西原理恵子は子供に過保護!?娘は舞台女優で息子は現在なにをしている? エンタメ

西原理恵子は子供に過保護!?娘は舞台女優で息子は現在なにをしている?

西原理恵子は漫画家で「毎日かあさん」などの作者ですが、現在高須クリニック創業者である高須克弥さんのと事実婚をしたことで知られています。そんな西原理恵子さんについて、西原理恵子さん自身とお子さんについて本記事では紹介していきます。

目次

[表示]

西原理恵子の息子や娘の名前は?現在は何をしている?

壮絶な過去を過ごしてきた西原理恵子さんですが、結婚相手との間にはお子さんがおり人気漫画「毎日かあさん」の題材になったともいえるお子さんがいらっしゃいます。息子さんと娘さんがいるのですが、「毎日かあさん」の終わりも娘さんが関係しています。

そんな西原理恵子さんの母としても漫画家としても影響を受けた、息子さんや娘さんは一体何をしている方なのでしょうか。西原理恵子さんの壮絶な過去と合わせて息子さんや娘さんの現在について調べてみました。

西原理恵子の息子の名前は?通っていた学校は?

西原理恵子さんの息子さんは、「毎日かあさん」の漫画で「ブンジ」くんとして登場しています。このブンジという名前は本名ではなく、生前に父が初孫につけようと考えていた名前だと言われています。

そして、息子の本当の名前と画像が明らかとなりました。

西原理恵子の息子の本名と画像を公開!

息子のブンジくんの本名は「雁治(ガンジ)」さんというそうです。この名前は西原理恵子さんの夫である鴨志田譲さんがマハト・マガンジーから名前を付けたと言われています。

息子は連載開始当初は4歳でした。その息子がまだ幼い時にアルコール依存症だった夫と離婚をしたことで、寂しい思いをさせてしまったと後に明かしています。

そして、アルコール依存症の夫と復縁したのも息子の一言だったのです。

西原理恵子の息子の父への想い

西原理恵子さんの息子が離婚した父への想いを、ふとしたときに呟いたのです。それは「お父さん、何してるかな?お父さん、元気にしているかな?」

この息子の一言が西原理恵子さんの心に刺さったのです。どんなにダメな父親でも、息子にとっては唯一無二の存在なんだと感じ、夫と子供たちを交流させることにしたそうです。

この子供たちとの交流が、夫のアルコール依存を克服する大きな力となったのです。

西原絵里子の息子の出身校は?

西原理恵子さんの息子さんが現在通っている大学名は公開されていませんでしたが、出身高校は公開されており「明星学園高校」という高校で小中高の12年間一貫という珍しい高校です。校則などもなく、制服ではないなど自由な校風の学校です。

一般人のためあまり情報は公開されていませんが、明星学園高校といえばミュージシャンの土屋アンナさんや俳優の小栗旬さん、歌舞伎役者の中村獅童さんらが通っていた学校として知られています。自由な校風が息子さんには合っているのかもしれません。

西原理恵子の息子の大学は?

西原理恵子さんの息子さんは2017年の春に大学に進学したのですが、なんと16歳の時に突然アメリカに留学をしたのだそうです。どこに進学したのかは公表されていませんが、息子さんの性格は母である西原理恵子さんから見ると「いつもヘラヘラしている」だそうです。

西原理恵子の現在のパートナー高須院長と息子も仲が良い

西原理恵子さんの現在パートナーとなっているのが、高須クリニックの院長である高須克也さんです。その高須院長とは、入籍をせずに事実婚を選び、お互いに自由に暮らしているそうです。

そんな、高須院長と西原理恵子さんの息子とも交流があり、仲が良いそうです。この画像は高須院長が2019年1月に自身のツイッターを更新し、息子の雁治さんの誕生日をお祝いしたことを明かしています。

西原理恵子の娘の名前は?反抗期がすごかった?

西原理恵子さんの娘さんの名前は「毎日かあさん」では「ぴよ美」ちゃんとして登場しています。漫画の中でかわいらしい女の子として登場し、人気のキャラとなっています。

そんなぴよ美ちゃんもは、高校生の時には反抗期がすごかったことが明かされています。こうした、女の子の成長過程がよくわかる内容の漫画も人気のひとつとなっています。

「毎日かあさん」の連載が終わったのは娘が16歳になったから

西原理恵子さんが「毎日かあさん」の連載を修了した理由に、「下の娘が16歳になって『あっ、お母さん終わった』って思ったから」と、西原理恵子さんが明かしています。

2017年に連載が終わっているため、現在では19歳~20歳の年齢となっていると思われます。そんな娘さんの現在は舞台女優になっているという情報がありました。

西原理恵子の娘は舞台女優?

西原理恵子さんによると、娘さんは16歳の頃から舞台に立ち始めたそうで、現在は演劇をやっており女優なのだそうです。そんな娘さんは麿赤兒さん率いる舞踏集団である大駱駝艦や寺山修司さんの演劇をよく観ているそうで、母としては見守っている段階のようです。

西原理恵子が娘に伝えたいことを出版

西原理恵子さんは「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」というタイトルで本を出版しています。この本こそが、西原理恵子さんが娘に伝えたかったことだったのです。

西原理恵子さんと娘さんとは、現在では不仲が噂されています。2年ほど口をきいていないとも言われているのです。そんな中で、西原理恵子さんは娘に伝えたかったメッセージを本で出版したのです。

女性が読むことでとてもためになる本ということもあり、ベストセラーとなっています。母から娘に贈る本としても人気となっています。

過保護?自分供養?西原流母の考え方

西原理恵子さんは幼少の頃から厳しい環境で育ってきたこともあり、自身の息子さんや娘さんに対して過保護になるところがあるそうですが、西原理恵子さん曰くそれは誰しもがあることではないかということです。

自分が育ってきた環境が厳しければ厳しいほど、自分の子供には同じような思いをして欲しくないと思い、オシャレな服を買い与えたり、習い事をさせたりと甘やかしてしまうのではないかと語っていました。

自分供養とは

西原理恵子さんの子供の頃は、田舎暮らしのため習い事と言えばそろばん教室くらいで、洋服でさえ田舎の流通の悪さゆえ都会の可愛い服なんかはなかったそうです。自身で世界のブランドに手が届くようになってからは娘にも着せたいと思うようになったようです。

西原理恵子さんの現在は?

西原理恵子さんは売れっ子漫画家として活躍をしており、2017年までは毎日新聞で「毎日かあさん」を掲載しており知っている方も多いのではないでしょうか。同作は通算723回掲載されており、2002年から週1回のペースで掲載されていました。

この漫画は西原理恵子さんが家庭内のエピソードをギャグを織り込みながら漫画で描かれており、保育園で親を持つ娘を描いたエピソードでは同様の境遇にいる母親から多くの共感を寄せられたと言います。

アニメ化や映画化まで

そして、漫画「毎日かあさん」は子を持つ母親からの人気が高く、2009年にはテレビ東京系にてアニメ化もされました。2011年には実写映画化されるなど幅広く多くの方からの支持を集めた漫画として現在も語り継がれています。

「毎日かあさん」終了!その後新連載は?

西原理恵子さんの新連載については皆さん待ち望んでいるかと思いますが、この新連載について西原理恵子さんは「卒母」した女性の悩みや第2の人生を描きたいと語っており、子供たちのことはあまり書かず、この時期の女性の楽しさに注目して描くようです。

タイトルはまだ決まっておらず、「毎日かあさん」と同様に週1回ペースでの掲載になるようで、「毎日かあさん」の掲載終了に惜しむ声が多くありますが、それと同時に新連載への期待と応援の声がたくさん寄せられています。

西原理恵子のプロフィールや生い立ち

西原理恵子(さいばら りえこ)さんは1964年11月1日生まれで、高知県高知市の出身です。西原理恵子さんが生まれたところは田舎でとても貧しく、実父はアルコール依存症で入退院を繰り返す生活をしていたそうです。

その中で西原理恵子さんの母親は妊娠中に実家に戻り、出産をしますが、その後実父とは一度も会うことはないまま、西原理恵子さんが3歳の時に亡くなりました。そして、西原理恵子さんが7歳の時に母親は別の男性と再婚します。

そんな中、西原理恵子さんが大学受験で上京中に、その再婚相手である義父が借金苦で自殺してしまうのです。そのような経験をし、西原理恵子さんは田舎に戻らないで済むように自分で稼ごうと決意したと言われています。

西原理恵子の元旦那は?

西原理恵子さんは過去に結婚をしていたことがあります。その相手が鴨志田穣さんで、海外の紛争地や秘境を駆け巡るフリージャーナリストとして活躍していた方です。今の息子さんと娘さんは鴨志田さんとのお子さんです。

鴨志田穣のアルコール依存で離婚

しかし、鴨志田穣さんはアルコール依存症でDV夫となってしまうのです。継父と同じアルコール依存症となった夫を励まし支えてきますが、子供たちを守る手段として2003年に離婚しました。その後、病気を克服して家族の元に戻りたいという夫から、復縁を求められます。

そして、鴨志田穣さんと再び同居を再開し、子供たちとともに幸せな時間を過ごします。しかし、そんな時間も長く続かず、鴨志田穣さんは末期癌に侵されていたのです。

鴨志田穣と復縁も末期癌により他界

西原理恵子さんはそんな鴨志田穣さんを献身的に支えますが、わずか半年の2007年に42歳という若さで亡くなってしまいます。

西原理恵子さんはアルコール依存を克服し、家族の元に戻ってきてくれた夫のことを「最後にちゃんと帰ってきました。いい男でした。」と語りました。

鴨志田穣さんが亡くなり、一般にも「お別れの会」があり、1250人もの参列者がありました。そして、遺灰は鴨志田穣さんの遺言にあったように、世界各国の海に子供たちとともに流したそうです。

西原理恵子の若い頃が壮絶すぎる!?大学は行ったのか?

西原理恵子さんは、私立土佐女子高等学校に通っていたのですが、高校在学中に飲酒によって退学処分を受けます。中退後は美大受験を目指しますが、受験前日に再婚した義父が借金を苦に自殺を図り無くなります。その後大検に合格し、美大受験のために立川美術学院という予備校に通います。

大学在学中にデビュー

1年後には武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科に入学し、在学中には飲食店やホステスのバイトをしながら描き続けていた成人雑誌のカットが小学館の編集者の目に留まり、1988年「ちくろ幼稚園」でデビューすることになります。そして1989年に大学を卒業します。

ギャンブルに熱中しすぎて

その後、パチンコ雑誌や麻雀漫画誌、漫画週刊誌などに連載を持ち、その関係でかはかわらないですが、数年間パチンコや高レートの麻雀に熱中する日々が続いたそうで、なんと10年間でその損失金額は約5000万円にまで達したそうです。

西原理恵子の息子や娘の名前は?現在は何をしている?まとめ

西原理恵子さんの息子さんや娘さんは現在年頃の時期で、自分から新しい世界に飛び出していっているようで母としては寂しくも頼もしいと感じているようです。これからは母として見守り、子供たちのこれからを祈っているという気持ちなのだそうです。