました。受しかし、2014年4月9日から13日まで行われた舞台「花や…蝶や…」への出演を最後に休養していました。

朝丘雪路の娘・真由子は女優をしている

朝丘雪路さんと津川雅彦さんの間には1974年に娘が生まれており、その娘さんは現在女優として活動されています。名前は真由子さんといい、本名は加藤真由子さんといいます。テレビドラマから映画、バラエティ番組にまで出演している女優で芸能界では異常なほどの「パパっ子」として知られており、

実際父の津川雅彦さんとの番組共演が多いです。一時はサラエンタテインメントに所属していましたが、2015年3月には父親が社長をつとめ、母親である朝丘雪路さんも所属しているグランパパプロダクションに在籍しています。

朝丘雪路の娘・真由子の誘拐事件

なんと真由子さんは1974年8月15日、生後5ヶ月で自宅2階で寝ていたところを金銭目的の23歳の男性に誘拐されるという事件に巻き込まれているのです。犯人は身代金として500万円を要求し、父である津川雅彦さんは当日に150万円を指定の口座に振り込みます。

当初、当時のオンラインシステムから得られる情報では取引の行われたCD機を特定できなかったため、警察は第一勧業銀行の全店舗に人員を配置し、取引発生の度に捜査員がCD機周辺の顧客を包囲して犯人を捜すという大掛かりな作戦が展開されました。

朝丘雪路の娘・真由子は無事に保護されていた

人質は犯人の家である千葉県我孫子市のアパートにおり、同日午後7時15分、41時間ぶりに真由子さんが発見され無事に保護されました。その後の捜査で、犯人は津川の家庭状況や自宅の住所・間取りなどの知識を週刊誌等で得ていたことが判明。

裁判では犯人に懲役12年6カ月が確定しました。この事件は被害者が有名人の子供ということと、身代金の受け渡しに当時普及したばかりのCD機を利用したものだったことから世間の注目を集める事件となりました。

朝丘雪路と津川雅彦との結婚までの馴れ初め

朝丘雪路さんは1973年に俳優の津川雅彦さんと再婚しました。二人の馴れ初めに関して多く語られていませんが、二人の結婚は不倫の末の結婚だったと言われています。実は朝丘雪路さんは、津川雅彦さんとの結婚前の1967年に青森県の内科医の男性と結婚、息子を1人授かるも1968年にスピード離婚しています。

実際津川雅彦さんは会見で「大恋愛」「不倫でしたからね」と語っているので、不倫からの結婚になったことは間違いないでしょう。しかし不倫からの結婚ではあったものの、最後の最後まで連れ添ったのは津川雅彦さんですから、大スター同士の結婚ということで生活や価値観なども合ったのでしょう。

朝丘雪路の夫・津川雅彦のプロフィール

  • 名前:津川 雅彦(つがわ まさひこ)
  • 本名:加藤 雅彦(かとう まさひこ)
  • 別名義:マキノ 雅彦
  • 生年月日:1940年1月2日
  • 身長:171cm
  • 血液型:O型

津川雅彦さんは俳優でありながら映画監督、芸能プロモーター、評論家などとしても活動されています。別名義であるマキノ雅彦は映画監督をする際に名乗っています。津川雅彦さんは芸能一家に生まれ、幼い頃から子役として数本の映画に出演していたが、本格的な銀幕デビューは16歳で出演した、1956年の日活映画「狂った果実」でした。

その後は映画のヒットとともにたちまちスターダムに上り詰め、日活の看板役者となりました。そして人気絶頂の1958年、松竹へ移籍しますがここではヒットに恵まれず、フリーに転身してテレビなどに活動の場を広げます。そして、2018年8月4日に心不全のためお亡くなりになられました。

朝丘雪路には元旦那との間に息子もいた

朝丘雪路さんと津川雅彦さんの間には長女である真由子さんしか子供はいませんが、実は朝丘雪路さんは元旦那との間に息子を1人授かっています。しかし、離婚時に親権を当時の旦那さんがとった為に朝丘雪路さんの息子として公に発表されていません。

当時結婚した旦那さんは青森県の内科医師ということまではわかっていますが、現在息子さんが何をしているか?という情報は出回っていませんでした。現在息子さんは50歳前後になっています。もしかしたら父親の跡を継ぎ、医者になっているかもしれません。また、息子さんは母親が朝丘雪路さんということも知らないのかもしれませんね。

朝丘雪路は認知症を患っていた

2018年5月19日、朝丘雪路さんが4月27日に82歳で亡くなっていたことが一斉に報じられました。大物女優の死去ということで、その死因にもスポットが当てられています。その死因がなんと認知症と発表されています。しかし認知症で死に至るというケースは今までにあまり例がないもので、ネット上でも話題となっています。

認知症という病気自体は日本でも多く知られる病名になっていますが、死に至る病気と考えている人は少ないでしょう。しかし、実は国外では死因として認知症が挙げられるケースはよくあるケースだそうです。

朝丘雪路の認知症を支えていたのは津川雅彦だった

津川雅彦さんは、わがままでヤキモチ焼きでやっかいな存在だったと言いながらも、「自分が先に死んでしまうのは、酷なことだったから先に亡くなったのは良かった」と時折夫婦ならではの仲の良さも交えて語っています。

津川さんは「もうね、感謝しかないです。出会ったこと、結婚したこと、娘が生まれたこと、事業の失敗も受け入れてくれて泥をかぶってくれたこと。これまでいろんなことがあったけれど、全てが彼女のおかげで、本当に感謝しています。彼女と出会ってなかったら、全く違った人生になっていたでしょうね。」と語っています。

朝丘雪路の娘・息子から認知症までのまとめ

長い芸能活動の中で宝塚女優として、本格派女優として、そしてバラエティではお嬢様キャラとして人気者だった朝丘雪路さんの死は芸能界でも悲しむ人が多かったことでしょう。そして、夫の津川雅彦さんも追うように亡くなっています。お二人のご冥福をお祈りします。