高倉健の死因は悪性リンパ腫?!江利チエミとの結婚や子供についても紹介!! エンタメ

高倉健の死因は悪性リンパ腫?!江利チエミとの結婚や子供についても紹介!!

日本を代表する俳優の高倉健さん。【不器用ですから】で有名ですね。残念なことに高倉健さんは亡くなってしまいました。そんな高倉健さんの死因や、元奥さんであった江利チエミさんとの結婚や子供などのことについてまとめてみました。では、見ていきましょう!

高倉健の死因は悪性リンパ腫?!

2014年11月10日に都内の病院で俳優の高倉健さんがお亡くなりになってたことが発表されました。死因は悪性リンパ腫。享年83歳でした。テレビドラマなどには一切出演することなく映画一本で仕事をするまさに映画俳優でした。今では本当に珍しいですね。

ドラマやテレビに出ないというのはあまり聞かなくなりました。これまでに出演した映画は累計205本にも及び、その数を見るだけでもいかに高倉健さんが、日本の映画界に貢献してきたかが分かりますね。偉大な人でしたね。周りからもとても愛されていたと言います。

高倉健の死因の悪性リンパ腫とは?!

悪性リンパ腫は、血液細胞に由来するがんの1つで、白血球の1種であるリンパ球ががん化した病気です。全身のいずれの場所にも病変が発生する可能性があり、多くの場合は頸部(けいぶ)、 腋窩(えきか)、 鼠径(そけい)などのリンパ節の腫(は)れが起こりますが、

消化管、眼窩(がんか:眼球が入っている骨のくぼみ)、肺、脳などリンパ節以外の臓器にも発生することがあります。首や腋(わき)の下、足の付け根などリンパ節の多いところに、通常は痛みのないしこりとしてあらわれます。

高倉健の死因の悪性リンパ腫の症状とは?

数週から数カ月かけ持続的に増大して縮小せずに病状が進むと、このしこりや腫れは全身に広がり、進行するに従って全身的な症状がみられるようになります。全身的な症状としては発熱、体重の減少、盗汗(とうかん:顕著な寝汗)を伴うことがあり、

これらの3つの症状を「B症状」といいます。その他には、体のかゆみや皮膚の発疹、腫瘤(しゅりゅう)により気道や血管、脊髄(せきずい)などの臓器が圧迫されると、気道閉塞、血流障害、麻痺(まひ)などの症状があらわれ、緊急で治療が必要な場合もあります。

高倉健の死因・悪性リンパ腫の原因は何!?

発症の原因は明らかではありませんが、細胞内の遺伝子に変異が加わり、がん遺伝子が活性化することで発症すると考えられています。また、一部にはウイルス感染症が関係することや、免疫不全者に多いことが知られています。また男性に多く、70歳代が発症のピークとなっています。

高倉健の一度だけの結婚とは?

そんな高倉健さんですが私生活はあまり知られていません。ご結婚はされてたのでしょうか?実は映画での共演がきっかけで女優の江利チエミさんとご結婚されました。彼女もまた、昭和を代表する歌手、名女優ですね。江利チエミさんは、

美空ひばりさん、雪村いづみさんと共に「三人娘」と呼ばれて一世を風靡しました。ちなみに2人が結婚した時、江利チエミさんは大スターであり、高倉健さんの方が駆け出しだったそうです。交際当初に多忙な日々を送っていた2人はなかなか会うことができず、

あるとき健さんは「風邪を引いて入院した」とチエミさんに連絡しました。心配した彼女が病室に駆けつけると“あなたに会うための仮病でした”と頭を下げたんだといいます。結婚した後も、チエミさんは人前でさえ健さんを“ダーリン、ダーリン”と呼んでいたそうです。

高倉健と江利チエミの子供と離婚

1962年、2人の結婚から3年後、江利チエミさんは妊娠し子供を授かりましたが重度の妊娠中毒症を発症し、中絶を余儀なくされ子宝には恵まれなかったそうです。なんと、江利チエミさんは妊娠中毒症で中絶せざるを得なくなったのですね。

高倉健さんと江利チエミさんのお子さん、楽しみにしていた人も大勢いたでしょうね。さらに追い打ちをかけるように、1970年には自宅が全焼するという不運も重なり、ついには1971年に離婚してしまうのです。とっても仲睦まじいお二人、どうして離婚してしまったのでしょうか?

高倉健と結婚が続かなかった理由は?

実は、江利チエミさんの義姉(異父姉)による横領事件などがあって、高倉健に迷惑をかけてはならない、と1971年に江利チエミさん側から高倉健さんに離婚を申し入れました。なんと、離婚の原因は当人たちの問題ではなく親族が起こしたトラブルが原因だったそうです。

これはなんとも悲しい離婚ですね・・・・。高倉健さんと離婚された江利チエミさん、なんと45歳という若さでこの世を去ってしまいます。とっても惜しいですよね。高倉健さんは江利チエミさんの命日には毎年お花を供えて本名を記したお線香を贈っていたそうです。

高倉健が離婚しても独身を貫いた理由は?

チエミさんがこの世を去ってからも、女性の噂を立てられることはほとんどなく、健さんは独身を貫きました。報じられてはいないのですが、ある大物女優が若かりし頃共演した健さんにゾッコンになってしまったことがありました。そして、

しつこく結婚を迫ったそうなんですが、健さんは決して首を縦に振ることはなかったそうです。それはチエミさんへの思慕があったからだといわれています。そして高倉健さんはチエミさんのお墓の近くに自宅を建て、命日には必ず墓参りをしていたといいます。

高倉健と水子地蔵

高倉健さんと江利チエミさんの離婚直後の72年に購入した鎌倉霊園の生前墓の横に、2人の生まれることのなかった子を供養する水子地蔵が建てられていました。さらに健さんは人目を忍んでは、チエミさんの命日に墓前で手を合わせていたそうです。

高倉健の遺産を相続した養女の存在!?

高倉健さんが亡くなってしばらくして週刊誌などが小田貴という養女の存在を報じました。養女は、40億円といわれる遺産を受けついだのですが、その死を実妹にも知らせず、いまだに遺族には会おうともしないのだといいます。高倉健さんの最後を見届けた唯一の人間。

しかし不可解なことに、彼女は高倉しかしさんの死を福岡にいる高倉さんさんの実妹にも知らせず、死後2日で火葬してしまったのです。実妹が、遺骨を分けてほしいというと、遺言で散骨してくれといわれたからと断っています。そして彼女の「奇行」が週刊誌で報じられました。

高倉健の養女の謎

生前、死んだらここへ入ると高倉さんがいっていた鎌倉霊園の墓地を更地にしてしまったのです。ここには結婚していた江利チエミが妊娠していて、事情があって産めなかった水子墓もあったのです。高倉健さんと知り合ったのがこの女性がジャーナリスト時代の90年代後半。

彼女を引き合わせた人物については例えば北海道や都内の有名すし店の店主などの名前が囁かれたが、これも実態は判然としないのです。自動車のエンジニアや理髪店主など高倉健さんと四六時中行動をともにしていた通称チーム高倉のメンバーも二人の出会いを知らないといいます。

高倉健の追悼番組

2014年の11月10日に亡くなった高倉健さんをしのび、テレビ各局が出演映画や追悼番組を放送しました。さらになんと中国でも主要メディアなどで大々的に追悼報道されました。日中国交が冷え込む中で、中国外務省は高倉健さんの死去に追悼の意を示したのです。

また共産党系の新聞は高倉健さんの追悼記事を掲載。中国紙記者は高倉健さんの死去を、「存在が大きすぎて黙殺ができない」と明かしたといいます。高倉さんはその人柄も良く、周りからも愛されていたといいます。非常に礼儀正しい性格で、

撮影所にいる全ての人物への挨拶を欠かさなかったといいます。挨拶をする際は相手が若い俳優や、スタッフでも必ず立ち上がって丁寧にお辞儀をして挨拶していたのです。高倉健さんの優しいお人柄が垣間見れますね。

高倉健の死因と結婚のまとめ

高倉健さんと江利チエミさんの結婚・離婚を中心にご紹介しました。江利チエミさんとの離婚後は独身を貫いた高倉健さん、江利チエミさんへのとても深い愛情を感じます。事情があって別れたお二人ですが天国で幸せに寄り添えると良いですね。