長嶋茂雄は面白すぎる伝説がたくさん!ミスター長嶋の名言まとめ!!

長嶋茂雄さんが入院生活をされており公の場に姿を見せなくなりなりました。本当の容体はどうなんだ?と心配されている方が多くいます。何故人々は今でも長嶋茂雄さんを慕っているのか、長嶋茂雄さんの伝説的なエピソードや名言を探してみました。

長嶋茂雄の伝説とは? 面白すぎる名言のまとめ!

国民的ヒーローとして数々の伝説を残してきた長嶋茂雄さん。しかし長嶋茂雄さんが人々に愛されるのは、素晴らしい功績だけではありません。本人はいたって真面目に話をされているのでがすが言葉の選び方が面白かったり、うっかりする行動が派手で、周りの人たちの語り草となっています。少しまとめてみました。

  • 打つと見せかけてヒッティング
  • 失敗は成功のマザー
  • 代打、バント土井(バントの仕草をしながら交代を告げたことも)
  • 初めての還暦を迎えました
  • 鯖という字は魚編にブルーでしたね

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長嶋茂雄の名言まとめ「メークドラマ」

長嶋茂雄さんはご自身が発する言葉の中で英語を多く使用されます。和製英語なのですが、長嶋語録といったほうが的確で他の人にとっては思わず笑ってしまったり、疑問の残る言葉使いも多いのですが、この「メークドラマ」は数々のシーンで利用されました。1996年長嶋茂雄さんが巨人の監督をされていた時のことです。

巨人は首位広島との11.5ゲーム差を逆転して優勝しました。長嶋監督は記者たちに幾度となく逆転出来ることを「メークドラマ」と言って優勝を諦めていない姿勢を打ち出しました。言葉の響きもよく、この後も巨人が首位と大差をつけられた状況になると「メークドラマ」と言われるようになりました。

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長嶋茂雄の名言まとめ「人生そのものです。」

長嶋茂雄さんは「野球というスポーツは人生そのものです」と仰っています。学生の頃から野球をはじめ、当時人気のあった大学野球の立教大学で活躍をされ、その後はプロ野球でも活躍。引退後は監督として後進を育てリーダーとしてチームを優勝に導きます。日本代表の監督も務められました。その功績が認められ国民栄誉賞も受賞されています。

長嶋茂雄 伝説の引退セレモニー!!ミスターの名言とは?

日本のスーパーヒーロー

面白い名言だけではありません。長嶋茂雄さんは1974年に引退しました。現役選手として17年間のプレーの中では王貞治さんと共に数々の伝説を残されています。それはまさに当時の日本のスーパーヒーローといって過言ではありません。

引退セレモニー

後楽園球場で開かれた引退セレモニーではマウンドの上でカクテル光線に包まれた長嶋茂雄がファンに向かって引退の挨拶をされました。巨人はV10を逃したシーズンでしたが、挨拶ので「私は、今日、引退をしますが我が巨人軍は永久に不滅です!」と仰ったことが今でも伝説となって語り継がれています。

名言が現実に

他の球団が身売りされたり球団名を変更したりする中で、1947年から読売ジャイアンという球団名を変えていない一番伝統のある球団となっており、長嶋茂雄さんの言葉が現実のものとなっています。

長嶋茂雄伝説 仰天のエピソードとは?

息子置き去り

現役時代の長嶋茂雄が息子の一茂さんを後楽園球場に連れてきたまでは良かったのですが、その日の試合では3打席3三振と振るわず、カッカした長嶋さんはそのまま自宅に帰ってきてしまい、息子さんは球場に置き去りになったというエピソードです。

靴下がない、車のカギがない

モノをよく探す長嶋茂雄さん。試合前にストッキングがないと大騒ぎ、選手全員で探したところ何と長嶋さん片方の足に2つともストッキングを履いていたそうです。またオールスターゲームの時には車の鍵がないとスター選手達に探して貰いましたが実はその日は電車で球場まで来ていたそうです。

練習で満足

試合前のバッティング練習で、イメージ通りにバッティングが出来たと満足した長嶋さん。そのまま練習を終わらせお風呂に入り帰ろうとしたところをコーチが試合はこれからですよと呼びにきて、やっと試合をしていなかったことを思い出したそうです。

ノムさんのささやき作戦が効かない

キャッチャーの野村克也さんはバッターボックスに立つバッターに対して「ささやく」ことで動揺させることで有名ですが、長嶋さんだけは通用しなかったといいます。スライダーを投げるとささやいておいてストレートを投げさせますが、長嶋さんは見事にホームランを打ち「本当にスライダー投げちゃダメじゃないか」と言ったそうです。

長嶋茂雄さんの詳細プロフィール

1936年2月20日千葉県佐倉市生まれ。読売ジャイアン終身名誉監督。右投右打ち。立教大学から読売ジャイアンへ入団。川上哲治監督のもと「ON砲」と呼ばれる王貞治と共にV9時代を支える中心人物。444本塁打、2471安打。首位打者6回、本塁打王2回。背番号3。監督時代は日本一2回、リーグ優勝5回、最下位1回。

配偶者の亜希子夫人は2007年に死去。長男長嶋一茂はプロ野球選手からタレントへ。長女は一般の方で有希。次女長嶋三奈はスポーツキャスター、次男の長嶋正興は自動車レーサーから環境活動家です。

長嶋茂雄の逸話、脳梗塞からの復活!

2004年3月4日に自宅で発作性心房細動が原因の脳梗塞で倒れられました。右半身の麻痺と言語障害が残りました。しかし入院から約1か月後には退院しリハビリをスタートさせると翌2005年には東京ドームで公の前に姿を見せるほど回復しました。

長嶋茂雄の息子長嶋一茂も父親譲りのスター性

同じプロ野球選手に

すっかりタレントとして活躍されている長嶋一茂さんは長嶋茂雄さんのご長男です。お父さんと同じ立教大学で大学野球で活躍、ドラフト1位でプロ野球ヤクルトスワローズに入団しました。その後お父さんが監督をされていた読売ジャイアンに無償トレードで移籍し、親子で活躍されました。

引退後の活躍

引退後はバラエティー番組を中心に出演しつつスポーツキャスター、ドラマに俳優として出演されたりとマルチに活躍されています。朝の番組では歯に衣着せぬコメントとお父さん譲りの天然キャラを発揮しています。

トラブルも冷静に対応

元女優との落書き問題が週刊誌で話題になったことがあります。家の塀に「バカ息子」と落書きされたことも、「うちには娘しかいないぞ?」と天然ボケのコメントで笑いを取りながら、相手に怒ったりしない姿勢で好感を持たれました。

長嶋茂雄の三女長嶋三奈さんもテレビで活躍

長嶋三奈さんは長嶋茂雄さんの3番目のお子さんで、またお父さんの背番号が3であることから三奈と名付けられたそうです。大学卒業後、テレビ朝日に入社しスポーツ局で記者として活動され、15年間、夏の全国高等学校野球選手権大会のダイジェスト番組「熱闘甲子園」のメインキャスターを務めました。

2014年にテレビ朝日との契約が終了し(2000年に一旦退社している)、フリーで活動されていますが、父である長嶋茂雄さんの個人事務所の代表取締役も務めており、現在は父親の世話をしていると言われています。

長嶋茂雄さん家族の確執

長嶋茂雄さんが脳梗塞に倒れた以後、長嶋家の確執が言われています。保管されていた長嶋茂雄さんの記念品や愛用品を息子の長嶋一茂さんがスポーツミュージアムに売却したことで、三奈さんが激怒したと言われています。

また長嶋茂雄という商標登録に関しても元々は長嶋茂雄さんの個人事務所で登録していたものを期限が切れたタイミングで一茂さんの妻が代表の個人事務所が取得したりと問題が途絶えません。この為、長嶋一茂さんと長嶋三奈さんとは関係が断絶されていると言われています。

日本スポーツ界のヒーロー長嶋茂雄さんは輝かしい活躍はまさに記録より記憶といえるものでした。名言はもちろんですが迷言・珍言も多々ありますし失敗談もたくさんありますが、それも全て含めて長嶋茂雄として国民に愛されている人物だと言うのが分かるのではないでしょうか?