浜田雅功の出身高校・日生学園の凄まじいエピソードを紹介! エンタメ

浜田雅功の出身高校・日生学園の凄まじいエピソードを紹介!

日本のお笑いに革命を起こしたコンビ・ダウンタウンのツッコミを担当する浜田雅功さん。現在の浜田さんのツッコミの際のキレや迫力というのは高校時代に起源があるのではないかと言われています。同校出身の今田耕司さんも刑務所と形容する日生学園の恐るべきスパルタ教育とは…

浜田雅功さんの出身高校・日生学園高校とは!?

三重県津市白山町八対野に本部のある学校法人で、1990年代までスパルタ教育を行っていたことで有名。学内では暴力事件や寮からの脱走、不審死なども相次ぎ1985年には教師によって荒れた学園内の告発が週刊誌に掲載され、社会問題として取り上げられた高校です。

その脱走者のなかには現在、浜田さんと同じく人気司会者として活躍する芸人・今田耕司さんも。1度は脱走に失敗するも、1年生の秋には2度目の脱走に成功し、退学します。校舎が山奥にあるため、深夜の山をくだって実家の大阪まで逃げたそうです。

今田さんは校舎にある三重から実家のある大阪までの電車賃数千円を持って脱走したようですね。今田さんは日生学園を「あの高校は刑務所」と後に語っていますが、これから紹介する行き過ぎたスパルタ教育を見る限り、刑務所の方が幸せな気がしてきます。

浜田雅功さんの経歴・プロフィール

1963年5月11日生まれの今年55歳。出身は兵庫県尼崎市。身長は165㎝。お笑いコンビ・ダウンタウンのツッコミ担当。相方は松本人志さん。テレビなどでの愛称は浜ちゃん。妻は小川菜摘さんで、長男はOKAMOTO’Sのベーシスト・ハマ・オカモトさん

また、NCS大阪の1期生で、若手の頃から漫才の実力がずば抜けていたという伝説も有名ですよね。当時ダウンタウンがテレビで披露した漫才は日本の漫才のレベルを格段に引き上げ、漫才の常識を変えたとも言われており、日本のお笑い界での功績はすさまじいものがありますね。

浜田雅功さんの出身高校・日生学園高校の凄まじいエピソード1

日生学園の凄まじさはまず1日のスケジュール。水曜と日曜以外は朝4時起床だったそうです。そして点呼、洗顔、着替え、清掃 を兼ねた心行(学校独自のもので雑巾を持って足を大きく広げた状態で一心不乱に大声を張り上げながら床を磨くもの)を各部屋で10分。

その後各階でも10分ほど行い、全校生徒全員が道場(体育館) に集まり約1時間心行する。帰寮前に点呼 寮に帰り点呼、汗を拭いて制服に着替える、集団登校、食堂前に集まり国旗、校旗掲揚(雨天は無し)食堂に入って朝食、校歌を歌う。

授業は午前4時間、昼食、午後1時間の計5時間。放課後には集団下校、点呼、ジャージに着替え清掃を兼ねた心行。集団マラソン(約6キロ)帰寮、点呼、自習、階ごとに順番に風呂、食堂前に集まり国旗・校旗降納、夕食。帰寮、点呼、自習、消灯。

自由時間はなく、授業の休み時間、食事中を含め24時間私語禁止。さらに新聞、TV、雑誌、ラジオ、一切の娯楽が禁止。これが当時の日生学園の1日の流れです。考えただけでも地獄ですね…。脱走者の今田さんの「刑務所」という例えは、それでも甘く感じます。

浜田雅功さんの出身高校・日生学園高校の凄まじいエピソード2

基本先輩の命令に対しては絶対服従。先輩・教師からの体罰も日常茶飯事。パイプ椅子で何発も殴られたり、一晩中正座させられたり、国旗掲揚の時に教頭に叱られていて、ベルトを引き抜き金属のバックル部分で頭を叩かれ出血。横にいた女子生徒がハンカチで押さえようとしたのを制止し説教を継続。

病気でも簡単には病院へは連れて行ってもらえず、風邪で熱が出たら教師の前で体温を測り、38度を越えないと休めない。40度くらいの高熱になっても病院へは行かせてもらえず市販薬のみ支給。学校から出られるのは夏、冬、春休み、校外の病院へ行く(許可制でなかなか降りない)部活の試合のみ。

そんな当時の日生学園。当たり前ですが脱走、自殺が多発したそうです。これは今の時代は当然ですが、当時の時代ですらあってはならなかった学校のようにも思えてきます。ここまでくると刑務所というより、監獄のような過酷さです。

浜田雅功さんの出身高校・日生学園高校の凄まじいエピソード3

これは浜田さんではなく脱走した今田耕司さんのエピソードになります。日生学園は全寮制で自宅から通うことはできず、甘い物が一切禁止されていたそう。外出から帰れば身体検査があるため外部からの持ち込みができず、生徒たちは一工夫して甘い物を手に入れていたんだとか。

今田さんは親から生活用品を送ってもらう際、枕の中に「いちごミルクキャンディ」を入れてもらい、念願のお菓子を手に入れたんだとか。しかし自分ですべて食べることはせず、先輩たちに1つ1つ配っていたようです。上下関係が厳しい日生学園では先輩からの評価も死活問題だったんですね。

そもそもどうして浜田雅功さんは日生学園に入ったのか?

浜田さんは生まれは大阪ですが出身・実家は兵庫県。何故わざわざ県外の、しかも監獄のような学校に浜田さんは入学したのか。それは、浜田さんの父親が中学時代の担任に「厳しい教育方針と全寮制」を勧められたからだそうです。浜田さん自身の了承もあったでしょうが、予想以上だったことでしょう。

時代に求められたスパルタ教育

不審死や自殺者が出るという、恐ろしいほどの厳しい日生学園。しかしその背景には日本中に不良少年が多くいたという当時の現実があったようです。当時の日本には親や先生でも手に負えない不良少年たちを低偏差値で受け入れ、軍隊式のスパルタ教育を施すのが売りの学校は他にも存在していたんだとか。

確かに、浜田さんが高校生であった40年ほど前というと今でも映像に残っているように不良や非行少年が日本中に溢れかえっており、そんな少年たちを受け皿として受け入れスパルタ教育を仕込む学校というのは中には必要だったのかもしれません。しかし当然その功罪も。

スパルタ教育の功罪。日生学園は行き過ぎた?

現在の日本ではスパルタ教育そのものが時代に合わなくなっています。浜田さんが学生の頃の日本であれば不良たちにスパルタ教育を施し更生させる施設は必要だったことも納得できます。しかしスパルタ教育といえど限度はあったはずですよね。

実際、1985年の内部告発によって社会問題として取り上げられたと言います。不良たちが野放しにされたまま時間が角をとってくれるのを待つよりは高校で更生させた方が良かったのかもしれません。それでも日生学園はスパルタ教育の限度を日本中に教えてくれました。

浜田雅功さんは日生時代をどう語る?

3年間無事生き抜いて卒業した浜田さん。バラエティ番組でも時折自らの口から日生学園の名前を出すことがありますが、相方の松本さんはプライベートで浜田さんが高校時代を語る姿をほとんど見たことがなかったんだとか。

どうやら、浜田さんは日生学園の出身であることをコンプレックスに思っていたんだそうです。大声を強要される環境や、全寮制の副寮長という生徒たちから恐れられる立場であったことから現在の浜田さんのルーツは日生学園にありそうですが、ご本人が肯定しない限りは想像でしかありませんね。

まとめ

今回はダウンタウン・浜田雅功さんの高校時代について紹介しました。現代では考えられない恐ろしいスパルタ教育を行っていた日生学園。現在の迫力や貫禄はそのころから培われていたと考えられますが、詳しいお話をいつかテレビで浜田さんの口から聞けると良いですね。