デヴィ夫人の生い立ちは壮絶を絶するものだった!?過去、どのような人生だったの? エンタメ

デヴィ夫人の生い立ちは壮絶を絶するものだった!?過去、どのような人生だったの?

毒舌キャラで今やバラエティ番組で活躍しているデヴィ夫人。若い人はデヴィ夫人を元気なおばあちゃんというふうにしか捉えていないかもしれませんがデヴィ夫人は大統領夫人という過去があるすごい人なんです!しかしそんなデヴィ夫人にも壮絶な過去が!詳しく見ていきましょう!

デヴィ夫人には壮絶な過去が・・・!?生い立ちは??①

1940年2月6日、東京都港区西麻布に生まれたデヴィ夫人。御年78歳で日本名は根本七保子さんといいます。デヴィ夫人は「世界の果てまでイッテQ!」で体を張っていろいろなお仕事をされているため、今の若い人は元気なおばあちゃんという印象しかないかもしれません。確かに78歳でバンジージャンプを飛ぶ人はいませんよね。

若い人は知らないかもしれませんが、デヴィ夫人は若い頃、外国の大統領夫人でした。デヴィ夫人の本名はラトナ・サリ・デヴィ・スカルノといいます。このお名前から「デヴィ夫人」という芸名になったのですね。そんなデヴィ夫人の人生は壮絶だったとか・・・!?デヴィ夫人の過去を一緒に見ていきましょう!

デヴィ夫人には壮絶な過去が・・・!?生い立ちは??②

デヴィ夫人は現在でいう港区西麻布の生まれで、デヴィ夫人の家庭は父の兵七郎さんと母の政子さん、そして弟の八曾男(やそお)さんとの4人家庭でした。父の兵七郎さんは大工を営んでいましたが、多額の借金があったため幼少期は裕福とは言えない家庭環境の中で育ちました。

そして太平洋戦争も経験しているデヴィ夫人は戦時中、母の政子さんと弟の八曾男さんと共にに福島へと疎開していました。昭和30年、15歳頃から家計を支える為に、映画「青ヶ島の子供たち 女教師の記録」などでエキストラとして出演し、アルバイトを始めました。

デヴィ夫人には壮絶な過去が・・・!?生い立ちは??③

翌年デヴィ夫人は高校に進学しましたが、父親が亡くなった事で高校を中退し家計を支える為に16歳で赤坂の高級クラブコパカバーナに働き始めました。今のお金持ちのイメージが有るデヴィ夫人からは考えられないですね。デヴィ夫人がお金に困る過去があったなんて・・・。

その当時、全員が高校に進学できるとは限りません。そのため高校に進学できたことはとても嬉しかったはずです。それなのに時代のせいで中退し、一家の大黒柱として16歳で家計を支えるなんて・・・。現在では考えられませんね。時代も時代なだけに女性が働くということだけでも偏見の目で見られたに違いありません。

デヴィ夫人はホステスだった過去があるの!?

先程もご紹介しましたが、デヴィ夫人は家計を支える為に高校を中退し、16歳で赤坂の高級クラブコパカバーナに働き始めます。コパカバーナは当時、水割り1杯だけで大卒の初任給がなくなると言われた高級店でした。想像するだけでも恐ろしい話ですが、お金持ち専用のクラブであった為、海外の要人の接待にも頻繁に使われていました。

日本国内のお金持ちが集まるのはもちろん、海外の偉い人も来るということで、ここで一流のホステスになるためには美貌だけでなく、客を飽きさせない接客技術・頭の回転の速さや賢さが必要でした。デヴィ夫人は16歳からホステスを始めますが、19歳の頃には人気を博していました。

デヴィ夫人は大統領夫人だったの!?

先程もご紹介しましたが、デヴィ夫人は大統領夫人でした。ホステスとして働いていた頃、偶然インドネシア建国の父であり、インドネシア初代大統領スカルノさんが、帝国ホテルで行われたパーティで、コンパニオンとして働いていたデヴィ夫人を見染めました。その後2人はラブレターなどをやり取りしました。

その後3年程たち、1962年にスカルノさんの第三夫人としてインドネシアへ渡ります。インドネシアは一夫多妻制でデヴィ夫人とスカルノさんの年齢差は39歳!日本では考えられませんね。インドネシアに渡っても数年は愛人扱いされてしまい、第一夫人からいじめられたそうです。それを耐えたデヴィ夫人は強い方なんですね!!

デヴィ夫人は母と弟の死を乗り越えた・・・??

デヴィ夫人とスカルノ大統領の熱愛は日本でとても大きなニュースとなり、毎日のように放送されていました。そのため、マスコミは真実を知ろうとデヴィ夫人の実家に連日押し寄せました。するとデヴィ夫人のお母様はそのストレスで倒れてしましました。いきなりマスコミが家に来ると誰でもびっくりしてしまいますよね。

母親が危篤状態と知り、デヴィ夫人はインドネシアから帰国しましたが、お母様はデヴィ夫人が帰国された40日後に亡くなられました。当時、デヴィ夫人は19歳か20歳なので、時代背景を考えてどんなに遅く出産していてもお母様は50歳前後だと思います。早すぎる死にデヴィ夫人は自分を責めたかもしれませんね・・・。

弟さんは友人に騙され借金を抱えていたことからお母様の死から二日後、お母様の後を追うようにガス自殺してしましました。デヴィ夫人に心配をかけたくなかったためだと考えられています。このことをデヴィ夫人は悔いて、インドネシアに帰国後、宮殿に「ヤソオ」という名前をつけたそうです。悲しい過去ですね。

デヴィ夫人は貧しい家庭環境で育ったの??

先程もご紹介しましたが、デヴィ夫人は父の兵七郎さんと母の政子さん、そして弟の八曾男(やそお)さんとの4人家族でした。父の兵七郎さんは大工を営んでいましたが。しかし、多額の借金があったため、デヴィ夫人の幼少期は裕福とは言えない家庭環境の中で育ったそうです。

15歳で高校に進学しましたが、父親がなくなってしまい、父親のかわりとして家計を支える為に16歳からホステスとして働き始めます。せっかく高校に進学できたのに1年ほどで家庭の事情で中退しなければならないなんて、悔しすぎますよね・・・。

デヴィ夫人は日本に政治亡命を求めたのに断られたの??

スカルノ政権末期まではデヴィ夫人を通さないと日本とインドネシアはやり取りができない、というほどデヴィ夫人は力を持っていました。しかし、1965年9月30日、軍事クーデターが勃発し、スカルノ大統領は座を追われて軟禁状態に置かました。

デヴィ夫人は祖国、日本への政治亡命を求めましたが、インドネシア新政権との関係を重視したい日本政府は、応じません。デヴィ夫人は祖国日本から見捨てられたという屈辱は一生忘れないと語っています。その後出産を機に人道的配慮により日本への帰国を許され、慶応病院で長女のカリナさんを出産しました。

デヴィ夫人はクイズ・ミリオネアで1000万円獲得した!?

「クイズ・ミリオネア」という番組をみなさん覚えていらっしゃるでしょうか?この番組はクイズに答え、時々ヒントを貰いながら正解すればお金がもらえるという番組です。最終問題を正解すると1000万円もらえます。なんとデヴィ夫人はこの番組で1000万円を獲得した第一号者だったそうです!!知らない方も多いですよね!!

デヴィ夫人の壮絶な過去は??デヴィ夫人はすごい人!!

デヴィ夫人の過去を見てきました。いかがでしょうか?今や大金持ちでお金に困ったことのないような印象を受けますが、幼少期から家計を支える為に高校を中退し、ホステスとして働くなど様々な苦労をされていることがわかりましたね。お母様、弟さんの死も今もデヴィ夫人は悔やんでいることと思います。

インドネシアの大統領夫人となりましたが、日本に亡命拒否されたことはデヴィ夫人にとって今も屈辱だと思います。今やバラエティ番組で活躍されているデヴィ夫人。今後もデヴィ夫人のご活躍に期待です。